人の歩行の速度が、思考を左右するということを考えてみたい。
先ず結論を先に言うと、自分の心臓の拍動に同期した速度でゆっくり歩くと、頭脳は活性化する。平静時の脈拍が60の人は2歩を1秒、120歩を1分で歩く。歩幅60cmの人で時速4.3km。
ウオーキングで推奨される速度では速すぎて、歩速のカウントに思考がついていけない。できるだけ大股にゆっくり歩けば、片足で体重を支えている時間が長くなるから、筋トレとしての効果も高くなる。少なくとも、片脚立ちより退屈しない。
ギリシャのアリストテレスに代表される逍遥派の哲学者達は、歩きながら思索したという。書斎で読書をし、散歩道や歩廊をゆっくり歩きながら考えるのが、彼らの思惟の方法だった。きわめて脳の生理にかなった方法だと思う。
人類の直立二足歩行には、約400万年の歴史がある。ヒトは歩行によって脳が進化を遂げ、考える動物になった。思考と歩行は直結していると見て間違いないようだ。我々の脳が足の歩みで発達したことは、科学的にも証明されている。
歩行が脳に対して、CPUのクロックの役割を果たして来たと想像することは、それほど見当違いではないだろう。この緩やかな、心拍と同期した歩行のクロック周期が、人の創造的思考をどれだけ促して来たかは、データで示すことはできないが、人類の発展の歴史を考えると、そう推察しても的外れではないだろう。
コンピュータのCPU(中央処理装置)の働きは、クロックを発生させ、それと同期をとって命令やデータをやりとりし、演算処理を行うと聞いている。クロック周波数が高いほど、つまりクロック周期が速いほど、高性能のCPUということになるのだが、ここが人間と機械は違っている。
人のクロック周期を、つまり歩行速度を速めても、思考力は上がらない。人の脳における情報の入出力速度は不変で固定されているから、CPUのようにクロック速度に合わせて同期をとることができない。急ぎ足は思考を妨げる。せかせかと歩くのは、思考が停止していると観て間違いないだろう。
例によって、非科学的なことを独断する無謀を宥していただけるなら、人は速く歩くほど思考力が鈍る。走れば頭はまったく働かない。試みに駆け足しながら計算問題を解いて見ればわかる。クロックの速度とデータのやりとり(インプット/アウトプット)との速度の差が大きくなると、同期をとることができない。
そこから、こんな疑念も湧いてくる。人は、高速の移動体に乗ると、思考が疎かになるのではあるまいか?。ただし、この高速移動体とは、ロケットや宇宙船のことではない。ロケットの中の人は、発射後には速度を感知しない。地上を走る、窓から直接景色を眺めることができる乗物のことだ。そしてこの場合の速度とは、乗物の絶対速度ではなく、人が乗物から外を見て感知する相対速度=視覚速度のことである。
人間は絶対速度を直接体感できない。視界の景色の変化する速度、すなわち視覚速度で間接的に自身の移動速度を認識する。視覚を使って、静止物との瞬間的移動距離を検知し、速度を体感している。
つまり人の脳に速度情報をインプットするインターフェースは眼である。人類は誕生以来、速度を視界の変化する速さ(視覚速度)で実感し生活してきた。狩猟では、獲物の走る速さを視覚で認知し、予測する到着点に向け矢を放つ。目標を追尾して矢を放つのでは命中は覚束ない。
同じ速度の乗用車と電車とでは、視覚速度は乗用車に乗っている人の方が格段に速い。電車の乗客は視座が高く、視野は遠方に照準しているから、視界の景色の変化は遅くなる。それに対して、乗用車の視座は低く、比較的近くのものに視界は照準される。近い視野での視覚速度は、実速度に近づく。どちらの乗り物が思考に適っているか、経験的にご存知だろう。
普通電車と新幹線とでは、視座はほぼ等しいから、視覚速度の違いはそれぞれの実速度の比に近い。新幹線の方が速いから視覚速度も速く、窓外を見ている時の思考はそれに応じて落ちると思われる。普通電車の方が、物事を考えるに適している所以である。
リニアモーターカーが地中走行でなく、常時窓外の景色が見える地上を走行したら、人は思考力をほとんど失うに違いない。ドッグファイトを闘う戦闘機パイロットは、電子機器の支援がなければ、的確な思考・判断はできない。
高速の乗物の中に居ても、外を見なければ、例えば本を読んだり、ノートパソコンのモニタに見入っていれば、オフィスや自室に居るときと同じ静止環境だから、思考力は常と変わらない。窓外を見ると視覚速度が発生して思考力は落ちる。
これらの珍説は、全ての動物の脳が歩行のクロック周期に従って働いているという、愚生の仮説にしたがっている。
動物は獲物を求めて歩いているときが最も頭脳を働かせている。人類も数万年前まではそれが日常だった。獲物を追跡捕獲する場面では、筋肉運動系がフル活動するから頭脳は働かない。採集活動でも、程度こそ違え同様であろう。
人の脳が最も活性化しているときは、静かに坐しているときではなく、歩行しているときである。クロックを発生させているときである。クロックが頭脳を働かせる。
正座し瞑目しているときは、脳の活動を停止させている状態で、雑念から解放される。座禅はそこに着目した精神の分散方法なのだろう。つまり思考しない状態である。
人類が何百万年にも亘る進化の過程で獲得した頭脳は、歩行と同期して日々観察と思考を繰り返すことで高い知能を獲得した。私は、人間が頭を最も良く働かせるには、歩行のクロック発生が欠かせないのではないかと考えている。
創造的な仕事に携わる人々が、散策の最中にアイデアが生まれた経験を語ることをよく聞く。歩行のクロックが、脳の演算処理を円滑に導いている実例だろう。
人の思考が歩行と同期していると実感することは、誰もがよく経験する。思いがけないアイデアなどは、室内に居る時よりも、外で歩いているときに泛かぶことが多い。また、考え事、すなわち熟慮したり思索を巡らす必要ある時には、散策が最も効果の高い方法である。
現代の文明は、ヒトの進化の歴史を無視し、乗り物の高速化を図ってきたが、歩行と頭脳の関係について解き明かす研究は疎かにされてきた。
これまで、歩くことは有酸素運動の1つで、血糖値や血圧を下げる効果があるからと、健康への生理面から推奨され、ウォーキングが盛んになった。確かにその効用はあるだろう。だが歩行は、そのような消極的な健康維持手段のひとつでなく、積極的に脳の劣化すなわち思考の退化・記憶の鈍化を防ぐための必須運動と捉えるべきである。
人間のような高等動物の動作は、脳と身体各器官が歩行クロック周期に同期して働く。歩行クロックとの同期こそ、脳の機能を保ち活性化させる唯一の手段であると信じている。
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