道々の枝折

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多様性

2018年03月26日 | 随想
多様性(diversity)という言葉は、欧米由来の、馴染みの薄い単語だと理解している。記憶に照らしても、昔はあまり使ったことがない。
 
多様性を尊重してきた文化の国で多様性を認めるのは、国際化によって価値を共有する必要が生じたからであろう。我々にはdiversityの概念はなく、variety の方が理解しやすい。

海外から地球環境用語としてbiodiversityという複合語が伝わり、それが「生物多様性」と訳されてから、〇〇diversityが日本社会に広まり、「多様性」は各方面で多用されるようになった。

 '67にネスカフェがテレビのCMで、「違いがわかる男のゴールドブレンド」というコピーを流し、インスタント・コーヒー市場を席巻したことがあった。違いがわかるとは、多様を知るということだ。

その当時の日本は、高度経済成長の真っ只中にあるものの、違いがわからない人々が圧倒的多数を占めていたから、このコピーはインパクトを与え大いに受けた。以来、違いがわかる雑誌の発売部数が増え、違いを強調する男女が増えた。

外来の言語に由来する日本語が、世に認知されるときはいつも、先ず新聞・雑誌に始まり、次にその他のマスメディアが追随し、既知の言語、既成の概念であったかのように瞬く間に普及する。国民の学習能力が高いことを示すものだが、それには、知識の差別化に後れをとるまいとする他人志向的な属性も働いている。この言葉の実質的な概念が、定着するかどうかは分からない。

古代から、この国には多様性などという概念などついぞ無く、為政者は人民をただ「民草」と呼んで憚らなかった。「人」ですらない「草」である。したがって多様性に該る単語も無かった。個を分別し、個性を尊重することなく、数を恃み量を崇める民族的な性癖が、物事を十把一絡げに、一様に見る社会をつくりあげた。

弥生時代以来この島の住民は、海外の文化の移入に努めてきたが、文化とは多様を認めることと気づくことのないままに千年が過ぎ、閉鎖的で画一的な社会構造に固定されたまま幕末を迎えた。多様な民族や文化の混交から生まれた西欧近代文明に触れて瞠目し圧倒されると、その後は人が変わったように文明の多様な成果を導入にすることに奮励する。

そうして、自分たちに最も欠けているものが、多様性への理解と尊重であるということに気づかないまま富国強兵に奔り、悲劇的な結末に至った。悲劇の遠因は、多様性への理解と尊重に繋がる哲学を、民衆レベルで欠いていたところにある。

明治以来の日本の大学で等閑にされてきた学問が、博物学や文化人類学であったことを看過してはならない。焦土から立ち直った戦後の経済復興期でも、国を挙げての産業拡大路線の中で技術立国を目指し、文化人類学や社会学は顧みられなかった。目下問題になっている人文科学軽視の教育行政は今に始まったことではない。常に先進の「実用学=理工学」優先主義のこの国で、今日文化や民族の多様性について、臆面もなく訳知り顔に声高に語る政治家や文化人が多いことには、呆れるほかはない。

人文科学に始まり自然科学へ、そして社会科学へと順次系統的に発展してきた西欧の学問の系譜をなぞることもなく、明治期に自然科学それも専ら実用学ばかりを導入することに腐心し、あらゆる科学の土台であるはずの哲学を等閑にしたツケは、この国が国家運営の全般にわたり整合性を失う遠因となったと見て間違い無いだろう。

科学的分析(アナリシス)では欧米に肩を並べる高い水準になっても、科学的綜合(シンセシス)では今も彼らの後塵を拝している現状は、人文科学と自然科学の跛行現象を如実に示すものだ。大学の人文・社会学科不要論を政権党が言い出すようでは、学問の後進性を世界に公開するようなもの、暗澹たる思いにとらわれる。学問に便宜主義を持ち込む悪癖を改めなければ、百年経っても欧米には追いつけないだろう。

多様性という言葉を心底から理解し、真摯にその尊重に取り組むような社会にならなければいけない。この国の社会に潜む一様性志向の事実を認め、それを正す方向を模索するのでなければ、多様性という言葉は皮相的な、外来の概念のままにとどまるだろう。

数と量の規模に畏怖して、自分を一刻も早くその中に同化埋没させたいと希い、事大主義という民族的性癖を引きずっていては、多様な個など認められるはずもない。この国の初等・中等教育は、違いを認め伸ばすより、違いを均し一様な集団をつくることを主眼に存在し機能してきた。それが欧米と接点を持った途端に個性尊重、多様性礼賛だから、呆れてしまう。

植物が根付くためには土が肝心、思想が根付くには、元からある精神的風土がそれに適合しなければならない。土壌改良はまだまだ先の話だろう。

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