童謡「月の砂漠」(作詞加藤まさお)の作曲者[佐々木すぐる]が、私の通った小学校の校歌の作曲者と知ったのは2年前、その小学校も数年後には中学と統合され校歌は歌われなくなる。
校歌というものは先に詞が作られ、それに曲を付けるのが通例の手順だろう。校歌の性質上、詞そのものはどちらかというと堅苦しいものが多い。したがって、詞の韻律に左右されることを免れない作曲においては、作曲家が自由な楽想を展開するには窮屈にちがいない。生涯に3000曲も作った優れた唱歌・童謡作家にしてもどうにもならないだろう。たいていの校歌が唄ってあまり楽しくないのは、その理由によるところが大きいように思う。
ロシア民謡でおなじみの「カチューシャ」は、正確には民謡ではない。第2次大戦の前年、1938年につくられた歌謡曲だという。進軍歌の目的で作られたものだろうか?ミハイル・イサコフスキーが詩を書き、それにマトブェイ・ブランデルが曲をつけたとされている。佳い詩に触発されて豊かな曲想が湧いた好例だろう。
同じロシアの有名な歌曲に「コサックの子守歌」がある。帝政ロシアの若き軍人ミハイル・レールモントフ(1814~1841)の作曲とされているが、彼が辺境の北カフカス地方(黒海とカスピ海の間の山岳地帯)の先住異民族討伐作戦に従軍していた時に採譜したもので、原曲はテレク・コサックの民謡だったらしい。
27歳で夭逝したレールモントフは、詩に、戯曲・小説に、絵画・音楽に、多彩な芸術的才能を発揮し、軍人としても数々の武功を立てた類い稀な人物だった。21歳の母をわずか3歳のときに病で亡くしていたから、配属先で現地人の子守歌に心惹かれたのだろう。瑞々しい彼の感性は、左遷された北カフカスの地にあっても、風景や諸民族の生活、景色、文化への関心と洞察を失わせなかったようだ。
ロシアではこの曲は4分の2拍子か4分の4拍子で演奏されるのが普通とのことだが、日本ではなぜか4分の3拍子に編曲されたものが一般化している。原曲の音楽風土、曲想を汲まない編曲は何のためにもならない。騎乗を常とする人々の身に染みついたリズムは4拍子か2拍子だろうから、3拍子への編曲は要らざる改変ではなかったかと思う。日本でも、赤子を寝かしつけるには、鼓動のリズムに合わせてトン、トンと2拍子で軽く叩く。トン、タッ、タッでは赤ん坊は眠らない。3拍子の子守歌を作・編曲した人は、きっと赤子を自ら寝かしつけたことがない人だったのだろう。
詞は元歌と無関係な恋の歌に改められたものの、彼女の歌唱力は素晴らしく、聴くものを歌の世界に引き込まずにはおかなかった。このソ連版を加藤登紀子が訳詞して日本での「百万本のバラ」となったらしい。迂闊にも私は数年前まで、加藤登紀子の作詞作曲とばかり思っていた。
「さすらいのギター」とか「Manchurian Beat」の曲名で、60年代にポップスやギター・インストゥルメンタルとして親しまれていた曲がある。これはイリヤ・シャトロフという帝政ロシアの軍楽隊員が、日露戦争で戦死した戦友を悼んで作曲した器楽曲の「満州の丘のモクシャ連隊」が原曲らしい。「満州の丘に立ちて」という曲名もある。日本のシベリア出兵時のこととの異説もある。
原曲の演奏は聴いたことがないが、1963年にフィンランドのロックバンド、サウンズがギター・インスト曲に編曲してリリースしたものは欧米、日本でヒットした。スプートニクス、ベンチャーズなど、当時の人気バンドも競ってカバーしたが、私はキングス・ロードの演奏が秀逸と思っている。このバンドは幻の存在で、YouTubeにアップされなければ、好演奏を聴けなかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます