嗜好を抑えて暮らすのは辛い。妻と共にスーパーに入ると、思わず足が好物の売り場に向かってしまうのだろう。酒が身体によくないことは百も承知しているからそれを欲しいとは云えないが、菓子の一つぐらいなら許されると思ったに違いない。奥さんは夫の身を気遣って、禁止された食品への嗜好を断ち切らせるために、わざと厳しい態度をとったかそれとも、買い物の度に繰り返される夫の願望に、又かとウンザリしてつれない物言いになったのかもしれない。
またあるときは別のスーパーで、私と同じ年頃の夫婦づれの買物客のやりとりを見聞きして愕然とした。
その店は鮮魚の品揃えが豊富で、魚好きの客が多く集まる。夫人が氷水の中からアジを幾尾か取り出してポリ袋に容れているとき、夫が妻に訊ねた。「それをどうやるの(どう料理するの)?」期待の籠もった問いかけだった。
夫人は「焼くだよ!ナンニモつけずにただ焼くだけ!・・・」と吐き捨てるように言った。(エッ、塩焼きでなく素焼き?)またしても私は夫を心底から気の毒に思った。
しかし、これもよく考えてみれば、その男性は医師から塩分を制限されている 身だったかも知れない。彼女が夫に合わせて自分も塩を使わない不味い焼き魚を共に食べているなら、見上げたものだ。一世紀前なら婦道の鑑であろう。
ふたりの奥さんの夫たちへの邪険な態度は、生活習慣病をもつそれぞれの伴侶に対する愛情から発したものであったと思いたい。間違っても、夫人たちの本音が、夫の嗜好を無視したり、食事をつくることを厭うてのことではないと、切に祈るばかりだ。
3番目に登場する奥さんは、筋金入りの邪険さで、こちらの背筋が寒くなった。
日帰りで、伊吹山バスツアーに参加したときのことである。バス駐車場から山頂を目指して登っていると、後ろから「フン!発作か?」と女性の冷たく乾いた声が聞こえた。
自分たちよりずっと若そうな夫婦連れ。ガッチリした体格のご主人が、胸を押さえストックに縋って、よろめきながら歩を進めている。くだんの声の主は、その人の前を歩く、瘦せぎすの奥さんだった。
発作といえば心臓だろうか?咳こんではいなかった。持病があるのに、妻に合わせて伊吹山に来たらしい。私は震え上がると共に、ご主人の身の安全を心から祈らずにはいられなかった・・・
極めつきは、やはりスーパーマーケットでの、同世代と思しき夫婦の対話である。
近年は遠州灘沿岸のカツオ漁が冷水塊の影響で不漁気味、滅多に好い鰹が店頭に並ばない。
先日珍しく好い鰹が鮮魚売場に並んでいた。価格は稍高めだった。「この鰹、美味しそうだね」とご主人。それに対して奥さんのキツイひと言!「そんな贅沢なもの、食べるつもり?」「・・・?」
酒の肴になるものは、見方によっては贅沢な物である。だが多くの男性をもてなす風俗店のようなところと価格帯が違う。生活に密着したスーパーの食材に贅沢なものはない。
戦争中の「贅沢は敵だ!」の標語でもあるまいに、スーパーの魚選びで贅沢呼ばわりされてはかなわない。不漁で獲れない好物を偶に見つけ、今夕の肴にと選択したご主人の自然な発言に対するこの冷ややかな棘のある言葉はどうだろう・・・
私はこのようになってしまった奥さんたちに共通する心理に、あれこれ想像を巡らしてみた。妻たちは、何が原因で、いつからあのようになってしまったのか・・・?
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