道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

リニア新幹線

2018年11月30日 | 随想

JRリニア新幹線は果たして科学的な叡智が結集されたものであろうか?とてもそうとは思えない。超電導は先端技術としてイノベーションの可能性があるかもしれないが、線路を敷く地下トンネル工事は、古代から普遍的にあった技術の延長にあるものだ。先進的ではあっても、画期的なイノベーションを引き起こす可能性は小さいのではないか。

赤石山脈は、海底プレートの堆積物が百万年隆起し続けて出来上がった若い地質の、今も年間4ミリずつ隆起している山体である。その底にトンネルを穿ち、品川駅・名古屋駅間を最速40分の高速で人を運ぶ計画の意義を、素人は理解できない。建設工事の難度と、運用後の事故の際のレスキューの困難さを想像するからだ。レスキューも高速という訳にはいかないだろう。

吉本昭の小説「高熱隧道」を読んだ人なら、80年前の昭和11年に、国家的事業として着工された北アルプス黒部川上流での隧道工事(193640)に思いを致して、暗澹たる気持ちになるのではないか。土木工事、それもトンネル工事は常に危険と隣り合わせで、多数の人命が失われてきた。犠牲に見合うだけの意義があってはじめて、工事は歴史的な評価を受けることができる。

当時から80年、全路線の大部分を南アルプスの地下深くに敷設する発想からは、何ら卓越した先見性が感じられない。速さやトンネルそのものの長さは、ギネスブックの対象でしかない。形は民営であるものの、旧国鉄の伝統ある独占的な鉄道事業者の久々の大プロジェクトだ。売らんがための最新技術の研究開発、海底トンネルで培った技術的な自信、諸々の自己顕示欲や関係者の虚栄心の発露などが集積し、事業は進められる。景観に変化を与えなくても、地中深くに改変を加えることは、明らかに自然を破壊する行為であるにもかかわらず・・・

人類は古代以来の凡ゆる夢を現実にし、今や不可逆的で回復不可能な巨大技術に夢を託すようになっている。それは神を欺く行為である。科学や技術を過信しないことを、現代人の信念に据えなければ、巨大技術の横行に歯止めがかからなくなるだろう。世界中でバベルの塔を造り始めたら、収拾がつかなくなるだろう。

科学者は新しい知見をこの世に提供し、技術者は、その応用技術を開発し、自己の存在証明と技術的挑戦、そして究極的には企業の営利の為に、危ない橋を渡る。良心的野心というものであろう。科学・技術と雖も、人が考えて行うことである以上、傲りが入り込むのは免れない。人々に幸福をもたらす反面、傲りによって人々を不幸に陥れる危険は常にある。

技術者たちの夢は、自然破壊という開発に伴う不都合な現実を無視させる。技術の結晶が、将来の災厄の原因となるかどうかは、当の科学者・技術者にも予測できない。原子力発電はそのことを如実に示したのではないか。

この国は近代化にあたって、あらゆる学問に優先して学ぶべき古い学問を、等閑にしてきた。欧米に急ぎ追いつくためには無用と看做された、人文科学の中の幾つかだ。教育そのものを、根本から考え直す時期にさしかかっているようだ。


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