訪問日:2015年10月28日
The Sixth Floor 博物館の外観
子供の頃、最もショックだったのはJ.F.ケネディ大統領の暗殺である。彼はその頃のイメージでは、さっそうと世界平和そしてアメリカ国内の人種差別等の解決に邁進しつつ、理想の家族と一緒に幸せに暮らしているというものだった。
それが太平洋を越える初めての衛星放送で暗殺されたというニュースを見たのだから、とても混乱した。そして葬列に敬礼するケネディの子供たちを見て、本当に可哀そうにと思った。
ダラスへの急な出張が決まった時、ぜひ彼がなくなった所を見てみたいと思った。しかし、オズワルドが銃で狙った旧教科書ビルの、それも射撃階の6階が、The Sixth Floor 博物館となっていることは、同行した人に教えてもらうまで知らなかった。
アメリカにしてはちょっと高いかなという入場料を払い6階に上がると、JFKワールドだった。非常に内容が濃く、入場料に付随する音声ガイドが素晴らしかった(日本語あり)
博物館 入口
内容はケネディの生涯で、大統領選挙のあたりから密度が濃くなり、暗殺の前後は非常に詳細な展示がある。そしてケネディが残したものについて、考えるようにできている。
以下、特に印象に残ったものについて記載する。なお内部では写真を撮れなかったので、バッジ以外の以下の写真は、この博物館のコレクション写真等を利用している。
1.大統領選挙
このころの私の記憶はないが、展示を見ると徹底的に若さとエネルギッシュさ売り込むこと、美人の妻(ジャクリーンとセットでアメリカの理想の家族を売り込み、そしてニューフロンティアという言葉を作って若さで新しい時代を作るという、イメージ戦略を徹底させていた。その中で黒人等のマイノリティの権利向上などが新しい時代の象徴としてがちりばめられていたようである。
下図はお土産に買った選挙時のケネディのバッジ、別途ジャクリーンfor First Lady のバッジもあったがなくなってしまった。
2.大統領時代
ケネディを意識したのは、かっこいい演説である。大統領になった最初の演説は教材として何度も聴いた。大統領の最初にキューバ侵攻で躓いたが、その後のベルリン危機、キューバ危機を乗り切りリーダーシップを印象づけた。その後、人をアメリカに送るという演説も素晴らしかった。これも教材として聴いたことがある。ベトナム戦争は隠れて膨らませてしまったようだけれども、ソビエトのフルシチョフ首相との対話や平和部隊の創設など、核の恐れがなくまた世界の貧困地域も緩和できるのではという夢を世界に、そして私に持たせた。
ライス大学での宇宙開発の演説風景
それだけでなく、可愛いい子供たちに対して子煩悩な父親である理想の家庭を演技していたのが非常に重要で、下の写真のような家族の写真にあこがれた。
ホワイトハウスでの家族写真
3.暗殺とその後
再選は圧勝しそして一緒に行われる国会議員選挙でも勝つために、勢力的に選挙運動を行っていた。しかし南部の反対活動は強力で、テキサスを重要視していた。
そして暗殺の日、飛行場を降りてからのケネディ夫妻の行動が丁寧にフォローされている。暗殺の瞬間に対しては、いろんな方向からの映像、写真が展示されている。またオズワルド単独犯以外の説明も一応なされている。
ここでは、オズワルドがケネディを狙ったとされる場所が段ボールで囲ってあり、そこからの視界が横に示されている。
その後、ジャックルピーがオズワルドを撃った展示もある。そしてウォーレン委員会報告の展示もある。
最後の部屋は、国葬のビデオがエンドレスで流れている。その中で有名なジュニアが棺に敬礼する場面がある。これまであまりにもかっこよすぎると思っていたが、非常に素直な流れでそれがなされていたことに、感銘を受けた。
こういった展示を事実のみを並べて示し、訪問者に考えさせる方式をとっていた。かなり訪問者が多く、静かに考えながら見ているようでアメリカの民主主義の良心をおもった。
なお暗殺については、私も現場検証をした。その結果、もしオズワルド単独犯であったとしても、自動車が変な道順でカーブしスピードを落とさざるを得ないようなパレード経路を設定し、数発も射撃できる場所をチェックもしなかったということが、恣意的に手を抜いた警備をしていたようで、とても違和感を持った。その意味で2039年にどんな情報が公開されるか楽しみである。
暗殺後すぐのケネディは、神に匹敵するような人だった。しかしその後、いろんな仮面が剥がれてきている。エネルギッシュな人とは違い、いろいろな持病を持つ身体の弱い人だった・・・、女癖が悪くジャクリーンとの仲は最悪だった・・・・、マフィアとの付き合いがあり、票を金で買ったりしていた。
そして、演説は素晴らしかったが、議会は共和党が強かったことと、その野党との交渉能力がなかったんので、重要法案はなかなか議会を通過しなかった。人種差別の緩和を目的とした公民権法でさえ、通過したのはジョンソン大統領になってから。
演説も、スピーチライターのソレンセンのものを読んでいるだけだったらしい。でも内容の方針は彼が決め、ニューフロンティアという内容に適合するように演説で演技したのは彼である。あのリーダーとしてのかっこ良さは彼以外ににはお目に書かれていず、未来を託す政治家とすればやはり彼のイメージになる。