ダラアの中心部にあるモスクは、反対派の拠点となっている。3月22日の夜、治安部隊はモスクの掃討を開始した。しかし反対派は「要求が受け入れられるまでは、モスクに留まる」つもりであり、モスクを守る決意は固い。掃討作戦は予想外にはかどらず、翌朝陸軍は部隊を増強した。モスク掃討は本格的な作戦になった。
一般市民をモスクから追い出すために、これだけ大げさな軍隊出動は不可解である。しかも、陸軍最精鋭の部隊まで投入している。この疑問に答えるような報告はなく、反対派や住民の報告と政府発表から、切れ切れの事実を知るのみである。
冒頭の写真と次の写真には、普通の市民に交じって、覆面をした闘士ががいる。少数の熱血漢がいることは確かである。
CBSがダラアの反乱についてまとめており、23日早朝から25日までの部分を訳す。
====《How schoolboys began the Syrian revolution》========
3月23日の未明、治安部隊がオマリ・モスクを襲撃した。ダラアの抗議運動は拡大し、人々はオマリ・モスクに結集していた。部隊兵は閃光弾をモスクに投げてから、銃撃を開始し、5人が死亡した。前日までに負傷した人々を治療していた医師も死亡した。
地元の住民によれば、この襲撃を行ったのは、特殊部隊である。多くの人が、第4師団所属の特殊部隊だと言っている。第4師団を率いているのは、大統領の弟のマヘル・アサドである。
ダラア市長とダラアの治安部隊の長官が転勤させられたが、住民の怒りは消えなかった。
落書き少年の親戚である28歳のモハンマドが語る。「なぜアサド大統領本人がダラアに来ないで、代理を寄こしたんだ。大統領が直接人々に謝るべきだった。我々は100%シリア人だ。彼は我々に対し、心からの同情と敬意を示すべきだった」。
《葬儀後の抗議集会》
ダラアの抗議は指数的に増大し、シリアではおきまりの悲劇となった。前日死んだ者たちの葬儀は、政権に抗議する集会に転化し、さらに多くの人が集まった。治安部隊が発砲し、前日より多く人が死んだ。その結果次の葬儀に集まる人の数がさらに多くなることは間違いなかった。これが現在のダラアで進行している抗議のパターンだ。
3月24日、政府は政令を発し、税金を減額し、公務員の月給を1500シリア・ポンド(32.6ドル)増額した。
翌日(25日)、葬儀に集まった数万人の市民が、「我々がほしいのはパンではなく尊厳だ」。治安部隊が発砲し、15人の死者が出た。
怒った抗議者たちの一部の者が、ハフェズ・アサド前大統領の彫像を引き倒した。ハフェズ・アサドは現在でも大部分のシリア人の心に、恐怖を呼び起こす。
彼の息子である現大統領バシャール・アサドの肖像がは破られ、燃やされた。
この一週間に、ダラア市とその周辺での抗議運動で死んだ者は55名である。
全国で、ダラアへの連帯が合言葉となった。「われわれの精神と血をダラアにささげる」
===============(CBS終了)
23日について、ニューヨーク・タイムズは、モスク攻撃を行ったのは陸軍であり、兵が増強されたと書いている。
=======(Protesters Are Killed in Syrian Crackdown》=====
シリア南部のダラアで、治安部隊はデモの鎮圧を続けている。
6人あるいは15人が死亡したという報告があるが、ダラア市は封鎖されており、連絡が難しいので、死亡者の正確な人数は不明である。しかしダラアで一週間続いている民主化運動で最も多い死者が出たことは確かなようだ。活動家とインターネットの報告によれば、死者の数はもっと多い。
23日の早朝、シリア陸軍はダラアの兵を増やし、デモの鎮圧を開始した。陸軍の部隊は、オマリ・モスクとその周辺に集まっている人々を攻撃した。オマリ・モスクは市の中心部に位置しており、抗議する人々の拠点になっている。
部隊は催涙弾と実弾射撃で群集を解散させようとした。負傷者を治療していた医師、アリー・モハメドもこの時死亡した。この日の午後、彼の葬儀があり、数千人が集まった。その中の一部の者が市の中心部に戻ろうとしたが、少なくとも1名が死亡した。
この日1日で15名死んだと、APが伝えている。4人の死体が治安本部の近くに横たわっていた。
シリア国営テレビは以上の報告と異なる場面を放映している。
治安部隊がオマリ・モスクから人々を追い払った後、モスクには銃、手りゅう弾、弾薬,現金が残されていた。国営テレビは市民4人が死亡したと伝え、彼らは武装した暴徒であり、救急車を襲おうとした、と説明した。
国営放送SANAが伝えた。「暴徒は医師、医療スタッフ、救急車の運転手を殺害した。治安部隊は、これらの攻撃な暴徒者に発砲し、数人を負傷させた。
50年前に敷かれた戒厳令は政治集会を禁止しているにもかかわらず、先週いくつかの都市で抗議運動が起きた。その中でダラアのデモが最の大きく、18日と20日、数千人が街頭に集まった。これらの人々は政府の建物に火をつけ、警官隊と衝突した。数人死亡したと報告されている。
オマリ・モスクのイマームであるアフメド・サヤスナががアル・アラビーヤに語った。「モスクの中に武器はなかった。現在警察がモスクを占領している」。
YouTubeの動画では、モスクの拡声器が「自国民を殺す者などいない。諸君は我々の息子であり兄弟である」と呼びかけている。少し離れたところを、武装した部隊が走っており、銃声と助けを求める声が聞こえる。
この記事の印刷版は3月24日に発表された。
======================(ニューヨーク・タイムズ終了)