道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ソバキュリアス

2022年07月14日 | 随想
長生きはするものである。Sober Curious(ソバキュリアス)なるライフスタイルが欧米から入って来た。

sober(ソバー)は「しらふ」、curious(キュリアス)は「〜したがる」という意味だそうだ。
「アルコールの問題があるわけではないけれど、心身の健康のために断酒をする活動のこと」と定義されている
curious(したがる)という言葉に、大きな意味がある。

私たちの脳は酔いたがる。脳は酔うことが大好きな器官である。酔いたがる脳はアルコールを欲しがり、人に飲酒を求めさせる。飲酒は欲求である。
飲酒の欲求の支配から脱するには、しらふでいたがる意欲が自分に存在することに気づき、その意欲を育て強化することで酔いたがる欲求を制するところが斬新である。

日本の節酒・禁酒・断酒は皆後ろ向きで、単に自身の克己心に訴えて欲求を抑えさせようとするから成功しない。こちらは、自身に潜むしらふでいたがる意欲を見つけ、前向きに酒をやめるのである。提唱した人は英国人の作家だという。

日本社会にはつき合い酒という、他発飲酒の弊習がある。社交飲酒の害についてはこのブログで何度も記事にし、自らも避けるよう心がけてきた。
自発飲酒こそ酒との最善の関係、飲酒のあるべき姿と、もっぱらそれを実践してきたが、sober(しらふ)の生活に踏み込もうとは、想像もしたことがなかった。

断酒というおどろおどろしい日本語と違い、同じ内容を横文字で聴くと、耳障りが好くスマートに聞こえるのは、文明開化以来の民族の習癖というものか。
西洋かぶれでオッチョコチョイのやつがれ、一も二もなくこれに飛びついた。心身の健康というところに何よりも共感した。身体の健康が保たれているうちに、酔いと訣別するに越したことはないと考えた。
健康は食事と運動で保てるが、厳密な意味では、酔いというアルコールに支配される状態と絶縁しなければ不完全だ。

酔うことを覚えて60年、終生と思っていた飲酒の習慣に、自発的にピリオドを打つ好い機会だと思った。医師に節酒や禁酒を勧められてからでは遅過ぎる。老人は省察によって行動することが何よりも大切である。

試みの1ヶ月が経った。何の問題もなく、酒を飲まない生活に順応できたことに我ながら驚いている。痩せ我慢に聞こえるだろうが、お酒の無い夕食や外食に何の苦痛も感じない。
元々酒が嫌いだったのではないか?と思うほど自然にソフトランディングできた。酒を已めることは、想像と違って、何の困難を伴わない・・・

30代の頃にタバコを断った時も、何の困難を感じなったことを思い出した。その時は、タバコは已められても酒だけは絶対に已められないと確信していたが・・・

お酒を已めて、アルコールの援けを借りて賞味していた各種料理の味覚と無縁になってみると、料理はそれだけでも充分に美味しいことが解かった。大人になって以来、酒と料理のマリアージュとかコラボとかに拘って来たが、そのこと自体が、アルコールの支配下に在った証左かもしれない。
酒肴を供える煩わしさから解放された妻は、不可能と諦めていた亭主の脱飲酒を歓迎しているだろう。

日常生活から酔った状態の時間が無くなってみると、生活の生産性は確実に上がり、それがしらふでいることの意欲をより高める。
横着を極め込むことが、減ったように思う。酔うと面倒に感じていた事柄が減るのは、家族特に妻には好感されることだろう。

それでも夕食の時は、食卓の彩りにアルコール含有0%のノンアルコールビールを飲む。ビールの泡と味に馴れ切った脳が、錯覚して欣ぶのだろうか?アルコールを摂取したような気分、ビールのCM映像のような大袈裟な満足感がある。最近のノンアルコールビールには、ホンモノよりも好い味のものが発売されている。好みの銘柄も見つかった。炭酸系の飲み物は、アルコールと錯覚しやすいのかもしれない。ノンアルコールのスパークワインにも結構なモノがある。

顧みれば老生は、当ブログで、度々臆面もなく飲酒について語り、蘊蓄を傾けて来た。特に日本酒と和食の絶妙な調和には、感服するところ甚大なものがあって、それを人様に吹聴してもきた。
「酒なくて 何の己れが 命かな」などという不心得な言葉を金科玉条に、60年も休むことなく飲み続けて来たのだった。

けっして好い酒ではなく、随分家族や周りの人々に迷惑をかけた。悔悟は追い波となって今も蹤いて来る。やはり酒は獅子身中の虫だった。
断酒など絶対不可能(事実度々断酒しようとして失敗を累ねた)と確信していたが、折好くSober Culious (ソバキュリアス)という耳障りの好い語と出会い、酒=アルコールとの縁切りができそうだ。

アルコール摂取を離脱してみると、日常生活、特に食生活の面で、新たな地平が広がっていることに気づいた
食べ物を美味しく味わうために酒が不可欠というのは単なる思い込みで、食物・料理は酒が無くともそれだけで充分に美味しい。酒を知る前の年頃の、素朴な味覚を取り戻すことができるかもしれない。

飲酒は文化だが、アルコールは、必ずしも人の心身に必須なものでない事実を、遅ればせながら改めて確認しつつある。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 期成同盟 | トップ | 酸性雨は今も »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿