本日南座のまねき上げ 2018-10-25 15:18:48 | 定年後生活 本日、南座発祥四百年、南座の新開場を記念し、11月から始まる「吉例顔見世興行」のまねきが上がりました。 まねきは大入りを願って、歌舞伎役者の名前を書き入れた看板を劇場正面に掲げることです。 耐震改修工事で2016年2月から休館していた南座にまねきが上がるのは2年ぶりです。 そして新開場を祝い22年ぶりに2カ月連続の顔見世興行となります。 11月公演は1日から25日までで、松本幸四郎さんら親子3代の襲名披露興行となります。 本日の鴨川 床がなくなりました。
聚楽第の散策 4.3km 2018-10-25 05:26:58 | 京都歴史散策 今回の散策は聚楽第です。 かつての平安宮北東部に豊臣秀吉が天正14年(1586)に聚楽第の造営を開始、翌年に完成しました。 掘と石垣に囲まれていた城郭ですが、分禄4年(1595)に秀次失脚の後、秀吉の命により完全に破壊されつくされました。 十年に満たない聚楽第の位置や規模などは長い間不明でしたが、近年の発掘調査でつぎつぎに掘跡や石垣、軒瓦などが明らかになってきました。 それらの調査結果や町名などでかつての聚楽第の位置がほぼ特定されるようになりました。 また聚楽第周辺でも武家屋敷門跡も発見されています。 聚楽第の歴史 今回の聚楽第周辺の散策コース 京都市埋蔵文化研究所発行の京都歴史散策マップ 散策のスタートは晴明神社です。 現在の橋になる前の橋 千利休居士の聚楽第屋敷跡 晴明神社の一角に石碑があります。 聚楽第周辺には当時の武家屋敷があった場所や遺構に由来する町名が残されています。 黒田如水邸跡(如水町) 上杉景勝屋敷跡(弾正町) 児童公園あたりは平安京の一条院跡です。 町屋建築の医院 大内裏及び聚楽第東濠跡石碑 北ノ丸北堀石垣跡は私有地でした。 正親小学校前は本丸掘跡です。 こういう説明板もありました。 またこのあたりは、平安宮大蔵省跡です。 郵便局に近くで東西方向の掘跡が発見されています。 またこのあたりは鍋島加賀守直茂の屋敷跡です。町名は加賀屋町です。 道路に残る2m以上の落差は、聚楽第西外掘によるものと考えられています。 聚楽城武家地、豊臣秀勝邸跡伝承地 そして平安宮内裏蘭林坊跡地 京町屋ゲストハウス このあたりは平安宮内裏承香殿跡です。 平安宮内裏梨壺跡 松林寺 聚楽第南外濠跡です。 平安宮内裏東限と建春門跡 稲荷社の祠横に聚楽第南掘跡の石碑が立っています。 町内 山崎闇斎邸跡 桂昌院殿御生家菩提寺 堀川通りを渡り東堀川通りを北上します。 伊藤仁斎宅跡 江戸時代前期に活躍した儒学者の邸宅と書庫跡です。非公開。 ルビノ堀川には朝ドラで有名になった広岡浅子の生誕地 堀川 終着の一条戻橋 散策距離は4.3kmです。