樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

鯖好き

2017-01-10 21:10:09 | 日記
私は 鯖 が大好き
鮨でも生鯖があれば必ず握ってもらう

2009年7月に福井の友人と鯖談義をしたが、
福井での美味しい鯖はほとんどがノルウエー産だった。

一昨日食べに行った鯖漬け丼の鯖は
八戸産! 銀鯖ではあるが、
脂がしっかりとのった美味しさは頬を落としてしまいそうだった。

塩鯖焼きとおろしそばが定食のお店は福井放送局の真下、
ほぼ敷地内にあったが、
八戸のお店は
デーリー東北新聞社本社敷地内にあった。

鯖とメディアの関係ってあるのかな・・・

八戸のお店は、その名も
新聞カフェx俵屋

15種類もの地方新聞が置いてあって自由に読めるようになっている。
お寿司も日本酒も和のスイーツもありの新聞カフェ

鯖に魅せられた板前さん(俵屋)が新に挑戦したお店らしいけど
やっぱり、鯖とメディアはなにかありそう

美味しければサバイサバイ(笑)

全国ご当地どんぶり選手権

2017-01-08 22:34:51 | 日記

2016年 グランプリに輝いた
八戸沖銀鯖漬け丼


八戸のブランド銀鯖
鯖には目がない私、
美味しくお腹に納めてまいりました!





行きは快晴の中
正面に雪を被った岩手山、右手に早池峰山を眺めつつ
雪のない東北道を北上し
帰りは
久慈へ抜け、三陸沿岸を一直線に南下

復興状況は町によってずいぶんと差があることを
実感しました。

2017年の初詣

2017-01-08 22:24:14 | 日記

1月2日 初詣


東京の多摩川
多摩川線の多摩川駅徒歩1分にある
浅間(せんげん)神社
本社は富士山の麓にある神社で
ここの浅間神社は鎌倉時代のものだそうだ
神社脇には展望舞台があり、対岸のビルが建ち並んでいなければ
富士山が拝める

2日はコートを脱ぐほどの暖かさ
多摩川縁を散歩がてら歩き、母の住むマンションへ向かった。






凧揚げをしている家族を久しぶりに見ながら・・・

ra kra

2017-01-07 23:04:47 | 日記

大人のための北東北エリアマガジン 「ラ・クラ」


岩手・秋田・青森 バージョン

その中の最後のページに記されている「北東北語辞典」
今回は ねんぷに という言葉
 用例:時間あるがら、まあ~、ねんぷにやっぺし
と使うらしい。

慌てずゆっくりと という意味だそうで、陸前高田等気仙地方で使われるとのこと。
 用例解説:まだ時間はあるから、少しずつやっていきましょう
      (でも、着実にやりきろう、という意味が含まれている らしい)

うーむ、難しい。想像もできない意味・・・

ラ・クラに連載されている さんりく巡礼 の筆者 
平谷美樹(ひらや よしき)さんの記事から一部抜粋

 三陸の北部、田老(たろう)が今回のターゲット

『「津波を経験していない者が、心を痛めていつまでも被災地のことを思ってくれるのはいい。だが、ここに住んで、津波にすべてを持っていかれた者は、いつまでもそれでは駄目なのだ」
それは、実際に災厄の日を体験し、力強く生き延びてきた者にしか言えない言葉であった。人が、本当の意味で救済することができるのは、自分自身だけである。立とうと思った者しか立てないのである。自らの力で立ち上がり、まだ立ち上がれない人たちを励ませるのは、つまり、一度倒れたことのある人なのである。
 前述の人物の言葉は、まだあの災厄の日の中にいて、立ち上がれない人がいるということを意味するのだ。』

『・・・遅々として進んでいないように見えても、復興は多くの人々の力で着実に進んでいる。
 しかし、その道程はまだまだ遠い。』と結んでいる。

まったくその通りだと思う


私では役にたたず、役にたとうと思っていたことさえおこがましさを感じる日々。
明日、成人式を迎える若い人たちがしっかりと立ち、街を引っ張っていってほしいものである。

まさに、ねんぷにやっぺし

山手線と京浜東北線の車内で

2017-01-04 19:23:50 | 日記
東京に上京していた際
JR京浜東北線と山手線に乗った。

車内ドアの上にある、映像画面
この頃は中吊り広告よりこちらをよく見ているのだけれど
あれ~どこかで見た人の顔が・・・
と見続けていたら、
昨年秋に陸前高田で開催された全国太鼓フェスティバルのことを流していた。

チケットが売れなくて苦戦し、それをあちこちで売り歩いていた
島根からの派遣応援職員や同じ宿舎にいる派遣職員の面々が写しだされている。

NHKが全国太鼓フェスティバルのドキュメンタリーを撮って放送したが
その抜粋を流しているものだった。

陸前高田の広報の一環だったのかもしれない。
私のように、理由はどうあれ、おや?って関心を持ってくださる方が
いらっしゃると嬉しい。

今年の3月、震災発生から6年目を迎える