たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ローマ帝国の滅亡

2013-07-07 15:05:29 | 古代

 映画「ローマ帝国の滅亡」を見た。映像が最高に美しい。ローマ軍団が行進する様子が当時そのままに再現されている。背景には、山中に、古代の城塞が、おもおもしくそびえている。

 

「人類の歴史で最も幸福な時代」と言われた五賢帝時代に、ローマ帝国は既に抜き差しならぬ問題を抱えていた。そういう場面から映画が始まる。

 

開始のナレーションが語る。「ローマ帝国の滅亡の原因について、多くの人が興味を持ち、研究もなされてきた。思うに、滅亡の原因は結局、一つではない。いくつかの原因によるものと結論できる。」

 

物語の時代は二世紀後半、西暦180年、マルクス・アウレリアス帝の時代である。

 

ローマ帝国の黄金時代に、皇帝アウレリアスが登場する舞台は、南国地中海に近いローマではなく、はるか北方、アルプスの山中である。映画では、たびたび雪が降る場面が映し出される。

 

ローマ全盛の時代に,皇帝が住んでいるのは、雪の降る北国の山中にある城塞である。映像は、遠い過去の時代の一つの側面を、しかも重要な側面を、一瞬にして理解させてくれる。

 

この時、アウレリアス帝は雪の降る南ドイツで、ゲルマン民族と戦争をしていたのである。この時相手にしていたのは、ゲルマン民族の支族のひとつ、ババリア族である。                    

 

ドイツの歴史を勉強していると、バイエルンのことをババリアともいうので、慣れるまで苦労しましたが、この映画を見て、バイエルン地方はババリアという名前で、歴史に登場していたのだと、納得しました。

 

塩野七生の「ローマ史」は少しずつ、ゆっくり読むとして、今回はウィキペディアで、この映画と関連する部分だけ、復習しました。以下に引用します。

 

ウィキペディアからの引用開始

ーーーーーー

ローマ帝国の滅亡』(ローマていこくのめつぼう、原題:The Fall of the Roman Empire)は、1964年アメリカ映画

あらすじ[編集]

領土を拡大するローマ帝国五賢帝時代には拡張の限界を迎えざるを得なくなった。蛮族ババリアと東ペルシャはいまだローマに屈してはいなかった。

病床のアウレリウス帝は後継者の選定に悩んでいた。息子のコンモドゥスはあまりに暗愚であり、有能な軍団指揮官リヴィウスに禅譲する以外ないと考えるようになった。しかしながら、後継者を指名する以前にアウレリウス帝は盲目の侍従クレアンデルによって暗殺され、慣習によってコンモドゥスが帝位を継承することになった。-----引用終了

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ベルギー印象派の画家クラウス

2013-07-07 08:55:56 | 文化

 エミール・クラウス

《レイエ河畔に座る少女》

 

gooブログのジャンル別「レビュー/感想・絵画」を開いたら、新着フォトの中に、気に入った絵があったので、クリックしました。

 

開かれたのは、「マスミンのピアノの小部屋」というブログで、ページの題は「エミール・クラウスとベルギー印象派展」へ、でした。

 

「エミール・クラウスとベルギー印象派展」のホームページへのリンクがあったので、開いたら、展示作品がいくつか紹介されていました。その一つを当ブログにコピーしました。(冒頭の絵です)

ブログ「マスミンのピアノの小部屋」でも、クラウスの作品をいくつか紹介しています。

 

エミール・クラウスという画家について、私は、見るのも聞くのも初めてですが、展覧会のホームページと「マスミン」のブログで紹介されている絵を見る限り、私の好きな部類の画家のようです。展覧会に行ってみたいのですが、会場の東京は遠いので、あきらめます。

 

エミール・クラウスはゴッホ・ゴーギャンと同年代の画家ですが、「後期」印象派の道に走らず、「前期」印象派の画風を守り続けたような気がします。機会があったら、作品を見たいのですが....

 

ところで、マスミンがブログで最初に紹介したのは、クラウスの絵ではなく、ピサロの絵でした。次のように書いています。「最初に、これはいい、と思ったのは、ピサロの[秋、朝、曇り]だった。」

新着フォトで紹介されていたのも、その絵でした。

 

つまり、私がこのブログを書くきっかけとなったのは、ピサロの絵でした。ピサロについては、稿を改めて書きます。 

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