ダラアでは、3月18日に6人の死者が出てから、政府は事態の鎮静化に努めた。しかし22日の夜、治安部隊は反対派の結集点となっているモスクを強襲し、22日の夜までに30名の死者が出た。25日に再び多くの死者が出て、22日夜から25日までの死者数は約45名となった。政府軍が死体を持ち去ることもあり、死者数はもっと多いかもしれない。
==《CNN : Dozens of Syrians reported killed in Daraa》=====
3日間に多くの市民が虐殺されたので、シリアの法律家グループが国際刑事裁判所に訴えた。( Haitham Maleh Foundation for the Defense of Syrian Human Rights Defenders)
しかし国際刑事裁判所はローマ規定を批准していない国の訴えを受け付けない。シリアはこれを批准していない。例外的な措置として、国連の安全保障理事会が国際刑事裁判所に訴えることができる。しかしロシアが拒否権を行使すれば、これは実現しない。残された唯一の道は自分たちで革命を成功させ、臨時政府を樹立することである。しかしこれは危険な道であることが後に判明した。
「ローマ規定」は人権を重んじる国々が結んだ条約である。改めてシリアが民主主義諸国の一員ではないことを痛感させられる。
人権無視の抑圧体制から解放されたいという国民の願いは強い。デモをしただけで多数の市民が銃殺され、国民の不満は怒りに変わった。
「現在のシリアは、火がつけば爆発する火薬庫のようだ」と、ダマスカスの人権派弁護士ヘイサム・マレーが語る。「もう我慢の限界だ。我々はこれまで治安当局の抑圧と弾圧に服従してきた。失業率は30%を超え、住民の60%が貧困基準以下の生活をしている」。
====================(CNN終了)
[政府はダラアのデモの原因である貧困問題の解決に取り組む」とブサニア大統領報道官が述べた。
この報道の後のデモで、ダラアの市民は「ブサニア! 我々が要求しているのはパンではない、人間としての尊厳だ!」と叫んだ。
ダラアの市民は圧制からの解放を第一の要求としているように見えるが、やはり貧困問題が背景にある。政府系企業の繁栄と裏腹に、少雨による干ばつの被害に苦しむ農民は、見捨てられた。
秘密警察の監視下の生活は牢獄に近く、これに貧困問題が重なり、、シリア内戦の原因となった。
26日についてアルジャジーラが書いている。
=====《Anger in Syria over security crackdown》======
シリアでは、25日の弾圧にもかかわらず、26日ダラアの市民は再び結集した。死者が増加しているにもかかわらず、彼らは抗議を続けることを誓った。
3月後半シリア各地で起きた一連のデモの背後には、フェイスブックのグループがいる。彼らが運営する「シリア革命2011」というサイトには、86,000の読者いる。このサイトが26日のデモを呼びかけた。
そして26日、このサイトは「今日、シリアのすべての県で デモが行われた」と書いた。
実際各地で多くの人が死者の葬儀に集まった。
アルジャジーラのザイナ・フドルがダラアについて報告してきた。彼女はダマスカスを拠点にして、シリア各地の情報を収集している。
「多くの市民が殺され、ダラアの市民は怒っている。政府が彼らと和解するためには、非常に多くの努力が必要だろう」。
政府は前例のない窮地に立たされており、再び譲歩をせまられた。
25日サイドナヤ刑務所から260名の政治犯を釈放した。
人権派弁護士によれば、この時釈放されたのはイスラム主義者である。彼等は刑期の3分の2以上を終えているので、釈放の資格がある。しかし政府はこれまでこの資格を考慮したこと伯、満期以前に釈放された者はいない。
===================(アルジャジーラ終了)
釈放された260名が最近のデモで逮捕された人たちなら、政府の譲歩と受け止められたかもしれない。しかし最近の逮捕は特別なものではなく、同様な理由で収監されている者は数千人である。(この時期の政治的な収監者数はわからないが、2013年3月には3万7245人。)本来政治犯全員が釈放されるべきであるが,260名だけ釈放した。政府は法に従い、刑の満期終了に近い者たちを釈放した。
しかしシリア政府はこの時故意にアルカイダ系の人間を釈放したとする説がある。
実際に、釈放された260名のほとんどが、アルカイダ系やジハード思想の持ち主である。彼らは後に政権にとって最も手ごわい敵となり、多くの政府軍兵士の命を奪い、政府軍を弱体化させることになる。
この時釈放された者は、ヌスラ、アフラール・シャム、ジャイシュ・イスラミーヤの中核的なメンバーとなっている。
ヌスラの指導者アブ・ムハンマド・ジュラニもこの時釈放されたといわれている。
========【ファトフ・シャーム戦線(旧ヌスラ戦線)】=======
2011年の3月にシリアで反体制運動が起きると、アサド政権当局は、アルカイダとの関係やジハード主義思想が疑われて収監されていた容疑者全員を釈放する。その中に、アブ・ムハンマド・ジュラニ(ジャウラニ)こと、アフマド・シャラ氏もいた。
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政権はこの時故意にイスラム主義者を釈放したとすれば、それは信じられないような術策である。シリア政府の、このような陰謀は常人の理解を超えている。
〈釈放された政治犯は70人?〉
ロイターは、3月25日釈放された政治犯の数を70人としている。
BBCによれば、10日前ダマスカス市内のデモの際に逮捕された17名が、3月27日追加釈放された。