道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

新聞社の凋落

2022年04月18日 | 人文考察
新聞社がパッとしない。前に「テレビ局の凋落」を投稿したが、遂にジャーナリズムの牙城、新聞社の足元を、退潮の波がヒタヒタと洗い始めたのか?

紙面を読んでも惹きつけられる記事が少ない。かつてあった新聞記事の見識が感じられない。そう言えば、知らぬ間に社説や論説が世論をリードしなくなり、読者を惹きつけなくなっている。その反面、愚にもつかないテレビのコメンテーターのコメントが、言論として茶の間に居場所を見つけた。
3大新聞社のうち2社が、経営不振を隠さなくなっているらしい。
かつては、情報の殿堂だったはずだが、現在は新聞に知識が感じられない。それもこれも、テレビと広告収入を競い合ったからである。

以前に「テレビ局の凋落」を投稿したことがあったが、日本のテレビ局の生みの親は新聞社である。
欧米と違って、日本のテレビ局は新聞社の子会社としてスタートした。子どもは時流に乗ってどんどん成長し、体格は親を凌ぐまでになった。親の躾が行き届かないままモンスターに育ってしまい、テレビは驕りと癒着が支配する産業になった。

新聞が社会の木鐸の座を降りてから久しい。明治になって初めで日本人が知った、良識ある言論機関としての新聞社は、他の諸々の西欧文化のひとつ、出版文化の一角として、日本社会に欠くべからざる存在となった。しかし、形は西欧の新聞を真似たものの、その中身=ジャーナリズム精神までは身に着かなかった、それ故に、三大新聞社の歴史は、政治権力に協調し時には迎合する論調を、紙面に刻み続けてきた。少なくとも、中国との戦争と太平洋戦争の時代において、日本の新聞各社のとったスタンスは、およそジャーナリズムとは異質のものだった。

インターネットによって、一般大衆が情報を入手する方法が多様化し、広告にネットの占める割合が新聞を凌ぎ、今や新聞の広告機能は子会社のテレビ局と共に退潮の一途を辿っているように見える。今後、新聞購読者の減少は更に進むと見られている。スマホが私たち大衆から新聞を読む習慣を取り上げてしまったようだ。

歴史的に見れば、新聞社は購読者によって支えられる言論機関、ジャーナリズム(報道・解説・批評)として西欧で成立し発展してきた。
広告媒体としての機能が大きな利益を生み出すようになったのは、発行部数が飛躍的に伸びた、産業資本主義の社会が成立してからのことである。

生まれて間もない頃の新聞は、記名記事が主体だった。部数の拡張には、人気記者の寄与が大きい。しかし、これは諸刃の剣で、記者を一躍有名人にすることもあれば、彼の身に危険が及ぶこともある。記名記事は、新聞の発展と共に減少する。

しかし、ジャーナリズムは、報道内容に責任を持たなくてはいけない。匿名記者はジャーナリストたり得ないとして、勇気ある記者は、記名記事を書き続けた。

アメリカの第37代大統領ニクソンのウォーターゲート事件をスクープしたのは、ワシントンポスト紙の若い2人の記者だった。彼らの記事は記名で出稿された。私には、アメリカのジャーナリズムというものに、敬意をもった記憶が刻まれている。

日本の新聞は記名記事を出さない。
記名記事の無い新聞はジャーナリズムではなく、記名しない記者はジャーナリストではない。ジャーナリストでありたい記者は、新聞社を辞めて評論家として生きていくしかないのだろうか?

昭和35年頃から始まった戦前回帰の流れに乗って、保守党が政権を独占し続けるようになると、新聞は報道の中立性の美名に隠れ、ジャーナリズムの建前すらかなぐり捨て、購読者の勧誘より広告スポンサーの拡大に奔った。その一方で、新興の媒体として期待されたテレビ局の経営に乗り出し、高度経済成長の潮流に乗って、広告収益に依存する娯楽報道ビジネスを発展させてきた。

日本の新聞各社が今瀬戸際に立たされているのは、ジャーナリズムの看板を広告宣伝業に掛け替えたことの当然の結果である。スポンサーからの収入拡大の為に、ジャーナリズムを放棄せざるを得なくなったのだ。スポンサーを獲得するには、不偏不党の姿勢を明らかにしなければならない。それはジャーナリズムの看板を降ろすことである。どこの国でも新聞の論調は、購読者層の政治意識を反映する。

広告紙面が個々の記事紙面よりも大きな面積を占める今日の日本の新聞は、自ら購読者を減らす方向性で事業を拡大してきた新聞社の姿そのままである。

今日、企業の広告宣伝媒体のトップの座は、テレビからインターネットにとって変わられた。
良心的な記名報道で、傑れたジャーナリストに活躍の舞台を提供し、新たな購読者を増やすのか、玉石混淆のSNSでの草の根情報ネットワークの津波に呑み込まれ、新聞という媒体の存在価値そのものまで失うのか・・・新聞は今、正念場に立たされていると一購読者は思う。
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