フェンス越しに見える、土手の草叢の丈は高く勢いがある。対岸の家々の垣根の緑も濃くなった。その先の台地の端を覆う林の中から、蝉の声が絶え間なく湧き起こっている。林の上の空には紛う方なき夏の雲。自然の生命力が最も強く感じられる季節になった。
同じ青空の下に展開する西日本豪雨の被災地の惨状は、視るに堪えない。犠牲者の中に、数多くの稚い命があったことが口惜しい。被災の時間帯が就寝中だったのだろう。親御さん達の悲嘆を想うと胸が潰れる。
私は夏になると、セミよりもトンボを熱心に観る。翔んでいても留まっていても、トンボの姿が好きなのだ。こどもの頃は、夏休みになるとトンボばかり捕まえていた。
トンボ類は激減してしまい、今ではシオカラトンボさえ見かけなくなった。延べ竿の穂先にモチを塗り伸ばし、川筋を往来するギンヤンマを捕える手練の技を、小学生たちは競い合った。
トンボ捕りの記憶は、黐の香りと共にある。駄菓子屋のおばさんが、割り箸に黐を飴玉のように巻きつけ手渡してくれる。それを水を入れた容器に放り込んで現場まで運ぶ。容器が無い時は、口の中に入れて、延べ竿を置いた場所まで行った。ギンヤンマやオニヤンマの動きは速く、飛翔コースも直線的で、延べ竿の竿先の微妙な振動が出せないと、効率よく獲ることは難しい。
「とんぼつり 今日はどこまで 行ったやら」〈加賀千代女〉の句は、東京オリンピック前まで実感をもって鑑賞することができたが、今は無理だろう。あの頃、高度経済成長の号令が発せられた時から、日本の自然は、衰退の坂を下り始めた。
句の上五の「とんぼつり」の語が、当時は補虫具に釣り竿と同じ延べ竿を用いていたことを示している。夭逝した我が子を想って詠んだ句だという。
トンボの幼虫ヤゴが増えないのも、ホタルの幼虫が自然繁殖しないのも、戦後73年、小川、池・沼、用水路などあらゆる水辺の生態系を無視または蔑ろにしてきた結果だろう。工事は水辺の生き物の生存の場を奪う結果になった。しかし、最近は、生態系保護に意を用いた工事も行われるようになった。自然は文明が護る外はない。
河川を改修して治水を万全にしても、人為は万全とはいかない。したがって毎年水害被害がでる。今回の倉敷市の水害による被災は、平成最悪だという。気象庁もさすがに、警報の多種化とその意味の曖昧さの弊害を認めた。自己保身のための形式的警報の連発では、住民に切迫感や緊迫感が届かず、損害を軽減できない。
気象庁は、ある時点から、その軸足を気象観測から地震予報に移した。気象予報士制度の創設で、気象の広報に関わる負担の軽減とマスメディアとの連携が実現し、予報責任の曖昧化に成功した。
気象予報は地震予報にに比べ、研究分野としてはある意味成熟している。予報士というセミプロを増やしてスポークスマンに仕立て、役所は肩の荷を軽くしたに違いない。これもある意味民営化である。
それまでは、予報の外れを厳しく責める世間の声に常に晒され、辟易していたことだろう。
世間の厳しい目と耳が注がれないと、官僚組織の綱紀は弛む。気象予報士制度によって気象庁と狎れ合い、その広報機関に成り下がったテレビ・メディアが、世間の代理人の座を降りた社会的損失は、あまりにも大きい。
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