2.「正伝」の意義」の続きです。前回からかなり時間が経っていますので、過去記事(「仏教の思想11 古仏のまねび<道元>(その3)」)を参照ください。
2.3.道元の禅宗批判
以上のように、道元の主張する正伝とは、釈尊の教え(正法)が摩訶迦葉に伝えられ(<拈華微笑>)、何代もの祖師を経て二十八代の達磨にまで伝えられ、さらに道元がその正法を受け継いで日本にまで伝えたということになります。それは道元が創造したものではなく、禅宗(細かくは曹洞宗)において信じられたきたことを、道元が踏襲したものと言えます。
ところが、道元は自らが曹洞宗に属するという意義をもたず、これを拒否し、当時中国にて確立していた5つの禅宗の宗派(五家)の区分はもちろん、禅宗という称もおかしいと、これを拒絶しています。
その理由について、本書にも明確な解説がありませんが、道元の次の言葉を参考に示しておきます。
「しるべし、この禅宗の号は神丹(震丹しんたん、中国)以東におこれり、竺乾(じくけん、インド)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山(すうざん)の少林寺にして九年面壁(めんぺき)のあひだ、道俗いまだ仏正法を知らず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代々の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、ざのことばを簡して、ただ禅宗といふなり」(『正法眼蔵』「弁道話」より)
「仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心、みだりにこれを禅宗と称す、祖師を禅師と称す、学者を禅子と号す。あるひは禅和子(ぜんなす)と称し、あるひは禅家流の自称あり。これみな僻見(へきけん)を根本とする枝葉なり。西天東地(さいてんとうち)、従古至今(じゅうこしこん)、いまだ禅宗の称あらざるを、みだりに自称するは、仏道をやぶる魔なり。仏祖のまねかざる怨家(おんけ)なり」」(『正法眼蔵』「仏道」より)
「禅那は諸行のひとつならくのみ、なんぞもて聖人(しょうにん)をつくすにたらん」(同上)
また、道元の批判は<不立文字><教外別伝>(以心伝心)に及び、ここでは、正伝の内容がただ<心>であるとか、<教え>を含まないというのは「学道の偏局」である、としています。さらに、道元の批判は禅宗の長老にまで及んでおり、特に*四料簡や*五位を学道の標準にすることの間違いを、師如浄からつねに教えられたと繰り返し述べています。
*四料簡(しりょうけん):臨済玄義の機根や時と場合に和した弟子を教導する4つの方法
*五位(洞山の五位):曹洞宗の開祖洞山良价(807-869)が説いた五つの禅の境位(思想や解釈の位置づけといった意味)
2,4.証上の修
(1)行持は道環
<行持(ぎょうじ)>とは、修行者の日常の行為全般(行住坐臥)指す用語で「修行」というにぼぼ等しいものです。
道元は「行も禅、坐もまた禅」「参禅即行持」であるとしています。また、「行住坐臥すべてが仏の行為であり、<行仏(ぎょうぶつ)>であるという意味で「行仏の威儀」ともよべる。あるいは「発心・修行・菩提(さとり)・涅槃」という一生がすべて行持である。悟ってもなお行持はつづく。行持に休止はない(「行持は道環」)。」と、説いています。
以上は、『正法眼蔵』「行持」の巻に説かれているものですが、この巻では、行持は諸仏の行持をまねること、ならうことであり、そこに仏の道があらわれる、としています。さらに、行持を歴代祖師について取り上げており、学道に励むものたちへの手本としています。
ここには道元のいう「行持」が、行持即正伝という仏法の本質にかかわるものであることが知られます。
(2)行持は報恩
「行持」の巻後半で、道元は、この世俗の恩愛を断ち切って行持することが、実は仏祖の恩に報ゆるゆえである、としています。
道元は説く「『いま田夫農夫、野老村童までも〔仏法〕を見聞する。しかしながら(たたひとえに)祖師(菩提達磨)航海の行持にすくわるるなり』・・・初祖の恩だけではない、二祖(慧可)がもし行持せずば『今日の飽学措大(ほうがくそだい*)あるべからず』まさに、いま<見仏聞法(けんぶつもんぽう)>できることは『仏祖面々の行持より来れる慈恩』である。『仏祖もし単伝せずば、いかに今日にいたらん』」、と。行持は報恩行であるとしているわけです。
*飽学措大:学道にあきるほど恵まれた中でさとりという大事を終えることができること。
(3)証上の修=不染汚の行持
①「報恩の行」の意義
行持が、行住坐臥、発心・修行・菩提(さとり、成道(じょうどう))・涅槃であり、仏作・仏行であるということは、以上のように「報恩の行」ということに落着しましたが、これは裏を返せば、道元の宗教の本質といわれる<証上の修(しょうじょうのしゅ)*1>、あるいは<修証一如(しゅしょういちにょ)*2>ということにほかならないことになります。「悟った後でなにゆえ行を必要とするのか」の道元の参学の出発点となった疑問、その答えがここに与えられているわけです。
*1証上の修:悟後の修行。悟ったとでもなお修行すること。
*2修証一如:さとりと修行は一つ、という意味。
②不染汚の行持と坐禅
道元は『正法眼蔵』「弁道話」で<証上の修><修証一如><本証妙修>(<証上の修>に同じこと)について詳しく説いています。
そこでは「修のほかに証をまつおもいなかれ」と教えています。つまり、<修証一如>ですから、修行の結果として悟りを待つ思いを持ってはいけないと教えているわけです。悟りは終わりなく、悟りは修行そのものなので、修行にはじめないと説いているのです。
このことは、もとは六祖慧能と南岳の問答(内容は省略)に帰着するものですが、それは<不染汚(ふせんな)の修証*>の名で道元が説いているもので、そのもっとも具体的なあらわれが坐禅だ、とするのが道元の宗教の一番のかなめとなっています。「坐禅は習禅にあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」(『正法眼蔵』「坐禅儀」より)
ではなぜ坐禅なのかは、道元自身の只管に打坐して身心脱落したという体験が、本証妙修を確信させたわけで、「わからなければ、坐ってみろ」というほかないわけです。その意味では、行持が報恩だというのも体験抜きにはいえることではないのです。
*不染汚の修証:「染汚」とは分別をもって対象を判断することで、したがって「不染汚」はとらわれない心境で修行する必要性を説いている。
以上で、(2.「正伝」の意義」)を終えます。当然、本著ではさらに詳細な説明がされていますが、ポイントと思われる個所を抜き書きして整理してみました。
ここまでで、道元の仏教思想のポイントがかなり整理できている、もっと言えば、これである意味十分だとも思いますが、
本著ではさらに、道元の思想の中心をなす『正法眼蔵』「現成公案(げんじょうこうあん)」の巻の内容を掘り下げています。
内容はもはや哲学の世界で、解説書とはいえ、非常に難解です。どこまで整理できるか、時間もかかると思いますが、整理してみたいと思います。しばらく、お待ちください。
2.3.道元の禅宗批判
以上のように、道元の主張する正伝とは、釈尊の教え(正法)が摩訶迦葉に伝えられ(<拈華微笑>)、何代もの祖師を経て二十八代の達磨にまで伝えられ、さらに道元がその正法を受け継いで日本にまで伝えたということになります。それは道元が創造したものではなく、禅宗(細かくは曹洞宗)において信じられたきたことを、道元が踏襲したものと言えます。
ところが、道元は自らが曹洞宗に属するという意義をもたず、これを拒否し、当時中国にて確立していた5つの禅宗の宗派(五家)の区分はもちろん、禅宗という称もおかしいと、これを拒絶しています。
その理由について、本書にも明確な解説がありませんが、道元の次の言葉を参考に示しておきます。
「しるべし、この禅宗の号は神丹(震丹しんたん、中国)以東におこれり、竺乾(じくけん、インド)にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山(すうざん)の少林寺にして九年面壁(めんぺき)のあひだ、道俗いまだ仏正法を知らず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代々の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、ざのことばを簡して、ただ禅宗といふなり」(『正法眼蔵』「弁道話」より)
「仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心、みだりにこれを禅宗と称す、祖師を禅師と称す、学者を禅子と号す。あるひは禅和子(ぜんなす)と称し、あるひは禅家流の自称あり。これみな僻見(へきけん)を根本とする枝葉なり。西天東地(さいてんとうち)、従古至今(じゅうこしこん)、いまだ禅宗の称あらざるを、みだりに自称するは、仏道をやぶる魔なり。仏祖のまねかざる怨家(おんけ)なり」」(『正法眼蔵』「仏道」より)
「禅那は諸行のひとつならくのみ、なんぞもて聖人(しょうにん)をつくすにたらん」(同上)
また、道元の批判は<不立文字><教外別伝>(以心伝心)に及び、ここでは、正伝の内容がただ<心>であるとか、<教え>を含まないというのは「学道の偏局」である、としています。さらに、道元の批判は禅宗の長老にまで及んでおり、特に*四料簡や*五位を学道の標準にすることの間違いを、師如浄からつねに教えられたと繰り返し述べています。
*四料簡(しりょうけん):臨済玄義の機根や時と場合に和した弟子を教導する4つの方法
*五位(洞山の五位):曹洞宗の開祖洞山良价(807-869)が説いた五つの禅の境位(思想や解釈の位置づけといった意味)
2,4.証上の修
(1)行持は道環
<行持(ぎょうじ)>とは、修行者の日常の行為全般(行住坐臥)指す用語で「修行」というにぼぼ等しいものです。
道元は「行も禅、坐もまた禅」「参禅即行持」であるとしています。また、「行住坐臥すべてが仏の行為であり、<行仏(ぎょうぶつ)>であるという意味で「行仏の威儀」ともよべる。あるいは「発心・修行・菩提(さとり)・涅槃」という一生がすべて行持である。悟ってもなお行持はつづく。行持に休止はない(「行持は道環」)。」と、説いています。
以上は、『正法眼蔵』「行持」の巻に説かれているものですが、この巻では、行持は諸仏の行持をまねること、ならうことであり、そこに仏の道があらわれる、としています。さらに、行持を歴代祖師について取り上げており、学道に励むものたちへの手本としています。
ここには道元のいう「行持」が、行持即正伝という仏法の本質にかかわるものであることが知られます。
(2)行持は報恩
「行持」の巻後半で、道元は、この世俗の恩愛を断ち切って行持することが、実は仏祖の恩に報ゆるゆえである、としています。
道元は説く「『いま田夫農夫、野老村童までも〔仏法〕を見聞する。しかしながら(たたひとえに)祖師(菩提達磨)航海の行持にすくわるるなり』・・・初祖の恩だけではない、二祖(慧可)がもし行持せずば『今日の飽学措大(ほうがくそだい*)あるべからず』まさに、いま<見仏聞法(けんぶつもんぽう)>できることは『仏祖面々の行持より来れる慈恩』である。『仏祖もし単伝せずば、いかに今日にいたらん』」、と。行持は報恩行であるとしているわけです。
*飽学措大:学道にあきるほど恵まれた中でさとりという大事を終えることができること。
(3)証上の修=不染汚の行持
①「報恩の行」の意義
行持が、行住坐臥、発心・修行・菩提(さとり、成道(じょうどう))・涅槃であり、仏作・仏行であるということは、以上のように「報恩の行」ということに落着しましたが、これは裏を返せば、道元の宗教の本質といわれる<証上の修(しょうじょうのしゅ)*1>、あるいは<修証一如(しゅしょういちにょ)*2>ということにほかならないことになります。「悟った後でなにゆえ行を必要とするのか」の道元の参学の出発点となった疑問、その答えがここに与えられているわけです。
*1証上の修:悟後の修行。悟ったとでもなお修行すること。
*2修証一如:さとりと修行は一つ、という意味。
②不染汚の行持と坐禅
道元は『正法眼蔵』「弁道話」で<証上の修><修証一如><本証妙修>(<証上の修>に同じこと)について詳しく説いています。
そこでは「修のほかに証をまつおもいなかれ」と教えています。つまり、<修証一如>ですから、修行の結果として悟りを待つ思いを持ってはいけないと教えているわけです。悟りは終わりなく、悟りは修行そのものなので、修行にはじめないと説いているのです。
このことは、もとは六祖慧能と南岳の問答(内容は省略)に帰着するものですが、それは<不染汚(ふせんな)の修証*>の名で道元が説いているもので、そのもっとも具体的なあらわれが坐禅だ、とするのが道元の宗教の一番のかなめとなっています。「坐禅は習禅にあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」(『正法眼蔵』「坐禅儀」より)
ではなぜ坐禅なのかは、道元自身の只管に打坐して身心脱落したという体験が、本証妙修を確信させたわけで、「わからなければ、坐ってみろ」というほかないわけです。その意味では、行持が報恩だというのも体験抜きにはいえることではないのです。
*不染汚の修証:「染汚」とは分別をもって対象を判断することで、したがって「不染汚」はとらわれない心境で修行する必要性を説いている。
以上で、(2.「正伝」の意義」)を終えます。当然、本著ではさらに詳細な説明がされていますが、ポイントと思われる個所を抜き書きして整理してみました。
ここまでで、道元の仏教思想のポイントがかなり整理できている、もっと言えば、これである意味十分だとも思いますが、
本著ではさらに、道元の思想の中心をなす『正法眼蔵』「現成公案(げんじょうこうあん)」の巻の内容を掘り下げています。
内容はもはや哲学の世界で、解説書とはいえ、非常に難解です。どこまで整理できるか、時間もかかると思いますが、整理してみたいと思います。しばらく、お待ちください。