京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

秋の山野草 サラシナショウマ、カシワバハグマ、ミカエリソウ、ノコンギク

2018-10-20 16:49:29 | 花めぐり2018


サラシナショウマ















カシワバハグマ






ミカエリソウ






ノコンギク





ハマギク





キブネギク 赤花八重










キブネギク 白





フジバカマにアサギマダラ





ハギまだ咲いています。





シクラメン










ニワウメ











ボケ







応仁の乱を歩く

2018-10-20 05:29:20 | 京都歴史散策


少し京都の歴史散策をしようと思い、応仁の乱の地を歩きます。
応仁の乱(1467ー77)は御霊神社付近の森での合戦が発端となります。
室町幕府将軍足利義正の世継ぎ問題や、管領畠山・斯波両家の家督紛争などが背景にありました。
幕府の権威失墜もあり、守護大名細川と山名の勢力が対立し、京の町は約11年に及ぶ内乱の地になりました。

コースは京都市考古学協会発行の「京の歴史散策マップ」です。





歴史のおさらい










スタートは京都市考古資料館です。





資料館前に「西陣」の石碑があります。





山名宗全邸宅跡
守護大名山名持豊(宗全)が日野富子やその子(義尚)を擁立して、西に陣を張ったことから、このあたりを「西陣」と呼ぶようになりました。この石標は山名邸跡を示すものです。なお、山名町はその邸宅に因みます。















もう一カ所石碑が近くにあります。





次に向かったのは「百々橋の礎石」です。
百々橋を隔てて東軍と西軍が幾度も合戦を行いました。
昭和38年まであった石橋は洛西ニュータウンの竹林公園内に移され復元されました。
四石の礎石のうち一石は室町小学校の校庭に、一石は小川通り沿い百々橋跡地に残されています。












茶道、表千家、裏千家が百々橋跡の近くにあります。
















本法寺










百々橋跡を下ると本阿弥光悦京屋敷跡の石碑があります。











今出川室町の角に「足利将軍室町幕府跡碑」があります。
烏丸通りをはさんで同志社大学の西向かいになります。
1378年に室町幕府第三代将軍足利吉満が造営した広大な邸宅です。四季折々の花木が植えられた庭園の美しさから「花の御所」とも呼ばれました。室町通りにあったことから「室町殿」「室町御所」とも呼ばれ第八代将軍義政までは将軍邸として、また応仁の乱では東軍の拠点となりました。






大聖寺門跡(御寺御所)
大聖寺は御寺御所とも呼ばれる臨済宗相国寺の門跡尼院です。
境内は室町時代の花の御所跡の一画と言われ、「花乃御所」の石碑があります。
1697年に明正天皇御所の材料を移して作られた庭園(非公開)は京都市指定名勝です。










境内の御車寄せ
京都御所の御車寄せに似て立派です。















室町殿石敷き遺構
同志社大学寒梅館建設に伴う発掘調査(2002)で発見された室町時代後期の石敷き遺構が、調査された同じ場所(校地の北東角)に保存されています。

























応仁の乱勃発の地
御霊神社の前に「応仁の乱勃発地碑」が立っています。
早良親王ほか七柱を祀る神社です。平安遷都以前からこの地一帯に勢力を持った出雲氏の氏寺です。
御霊の森の広がるこの地で、管領畠山氏の内紛が応仁の乱の発端となりました






















御霊神社近くに尾形光琳邸宅のがあります。
江戸時代中期の画家、琳派と称される装飾的画派で有名です。





コース順に歩くと約6.7kmですが、下鴨神社はカットして約5.4kmです。