樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

今私達にできること

2011-03-14 23:27:36 | 日記
被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。
祈るしかできない自分がもどかしい。
前向きに立ち上がり、復興を目指している東北の人たちの
力強さに、日本の将来の希望をみる思いです。

実家の様子を確認して、父とも会い、
土曜日の夜に金沢に帰ってきた。
娘が一人、心細い気持ちでいたであろう。
地震も長野、新潟中越へ広がっていたし、今後
北陸や能登、福井へ広がらないとも限らない。
携帯がつながりにくい状態では、娘一人にして
おくのはかわいそう。
自分が今回ほとんど一人の行動だったため、
怖さが一段と増していたと思う。
やはり誰かとつながっている、ということが
気持ちを強くする。

陸路を予約していたが、道路もなんだかあぶなく
麻痺状態に近かったので、急遽空の便に変更。
羽田空港でも毛布で寝泊りしている人々・・・
                  

家に戻ると
娘はコートを着て部屋に居た。
何でも電力が足りなくなるので少しでも節電しようと、
暖房は一切つけず、電気も極力コンセントを抜いて
節電に努めていた。
ほんの小さなことだけど、彼女なりの支援の現れ。

ヘルツが東とは違うので、直接にはあまった電力を送ることは
できないが、こうして考えていてくれたこと、行動してくれたこと
頼もしかった。できることから行動しよう。

そしてこの晩、
私が小学生の頃作ったように、緊急持ち出し防災ザックを作る。
多少の食料、水、1回分の着替え、エイド品、登山用コッヘル・ガス
軍手、タオル、ファーストエイドの銀色シート、磁石にお守り・・・
これってやっぱり山道具・・・

被災時の対応

2011-03-14 23:14:56 | 日記
3月11日夜
交通網は麻痺
実家に戻ろうか、オフィスにとどまろうか思案した。

10時過ぎに流石、都営地下鉄が動き出し、銀座線も動き出し
うまく乗り継げば実家のそばまで行けることがわかった。

オフィスにとどまろうと、食料と水を確保した後だったが
母のことも気になっていたので、移動することに決めた。
都営地下鉄はホームであふれる人が乗り降りすると危ない、
と改札規制を行っていたが、運賃無料で通してくれて
朝夕のラッシュ以上の込みようであったが、日本人の勤勉さ?
で混乱もたいしてなく移動ができた。

帰宅難民
正にその様子。
地下道には駅員から配られたと思われるダンボールにすわりこむ
人々の列が二重三重になっていた。
動いている交通網に限りがあったので、多くの人たちが帰れずに
ここで一晩明かすのだろう。
道路は渋滞の車とその間を縫うように人々が歩いて帰ろうとする。
御茶ノ水から蒲田まで、三鷹から大崎まで・・・
知り合いらが歩いて帰宅した距離。これでも都内だからましなのであろう。

父はこれまた幸か不幸か2日前に入院していたので、
病院という安全な場所に居てくれた。

この日は母ともども兄の家にお世話になった。
娘は高校から帰れず、高校に宿泊。
21階ににある兄の部屋・・・余震があるたびにゆ~らゆ~らと。

そこで見た
信じがたい津波の映像
日本列島が200メートルも移動してしまったらしい程の
破壊的な力


                
               翌朝の朝日
千葉のコンビナートが炎上していた色と同じだった。

自然の脅威

2011-03-14 22:42:19 | 日記
突然の出張で、3月11日(金)東京にいた。
羽田から霞ヶ関へ行く途中、新橋の駅
地下鉄に乗ろうと切符を買おうとしているときだった。

ぐらっ と第一弾
あれ~私目が回ってる?と思い回りを眺める。
東京に長く住んでいたので、割と茶飯事だった地震、
慣れと言うか、ああ、また地震か、位の余裕だったのに
なんだか目のずれがひどくなった。

周りの人もなんだか様子がおかしい、
地下に閉じ込められるのはごめんこうむりたい、と階段へ向かう。
階段を駆け上ろうとするが、ゆれる船の階段を登るよう
手すりがないと駆け上がれない。
あがったところは新橋のJR高架下。
これまた崩れたら危ない、と判断して広場へ駆け出した。

大勢の人が集まり携帯を片手に上を見ている。
ビルや電柱がゆらゆらと揺れている。
こんな光景は初めてだった。震度いくつかわからず空を眺めていると
周りに居た人が、直下型でなくてよかった、じゃなくてこの大きさだから
震源地はすごいことになっているぞ、と聞こえる。

                
時間もあったので、霞ヶ関まで歩くことにしたが、歩道には
地下から出てきた人たちがあふれていて、地震の話。
そんな話を情報として聞きかじりながら、用事のあった金融庁へ。

用件は12階
エレベーターは当然止まっているので
非常階段を上がるが、上からは職員が避難のためか多く降りてくる

途中また船の中
ぴしっぴしっ、ミシミシっと音がする。
職員の方々が非常階段の扉からたくさん現れる。
揺れが収まるまで、その扉をあけ置くために職員の方と話をしたが、
まったく情報はない。PCがつながらなかった様子。

その後2つの用事を済ませたが、どちらも古い建物で重々しい石の建物
大丈夫か心配になりながら、余震を感じる。

仕事を終了させてオフィスまで行かねばならないが、
タクシーは長蛇の列。
幸か不幸か、この辺は30年近く前仕事をしていたところ。
地理的感覚はあるので歩くことにした。

こんなとき山を歩いていることが役に立つ。
迷うことなく歩くことを選択している自分が居た。

あ~今朝、ふっとスニーカーにしようかと思ったが、
久しぶりに都会へ出るのだから・・・とちょっとヒールのある靴を
選んでしまった。あの時、頭を掠めた思いを大事にするんだった。
でも、選んだ靴はバックベルトで、もう20年は履いている自分の
足にあった靴だったことは少なくとも楽だった。

マグニチュード9
東京は震度5強

先般のNZでおきた地震で発生した地殻のゆがみ
これを地球自身が元に戻そうとする自浄作用が
今回の巨大地震の原因ではないかと、思うのだが。