3月25日、全国的なデモがあり、多数の死者が出た。死者の数が多かったダラアとサナメンについてはすでに書いた。ラタキアとホムスでもそれぞれ1名死亡したが、詳しいことは分からない。この日死者が出たことで、26日ラタキアで再びデモが起き、デモと治安部隊の双方に死者が出た。
ダマスカス在住の青年が2011年1月ー3月30日のシリアについてまとめている。その中で3月26日のラタキアの事件について「何種類もの目撃証言がある」と書いている。シリア国民も何が事実かわらず、混乱している。
また彼は3月25日ダマスカスのデモに参加しており、治安部隊の対応を自ら体験している。「数十人のデモを数百人の治安部隊が取り囲んだ」という話は漫画的であると同時に、シリアの異常性を象徴している。第三者から見ると滑稽だが、デモに参加する者にとっては恐怖だ。逮捕後は拷問を受け、死に至る場合もある。釈放されたものの、口がきけなくなった、というような後遺症が残る場合もある。
==========《シリアの安定神話》===========
The Myth of Syrian Stability : By MUSTAFA NOUR
ニューヨーク・タイムズ 3月31日 2011年
シリアを旅行した外国人はタクシーの運転手や商店主の言葉をしばしば引用する。「この国は治安がいい」。実際シリアは周辺国に比べ安定している。しかし私の周りの人間は自国を決してほめない。
治安の良さは自由がないことの裏返しだ。自由より治安のほうを選んでいるだけだ。シリアでは自由は厳しく制限されており、1963年以来戒厳令下にある。政治警察が常に国民を監視し、体制に批判的な者を容赦なく罰する。政治について意見を言うだけで逮捕され、投獄される。投獄を免れても、旅行が制限される。
実際私は2つの治安機関から制限を受けている。一つは旅行制限で、私はシリアを出られない。私が隣国で開かれた人権をテーマにする会議に出席したからだ。
自由がないことに国民は不満だったが、表面的にはシリアは平穏だった。1月北アフリカで革命が起きた時も、シリアの政権は自信を持っていた。アサド大統領は自分は真の改革を実行したと信じていた。ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューに対し、彼は述べた。「シリアの政府は国民と直接対話し、『開かれた社会』を実現した。それ故シリアでは革命が起きない」。
大統領は自信を持っていたが、治安関係者は革命の波及を恐れていた。2月初旬シリアでも、北アフリカの革命の犠牲者をしのぶために人々が集まり、ろうそくをともした。警察官が彼らを暴力的に取り締まった。その後デモや集会の規制を強め、改革要求はイスラエルや反対派の陰謀という主張を繰り替えした。
抗議はダマスカスの中央広場で始まり、南のダラアに移った。
3月22日の深夜治安部隊がダラアのモスクを襲撃し、その際有名な医師が死んだこともあり、モスクを守るため、市内中の市民が駆け付けた。モスク掃討ははかどらず、陸軍の精鋭師団が投入された。このモスク攻防戦で多くの市民が死亡した。
政府はようやく事態が危険な方向に進んでいると、気づいた。大統領の顧問兼報道官は政府の譲歩を示す発表をした。「大統領は平和なデモを認めており、彼らに対する武器の使用を禁じている」。
3月25日私は友人たちと、ダマスカスの旧市街にあるハミディア市場での小さな集会に参加した。我々はたった20ー30人であり、「自由!」と叫んだ。すると数百人の治安部隊が我々を取り囲み、大統領支持のスローガンを叫んだ。我々は市場から抜け出し、旧市街を出たところにあるマルジャ広場にに向かった。するとさらに多くの治安部隊が我々を待ち受けていた。彼らは真っ先に、携帯電話で撮影したり録音したりしている者を追いかけた。その後で、残りの者を棒でなぐった。数十人が逮捕された。彼らはまだ釈放されていない。どこに拘留されているのかもわからない。
その後若者たちが集まってきて、体制支持のデモ行進を始めた。このデモの撮影と録音は許可された。夜には大統領を支持するデモについて放送された。
この日(3月25日)ホムスとラタキアで大きなデモがあり、治安部隊はこれらを残酷に弾圧した。ダラアでは治安部隊の発砲により再び数十人の市民が死亡した。
シリア政府は陰謀論にしがみつき、多くの国民がそれを受け入れた。その結果ラタキアなどでは暴力事件について相反する報告がなされた。26日ラタキアで起きた事件について何種類もの目撃証言がある。
①平和なデモをする市民に治安部隊が発砲した。
②屋上のスナイパーが市民と治安部隊の両方を狙撃した。
③宣伝車が走り回り、異なる宗派間の対立をあおるような情報をラウドスピーカーで伝えた。
人が死んでいるのに、死んだ状況についての説明がまちまちである。
一つだけ確かなのは、政府支持のデモの際にはスナイパーが登場せず、死者が出ない、ということである。自由と改革を求めたり、ダラアの死者のために集会をする者たちだけが、正体不明の武装グループによって攻撃される。政府は彼らを保護しようとしない。政府を弁護する評論家が言うには、治安部隊は発砲を禁じられているので、スナイパーに対し応戦できないという。
政府支持のデモに数百万人が参加したと報道されているが、発砲事件が起きることはない。これらのデモでは、「バシャール、心配するな! 死を恐れない者たちの支持がある」と書かれたプラカードが掲げられる。
たった2-3週間でシリアは急速に流血と混乱に向かっている。「安全で安定した社会」という以前の評判は何だったのだろう。政府は言う、「政権が倒れるなら、宗派対立と争乱が果てしなく続くだろう」。たぶんそうなるだろう。国家と社会を指導するバース党政権はこの48年間何をしてきたのだろう。宗派・民族問題の解決に努力しなかったことになる。
30日の大統領演説は全く期待はずれだった。私が期待したことは大統領の口から出なかった。
①市民に発砲した者たちの責任と処罰
②戒厳令の撤廃
③政治犯の名簿の棄却
④市民の自由を保障するための憲法改正
これらについて何も語らず、彼は権力を誇示するだけだった。議会は彼に忠誠を表明した。大統領は次のことを明言した。「個人の権利や国の将来について請願し、デモをする者たちは平和を乱すならず者である」。
この演説の結果、これまで改革を求めてぃた人たちは、これ以後政権の打倒を目的とするだろう。
================(ニューヨーク・タイムズ終了)
3月26日、大統領報道官が「戒厳令を撤廃する」と発表した時私はそれを信じてしまった。3月30日大統領が「廃止を検討している」と言った時も、もうすぐ廃止されるのだろうと思った。私は見抜けなかったが、シリアの反対派は「これは空約束だ」と見抜いていた。大統領はいったん決心したようだが、情報機関が反対したようである。戒厳令廃止は空約束に終わった。
APによれば3月25日ダマスカスのウマイア・モスクの外で、政府支持派と反対派の群衆が衝突し、皮のベルトで互いになぐり合った。