ソースから
来日する中国人たちの行動パターンが最近、変わりつつある。単に「爆買い」をしなくなったとか、日本文化を堪能する「体験型」観光への移行とかいった話ではない。東大や京大などへの進学をめざし、日本企業への就職を希望する中国人エリートが増えてきているというのだ。経済大国を自任するようになった中国人、なかでもエリートとされる人々がなぜ、日本を目指すのか。中国の取材を続ける中島恵さんが意外な事情を報告する。
変貌する「爆買いの中身」
もうはるか昔のことのように思えるが、2015年の流行語大賞に輝いたのは「爆買い」だった。それを象徴するように、同年の中国人観光客は約500万人に達した。日本政府観光局のデータによると、16年も前年を上回るペースで中国人観光客数は増加している。
というと、一部の日本人から「えっ? もう中国人の爆買いブームは終わったんじゃないの?」という声が聞こえてくるが、そうではない。確かに、円安・元高という為替の追い風がなくなり、中国政府が海外で購入した高級品にかける関税を引き上げるなど、「爆買い」ブームの足を引っ張るような出来事が増えた気がするが、実際、中国人観光客は減るどころか増えているのだ。
だが、「爆買いの中身」は16年になって大きな変貌を遂げていることをご存じだろうか?彼らが望むものは、日本のモノやサービスだけにとどまらない。私たちが想像もしていないほど広範囲にまで広がっているのだ。
たとえば、日本の高級温泉旅館でゆっくりお湯に浸かり、茶道や華道の手ほどきを受け、スキーやダイビングに興じ、浴衣を着て花火大会を見物し、歌舞伎を鑑賞する――という具合だ。
しかし、ここまでなら、すでにメディアなどを通じて「知っている」、あるいは街角でそういう中国人を「見かけたことがある」という人もいるかもしれない。中国人は経済的に豊かになったものの、中国ではまだ手に入らないものがたくさんあり、逆に日本には、中国には存在しないもの、魅力的なものがたくさんある。そこで、「体験型の観光」にまで食指を伸ばしているからだ。
だが、話はそこで終わらない。日本人にはちょっと信じられない話だろうが、彼ら中国人の中でも、大学を卒業し、一流企業などに勤務する感度の高いエリートたちの間では、もっと深く日本にコミットしようとする“新しい動き”が静かに始まっているのだ。
まどろっこしい言い方はやめよう。つまり、彼らの興味は、日本への短期滞在だけでは飽き足らず、「日本の生活者となる」というところにまで移行してきているというのがこの記事の主題だ。
目指すは東大、京大、そして日本企業
私はこのほど出版した新刊『中国人エリートは日本をめざす』の取材の中で、中国人エリートたちが取っている行動の大きな特徴を二つ掴んだ。
ひとつ目は「爆留学」だ。独立行政法人・日本学生支援機構(JASSO)が行った「留学生に関する調査」(2015年度、図を参照)によると、在日中国人留学生数は約9万4000人と、全留学生中トップだった。全体の45%を占めており、実に留学生の2人に1人が中国人という計算になる。
もちろん、人口が多く、隣国であるため、これまでも日本に中国人留学生は多かったし、特筆すべきことではないのだが、近年の中国人留学生には、ある傾向が見られることがわかった。
それは、目指しているのが「東京大学」や「京都大学」「早稲田大学」といった難関校ばかりで、しかも、そこに合格するための進学予備校まで日本に多数、存在しているということだ。今の中国人留学生にはかつてのような苦学生のイメージはまったくなくなり、「爆買い」現象同様、「爆留学」といった様相を呈してきているということである。東大、早稲田の留学生の約5割が中国人。これが実態だ。
中国人は東大を目指す
二つ目は「爆就職」だ。数年前に多く見られたコンビニ、居酒屋でアルバイトする中国人は減少し、日本を代表する銀行や商社、大手企業に中国人のホワイトカラーが就職している。
厚生労働省の調査によると、15年末時点で、在日中国人は約66万6000人。在留資格別に見ると、「技術・人文知識・国際業務」ビザの取得者は約6万人に上っている。「医療」「教育」「教授」ビザの取得者も増えており、ありとあらゆる業界、業種に中国人が広がってきている。
日本の労働市場というと、長時間労働や硬直化した雇用制度など、ときには「ガラパゴス化している」「世界標準ではない」といったネガティブな評価も見受けられる。しかし、中国人から見れば、決してそうではない。
いかに中国経済が猛スピードで発展しているとはいえ、中国企業にはまだあまり導入されていないきめ細やかな研修制度や、世界各国に張りめぐらされた支社・営業所のネットワークなどが日本企業にはある。これらは戦後、日本企業が長い年月をかけて築き上げてきた貴重なものだ。
「日本を乗っ取ろう」?
東大駒場キャンパス内
東京にある大手企業に就職したある中国人ビジネスマンは「組織としての仕組みが出来上がっている日本企業でじっくり教育してもらって、一人前のビジネスマンになりたい」、「世界ブランドを持つ日本企業に就職して、国際的に活躍したい」と熱く語ってくれた。
そこには決して、日本の一部メディアで叩かれているような「日本を乗っ取ろう」とか「日本の技術や情報を奪い去ろう」といった考えは存在しない。彼らのほとんどは、純粋に日本に憧れ、日本で学び、日本で働き、自分の人生をもっと充実したものにしたいと思っているだけである。
さらに本心をいえば、留学や仕事、買い物をするだけでなく、「自分も日本で、日本人みたいな暮らしをしてみたい」とささやかな願いを持っているだけなのだ。中国で日本のような「穏やかな日々の暮らし」を手に入れられるのは、まだ限られた一握りの人しかいないからだ。
国家だけを見れば、南シナ海問題などで横暴な態度を取ったり、アメリカと並んですでに超大国として猛然と振る舞ったりしているように見える巨大国家・中国。そこで暮らす人々も「爆買い」に見られるように、日本人には「金満」「成り金」的に見えるときがある。だが、実際に中国人エリートたちの生の声を聞いてみると、驚くほど違う意見が耳に飛び込んでくる。
「日本人は本当に幸せですね……」。取材のときにこの言葉を聞いたとき、私は胸が詰まってしまい、すぐに次の言葉が出なかった。
彼ら中国人エリートたちの言葉を借りるならば、日本は(中国に比べて)「できすぎた国」、日本人の生活は「理想的」。ひとたび日本にやってくれば、毎日楽しくて仕方がない。夢のようなワンダーランドなのである。
そんなに日本はいい国なのだろうか? 海外暮らしをした経験がないとにわかには信じられないが、ある中国人はぼそりとつぶやいた。
「日本こそ、私たち中国人にとっての楽園なんです」――。
そこには、日本にはなかなか伝わってこない、厳しい中国社会の現実が隠されている