道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

心意気

2024年10月26日 | 人文考察
私がこの齢になるまでの長い間、互いに心が通じ合ったと確信できた人々とのことを想起する時、その人たちの全てから、心意気というものを感じていたように思う。
交誼を結ぶ期間の長短は関係ない。どんなに長くても、心意気の介在しない関係は、泡沫のようなものである。徒に長い交際期間があっても、心意気の缺けている人物とは、誼が深まらなかった。
肝胆相照らす関係には、心意気という割符が必要不可欠であると思う。
心意気というものは、外に顕れるので、有・無を確かめるのは存外簡単である。

【心意気がある】
①気前が好い 
②侠気がある
③思い入れが深い

【心意気がない】
①吝嗇(ケチ)である
事大主義者(長いものに巻かれる)
③臆病である

これなら分かり易い。  
これを見れば、心意気のある人もない人も、誰でも心意気のある人とつきあいたいと思うだろう。

ところが世の中、そう上手くはいかない。パレートの法則が教えるとおり、心意気のある人は、全体の2割ぐらいしかいないのである。10人に2人。しかも、相手がこちらの心意気を認めるかどうか?
自分自身の心意気を慥かなものにしていないと、心意気のある人と誼を築くくことはできない。

社会生活というものは、それが盛んな時ほど、人をして利害優先にさせてしまうもののようである。
 8割の人がそのようである時に、心意気のある人たちはたった2割の少数派である。少数派だから、仲間内の絆は固い。
盛大な多数派8割の人たちから見ると、寂しく見えるかもしれないが、実際は、心意気のある人たちは、心底充実した厚い誼を愉しんでいるのである。

余談になるが、民俗学研究の泰斗、宮本常一には、渋沢敬三という指導者でもある支援者がいた。
新一万円札の肖像画で知られる「日本近代資本主義の父、渋沢栄一の孫で、戦前の日本銀行総裁、戦後の国際電信電話会社(現KDDI)初代社長を務めた銀行家・財界人である。
渋沢敬三は経済人てありながら、戦時下の自宅で「常民文化研究所」を主宰していた学術に造詣深い人である。
宮本常一はこの人から人間として大事なものを見落とさないためには、傍流にいて主流にならなことが大切である」と教えられ、それを生涯忠実に守ったという。
「宮本常一」畑中章宏著(講談社現代新書)

私は長いこと社会というものを観察して来て、心意気を持ち合わせない人たちは、類を呼び集まることで安心を見出すことを知っている。
心意気が缺けているから群れずにはいられないのか、群れたがために心意気を失ったのか、どちらなのか分からない。
とにかく8割は多数派を占め、主流となるのである。人は主流、多数派に属すと必ず驕りが生まれ、傲慢不遜になるものである。
対する2割の少数派は傍流である。謙遜な彼らの視点は低く視角は広いから、大切なものを見逃すことが少ない。

日本の政権党の総裁は、わずかな例外を除き、その多くが主流の承認の下で選出されてきた。すなわち、彼らは心意気を保有しない集団の代表である。日本の政治の最大の問題は、主流からしか総理大臣が出ないというところにある。ひとり三木首相が傍流だった。
現首相は主流に乗れない傍流出の総裁総理。心意気でも見識でも、前4代の政権党主たちとは、一線を画していると思う。







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