道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

「ぶれる」ことは好いこと

2021年12月02日 | 随想
「ぶれるって、悪いことですか?」

現在の錣部屋の錣山親方は、かつての関取〈寺尾〉だった時代に母上が大好きで、それを仲間やマスコミにマザコンと揶揄され、「マザコンて、悪いことですか?」と世間に疑問を投げかけたことがあった。世間はそれにグーの音も出なかった。さすが名力士鶴ヶ峰(13代井筒親方)の血脈を継ぐ人物である。

子どもが母を慕うのは当然である。それを隠す必要もない。〈マザコン〉と呼んで貶める人達は、自分の気持ちを素直に堂々と表明できないのである。
世間の反省を呼んだのか、それ以来〈マザコン〉という言葉は耳にしなくなった。寺尾はこの悪意のこもったイジメ言葉を、短い言葉で社会から駆逐した。

「ぶれ」という言葉も、ネガティブな意味でよく使われる。したがって「ぶれない」は一般に好いことと歓迎されるが「ぶれる」ことは好くは思われない。政治家などは「ぶれずに粛々と」などと、むやみに格好をつけたがる。粛々の耳触り、聞こえが好いのだろう。

初めから持てる情報が少なく、選択の候補がなくて「ぶれない」こともある。情報が少ないのは、無能で収集力が無いということである。選択肢が用意できなくての「ぶれない」は、断じて褒められることではない。

また、優柔不断で決断力が不足している場合も、外からは「ぶれ」に見える。散々「ぶれ」た挙句、最後には毅然と決断できたのであれば、それは大いに評価しなければならない。

常に個人に外力が働いている社会では、己れひとりが最善の進路を定めて進むことなど出来よう筈がない。進路を堅く定めても、目標に到達するまでに様々な外力の影響を受け支障が生じるのは避けられない。
船で謂うなら、風と潮流の力が常に船体に働いていて、舵を使って調整しなければ船は進路を大きく外れてしまう。直進しているように見えるのは、小さく当て舵をして、船を進路から外れないよう指針を細かく変えているからである。すなわち「ぶれている」からである。

「ぶれる」ことは悪いことではない。「ぶれ」なくては真っ直ぐ進めない。「ぶれ」で不断に進路を調整しなければいけない。

「ぶれ」ない人間は進路を誤る。目的地に向かって、真っ直ぐに航海していたつもりが、予想だにしなかった場所に着岸することがあることを、忘れてはいけない。


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