道々の枝折

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愛国心と歴史教育

2022年10月05日 | 人文考察
為政者(政府)が恣意的に歴史を歪曲したり封印したりする国の国民は、本心から国の歴史(正史)を学ぶ気にならないし、学んでも身に付かないだろう。それでは、国民に愛国心が芽生え育つはずもない。

この国は、77年前まで神話を歴史として、初等学校の学童に大真面目に教えていた。その過ちを反省し、戦後の民主教育のもとで正しい歴史を教える為政に変わったかというと、そうはならなかった。舊く長い時代に染み込んだ皇国史観に凝り固まった人々は連綿と存在している。
人文科学を蔑ろにして来たばかりか、大学教育での人文学研究を等閑にする傾向は今も改まらない。
絶えず歴史教育に非科学的なつくり話を復活させ、国民を自分たちに都合よい方向に誘導しようとする守旧勢力のエネルギーは、なかなか衰えることはない。
愛国心を示すためには血を流す覚悟が必要と妄言を振りまいたり、敵地攻撃を声高に叫ぶ女性議員が現れた。

なぜ女性議員が勇ましいことを言うか、彼女らは猟官の為に守旧派老人に阿諛追従しているからある。彼女らは、守旧的右派老人に使嗾されたり彼らの尻馬に乗って、彼らの代弁者の役割を果たしているに過ぎない。
老人たちに煽られ、老人たちの歓心を買おうと、声高に叫ぶのである。実に不快な相互関係である。

硬派の男性議員や自衛隊幹部でも言えない威勢の良い言動を、銃も操作できない女性議員が口走るのは異様である。

戦争や戦闘に最も慎重なのは、いつの時代でもどこの国でも軍人だった。戦争の怖さを学んでいるからである。
武器をとることのない,武器を扱えない、戦闘のできない婦人老人が、戦を煽るのは厳に慎まなければいけない。前の戦争でも、声高な婦人たち(母たち)の声が政治に利用された。青年を戦場に送るには、先ず母たちを洗脳することから始められる。

彼女ら右寄り(右寄り)の女性議員たちは、知ってか知らずか、民主主義や男女平等社会に内心否定的な保守政治集団の尖兵として働いている。世は統一協会に目を奪われているが、この国の老獪な保守政治集団の尖兵の役割を担っている女性議員たちの活動にも、注意する必要がある。真っ先に軽挙妄動し世論をリードするのは、彼女たちである。老人たちがポストを用意して彼女たちを煽るからである。彼女たちは嬉しくなったりヒステリーを起こすと舞い上がる。

政府が国民に愛国心を強要するのはお門違いであろう。初等教育での虚飾や歪曲のない歴史を、こどもたちに正しく伝える地道で堅実な教育が施されてはじめて、国民は歴史と正面から向き合うことができ、愛国心も醸成される。

政治目的のために、歴史的事実を歪曲したり事件を隠蔽したり、資料を破棄したり、メディアを利用して世論を誘導したりする政治は、一時的には国民を煽動できても、永く続くとは思われない。国民に誠実でない政権が長期間続いた験しは無い。

朝鮮(韓国・北朝鮮)・日本などは、古代に文化的先進地の中国に進んで範を求めた結果、彼の地の統治階層の常識「愚民思想」の洗礼を強く受けた。
社会の上層は下層を蔑視し、欺くのは当然という、彼の国の支配階級に特有の弊習を、1500年近くに亘り書物を読むことで見習い身につけた。西欧を模範にするように変わったのは、わずか150年前、国が民主主義に改革されたのは、たった77年前のことである。

この弊習は、戦後民主主義の現代でも、政治家と官僚からなる統治組織に色濃く共有され残存している。
その最たるものが、統治者の無謬性という幻想である。統治者は誤らないという建前と妄念は、今だに牢固として遺り、統治者側に於いて改められることがない。彼らは公の場での発言は一字一句間違ってはならず、下僚が作成した原稿を丸読みする。任意に自分の言葉で意思を表明できない。
正しい情報をあるがままに国民に率直にオープンしたくない習性というものは、わが国為政者の身に染み込み体質化したものと言えるかもしれない。

ことは1500年に及ぶ感化の結果だから、これを払拭するのは容易ではない。国政選挙で民主的勢力の数を増やし、反動的な弊習を根気よく改善するしか、この国を良い方向に向け、子孫の幸福に資する方法はない。



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