JR琵琶湖線野洲駅に着くと先ずタクシーで三上山(432m)の麓、御上神社へ直行した。楼門を入り参拝した後、境内の木立越しに、奥の院がある御神体三上山を仰ぎ見た。三上山は近江のランドマークである。野洲川や琵琶湖の対岸から眺めた秀麗な姿は近江富士の名に相応しい。また、蒲生野を行く草津線の車窓から望む形も、一目でそれとわかる独立丘だ。地理用語では残丘というらしい。今回はこれまでで最も近い山 . . . 本文を読む
【宇佐神宮の成り立ち】その4 八幡大菩薩の顕現1. 菩薩号の奉献護法善神思想を背景に、神身離脱思想は徐々に発展する。神仏習合を先導したのは、八幡宇佐宮だった。神が仏道修行する事で解脱を願う神身離脱思想は、神に菩薩の号を奉る考えを生む。奈良時代末期には、八幡大神への菩薩号の奉献が行われていた。この国では初めてのもので、注目に値する事象だったに違いない。二つの不祥事の後の八幡宮寺(宇佐八幡神宮の神宮 . . . 本文を読む
【宇佐神宮の成り立ち】その3 八幡大神の発展1. 八幡大神の上京・盛大な出迎えと大法要平安時代初期の791年に完成した勅撰史書続日本紀(697年〜791年)は、748年以降の記述の中で八幡神の呼称を八幡大神に改めているという。公に神格が高まったことを示すものと言えるだろう。749年、八幡大神は託宣を発して上京し、東大寺大仏を礼拝する。具体的には八幡大神の禰宜尼(ねぎに)大神杜女( . . . 本文を読む
【宇佐神宮の成り立ち】その2 八幡神の成立1. 八幡神の顕現度重なる抗争の挙句、辛嶋氏は大神氏に屈服する。大神氏は御許山信仰の祭神に「応神天皇」の霊を付加して社殿を創建し、辛嶋氏と共同して宇佐神宮の祭祀をすることになった。この次第により、7世紀末の宇佐神宮に、応神霊と新羅神の習合した八幡神が成立する。宇佐神宮の三柱の祭神のうちの二柱、〈応神天皇〉と〈神功皇后〉の母子の奉斎には、大和 . . . 本文を読む
【宇佐神宮の成り立ち】その1 神奈備(かんなび)の時代1. 宇佐氏の勃興宇佐における初期の信仰は、この地の豪族宇佐氏の「御許山(おもとやま)〈馬城嶺〉」の神体山信仰に始まるとされている。宇佐氏は宇佐平野の中央を流れる駅館川(やっかんがわ)上流域(宇佐神宮から直線距離で約10kmほど南方の山地)の安心院(あじむ)盆地が本拠地で、始め盆地内の妻垣山(つまがきやま)を神体山として信仰して . . . 本文を読む