京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京町屋中京(31)川*家、くろちく百尺足館、てんぷら万天、京都上上もん屋、不明、KAMITOWA、La Machiya、不明2件

2019-10-27 17:53:00 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区続き、第31回です。

新町川*家
一文字瓦、虫籠窓、鍾馗、格子、ばったり床几が揃った、典型的な京町屋です。













隣家宿泊所に改修されたようです。





くろちく百尺足館













てんぷら万天





京都上上もん屋(北観音山保存会所)





建物の前は祇園祭の鉾建て場になります。





飾り付け










祭巡行 辻まわし





不明(表札なし)





KAMITOWA










La Machiya















京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。
駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。
鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明
国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。


京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。





昨日の時代祭 絢爛豪華、生きた時代絵巻

2019-10-27 06:35:58 | 京都めぐり


昨日は「京都三大祭」の一つ時代祭でした。
本来は10月22日ですが、今年は「即位礼正殿の儀」と重なったため、26日に変更されました。
時代祭は京都平安神宮の大祭で、平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まりました。
鳳輦に乗った桓武天皇と孝明天皇の神霊に各時代の行列がお供をし、京都御所を出発し平安神宮に向かいます。
行列は明治維新、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦の8つの時代順に、牛馬を含む総勢約2,000名で構成されています。
綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2,000点になり、京の伝統の技で細部まで再現されています。
私は御池通りで観覧・撮影しました。撮影開始13時、終了14時50分。
時代祭の行列をほぼ網羅しましたので、行列の雰囲気が伝わるのではと思います。

平安騎馬隊が行列を先導します。













時代祭の行列先頭





維新勤王隊列
ピーヒャーラドンドンドンという太鼓・笛で有名な鼓笛隊が先頭を務めます。
明治維新の際、丹波の国北桑田郡山国村(現:京都市右京区京北)の有志が山国隊を組織し、官軍に参加した当時の行装を模したものです。
三斎羽織に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊をかぶり、脚絆、足袋、草鞋をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿をしています。





















幕末志士列
明治維新で活躍した人物が「七卿落」列をはさんで次々と登場します。





桂小五郎 
後の木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と称せられた長州藩士です。





西郷吉之助 
後の西郷隆盛。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、江戸城の無血開城も果たした薩摩藩士です。





坂本龍馬 
薩長同盟の成立や、大政奉還の立役者となりました。志半ばで暗殺されてしまいました。





中岡慎太郎 
同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走しました。





高杉晋作 
松下村塾に学んで久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称せられた長州藩士です。





吉田松陰 略
長州藩士。萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文ら多くの秀才を教育しました。
吉村寅太郎 
天誅組を率いて大和に挙兵した土佐藩士です。




頼三樹三郎 
儒学者・頼山陽の子で、憂国のこころざし深く、同志と集って盛んに幕政の非を叫びました。




梅田雲浜 略
和漢の学に通じ、その徳をもって湖南塾を開き子弟を教え導いた小浜藩士です。
橋本左内 略
福井藩士で、蘭学医学をおさめ、洋学にも通じて時勢に通じていたため、その才覚を認められて藩政に尽力しました。服装は旅姿となっています。

七卿落列










近衛忠熈 
孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入りましたが、後に還俗して関白となりました。
ここでは関白の束帯姿で随身と舎人を従えています。





姉小路公知 
三條実美とともに勤王派として奔走しました。ここでは衣冠の参朝姿です。





三條実萬 
1824年(文政7)に権大納言、1857年(安政4)に内大臣に任じられました。後に梨木神社の祭神として祀られました。ここでは直衣姿です。
中山忠能 
明治天皇御実母の父君。大納言でしたが辞した後に輔弼(天皇の行政を直接助ける職)の大任につき従一位に叙せられました。ここでは小直衣姿です。





江戸時代
徳川城使上洛列
徳川幕府は朝廷の大切な儀式などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。
特にご即位の大礼には将軍家名代が、煌びやかな装いをした多数の従者を伴った豪華な行列でした。
行列の先頭の槍持、傘持、挾箱持の掛け声や奴のパフォーマンスがみどころで、当時の行列を彷彿とさせます。

































江戸時代婦人列
和宮 
仁孝天皇の第八皇女で、江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室。
日本史を通じて、皇女が武家に降嫁し関東下向した、唯一の例です。
ここでは、女嬬(お供の人)たちを従え、近世女御装束(十二単)を身にまとった、宮廷内でのお姿を現しています。









大田垣蓮月 
江戸末期の女流歌人で、文筆のみならず、陶芸にも秀でていました。
後に尼となり連月と称します。ここでは若きの面影を偲ぶお姿です。





中村内蔵助の妻 
富豪の妻。衣装比べの逸話で有名です。
婦人たちは色鮮やかな衣装を身にまとい競いましたが、内蔵助の妻は白無垢に最上級の黒羽二重の打掛けという姿で現れました。
かわりに侍女たちには他の婦人にも劣らない豪華絢爛な衣装をまとわせ、いっそう内蔵助の妻女を引き立てる演出をしました。










玉瀾 
画家池大雅の妻。画人としても知られ、和歌にも秀でた女性でした。





梶  略
玉瀾の祖母で、祇園に水茶屋を営んでいました。女流歌人でもあり、歌集「梶の葉」を編みました。

吉野太夫 
美貌に加え、和歌や俳諧、琴、書道、茶道など数々の諸芸に優れており、人々を惹きつけて離さなかったとされています。また、常照寺に山門を寄進しました。ここでは芸妓の頃の衣装です。





出雲阿 
出雲大社の巫女。歌舞伎の創始者といわれています。





婦人列は頭の先から足の先まで当時の女性ファッションや髪型がそのまま伝えられており、見どころの一つです。
有職美容師によって、和官や太夫・お梶さんなどみな地髪を結ってます。
有職美容師とは朝廷や公家、武家の行事や風俗、装束などの伝統を学び伝えることに携わる美容師のことです。


安土桃山時代

豊公参朝列
豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元)5月の秀頼の初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられ、列はその様相を表したものです。
秀吉はすだれの装具でまとった最高様式の牛車、檳榔毛唐庇車に乗っている設定で、姿は見えませんが、行列の衣装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通でなく、袴をつけ、太刀も武家風です。
また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。
























織田公上洛列
1568年(永禄11)9月、天下統一のため織田信長が兵を率いて上洛した時の様子を表しています。






織田信長
1573年に室町幕府を滅ぼし、天下統一を目前に、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいました。





羽柴秀吉
後の豊臣秀吉。百姓として生まれ、後に織田信長に仕えて頭角を現し、天下統一を果たしました。






丹羽長秀
織田信長の家臣。信長から「長」の字を貰い、「長秀は友であり、兄弟である」と呼ばれるくらい親しい主従関係でした。









滝川一益
織田信長の家臣。





柴田勝家
妻は織田信長の妹のお市の方。





撮影枚数が100枚を超しますので、室町時代以降は次回にさせてもらいます。