道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ストリーミング社会

2024年07月11日 | 随想
ストリーミングとは、ファイルをダウンロードしながら、同時に再生をするコンピュータ技術。待ち時間が大幅に減るから、視聴の快適性が向上する。
昔からあるテレビ中継も、ストリーミングの一種だった。

通常私たちの社会では、事件が発生し終了してから、報道によって一般人は事件の情報に触れ顛末を知る。事件は終了して初めて人々の耳目に触れるものだった。人類数千年の歴史は、そのシークェンスが繰り返されて来た。

ストリーミングが常態化した今日の社会は、事件は発生と同時に伝わり、その情報は時事刻々流れる。起こっている事態は逐一端末に届けられ、同時並行していくつかの事件に触れることもできる。私たちは分析も検証のいとまもない情報の流れを慌ただしく見守るだけである。顛末を慥かめた上で事件の経緯を考察したり分析したり、念入りに検証を加えることに時間を割く遑は全くない。世間を震撼させる大事件も、一過性で人々の記憶に定着しない。
無数の情報のストリーミングを、ただ見守るだけで精一杯となる。
これは、常に重大な事実を有耶無耶に誤魔化し矮小化して人心を操作誘導する人々には、極めて好都合な環境である。

従来は、事件が起こると、新聞・テレビが大騒ぎした。その余燼が納まるまで、一定の時間を要した。その間中、話題は事件でもちきりだった。

現代のストリーミング社会では、事件が発生するとすぐ刻々の情報が直ちに手元に伝わり、情報の一過性の度合いは増す一方。誰もがその情報を知っているなら、話題性は短時間で失われる。

ネット情報というものは、流れるが如く瞬時も休むことなく世界中に伝播し、随時更新上書きされる。流れと更新はひと時も止まることはない。年々情報の流れは速くなり、社会の情報ストリーミング性は強くなる一方である。衝撃的であったり、記憶に刻みこみたい大事件も、滔々たる情報の大河の流れに巻き込まれ、無数の軽微なの事件と共に上書きされ、サーバーに格納される。

人間の脳は、記憶を定着するために反復想起する必要があるのだが、IT社会はこれを省く方向に進んでいる。今や記憶は人間の脳でなく、サーバーに格納して置くものになっている。その方が信頼性は高い。
凡ゆる事件を一過性と捉え、軽微と考える傾向は、避けようがないだろう。

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