発意・発案・発言を控えて暮らすことは、自らの考えや意思を成る可く明らかにしないで世を渡ろうとする姿勢である。意識して自分の意思の表出を抑えるのは、常に多数の側に就かんがためであろう。意思表明に対する反発とそれに伴う孤立を怖れるからに違いない。何も発しないで大勢に蹤くなら、反発に遭うことも孤立もない。常に多数派の一員として、自己の存在を保って居られる。そのような生涯を送るのは、さぞかし不満が積りはし . . . 本文を読む
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