私はプロフィールに掲げたとおり、ナチュラリストの端くれと自認している。日頃は人工にとりかこまれて生活の利便を得ているが、若い頃から山野を跋渉することが大好きだった。それでも自分が、深い自然に包みこまれ、獣の匂いを身近に嗅ぎ、鳥の声を聴いている時に、最も幸福感を感ずると気づいたのは、すでに初老に近くなっていた。
それからは、「南ア深南部」と呼ばれていた光岳以南の山々の原生林の奥に分け入り、其処の植物や動物を観たり、時にはテントを張って一夜を過ごすことが、山歩きの切実な願望になった。
それは登頂だけを目的にする登山とは質を異にするものだった。動植物に限らず、地形地質や岩石までも、山行の目的に加った。山を構成する一切のものが、興味の対象になった。
登頂を済ませ、鞍部のキャンプサイトに幕営して、遙か下の沢の微かな瀬音を聞きながら眠りに就く。翌朝、様々な小鳥の鳴き声で目覚めると、山の精気を吸った身体は、元気を回復している。その頃の私を、戯れに仙人と呼んだ呑み友達がいた。霞を食べているように見えたのだろう。
ある時は、テントの外に蹄のある動物の足音を聴いて目を覚ましたこともあった。薄い布越しに辺りを窺うと、間近に周りを嗅ぎまわる動物の気配が感じられた。シカのひと群れが、様子を見にきていたのかも知れない。
そんな山行を、40代から60代にかけて、唯一無二の同好の山友と共に、南アルプス深南部で繰り返した。単独行もあったが、ナビの無い頃で道迷い遭難の懸念があり、常には単独での山行を避けていた。
幕営の時は、ザックに重いワイン・ビールを容れるのを厭わなかった。山での飲食と歓談は、深い睡眠を誘い、翌日のエネルギーになった。
苔生した倒木が交叉し、密生する深いスズタケの下を錯綜する獣道。冬は積雪のある静かな針葉樹の原生林。この赤石山脈前衛の山域の自然が、永く遺ることを願って已まない。
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