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空母ミッドウェイの概要
訪問日 2014年9月8日
先日、空母セオドア・ルーズベルトの乗員に、コロナ感染者が発生したことで大騒ぎとなった。それは大変でしょうということで、この訪問の記事を記載することとする。
空母ミッドウェイは、第2次世界大戦に間に合わず、終戦直後に完成した。暫くヨーロッパに配属後、1958年から第7艦隊に所属してアジアに派遣され、1972年以降は横須賀を母港として、ベトナム戦争と湾岸戦争で活動した。1992年に退役し2004年からサンディエゴで博物館として展示されている。
展示内容は、空母の船内各部の概要、朝鮮戦争以降の第7艦隊の機体や装備(ミッドウェイは朝鮮戦争の時はまだアジアにいない)を中心に太平洋戦争の時の機体も一部展示、ミッドウェイの歴史(周辺国家との交歓含む)
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入口から見上げた ブリッジ
1.ミッドウェイのサイズ 等
Wikiによると、船は長さ:約300m、水線幅:約35m、深さ:約25mとなっている。かなり大きいが、この中の半分くらいは多分機械や倉庫などであろう。そこに飛行機が約140機、そして船を動かす要員が4700人乗っている。たぶんそれに航空機整備等の要員が2000人ぐらい上乗せされるのではないか。 中を歩いたが、活動エリアはほとんど窓がなく、通路やそれぞれの部屋は小さく作られている。
たぶん5000人乗っているといわれるセオドア・ルーズベルトも同様にこのような状態で、多くの人が鉄の箱に閉じられた中で、ほとんど外を見ることがなく日夜暮らしているのだろう。そうなったらコロナのような感染症が入りこんだら、たまったものではないだろう。仮想敵国の中国としては、補給拠点を生物兵器で叩けばいいことになり、ある意味とんでもない弱点をさらけだしたと言える。
2.展示概要
飛行甲板に、ミッドウェイを利用した機体が展示されている。それを見晴らすブリッジも小グループで見学できる。
その下のハンガーデッキ(格納庫)では、第2次世界大戦の機体、ミッドウェイの戦争の記録などが展示されている。
その下が乗組員の生活圏で、衣食住の他、通常の生活にかかわるものがほぼそろっている。
下から上へと、印象に残ったものを示す。
2.1 アンダーデッキ(乗組員の生活圏)
ここには前述のように、いろいろなものがある。居室もあるが、ランクによって大きな差があり、ランクが低いと2~3段ベッドで、感染症にはアウト。
低ランクの人の食堂はビュッフェで、広いけれども人数からしてギュー詰めで食べるのだろう。士官クラスになると全然違う。
その他、郵便局や教会、監獄、病院、歯医者までそろっている。考えてみるにレクリエーション施設は見なかった。
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低ランクの人のビュフェ
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士官クラスの食堂
2.2 ハンガーデッキ
ここでは、本来は機体の整備をするとともに、船底の兵器庫からエレベータで送られてくる武器を機体に装着する場所。非常にしっかりしたエレベータだった。
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ハンガーデッキの状況
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爆弾を搭載したエレベータ
ここでは広いエリアを割いて太平洋戦争の機体がおかれていたが、寧ろミッドウェイ寄港地での交歓状況に興味を持った。
特に横須賀に関しては、ベトナム戦争時の母港であったので、いろいろな展示があり、非常に良好な友好関係が得られ、感謝状も得たということになっていた。
私の記憶では、母港化それ自体、また核持ち込み疑惑でかなり騒ぎになったとの印象を持っているので、立場によって見方は変わるものと思った。
またベトナム陥落時の、脱出してきたベトナム人の救助に関する展示もあり、確か感謝状もあった。
2.3 フライトデッキ
フライトデッキは、改装されて長さ305m、幅 79mになっている。通常のグラウンド
でも直線距離200mのコースはとれないので、デッキに立つとものすごく広いという印象を持つ。デッキの端の向こうもずっと続いているような感じである。フライトデッキの上は割と新しいジェットエンジンの固定翼機、ヘリコプターがほとんどである。
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フライトデッキで前後を見渡す
固定翼機は空母で使用するものだけに、できるだけ設置面積を減らすように、主翼の折り畳みができるものがほとんどであるが、新しいものではF-18、F-14があった。また核爆弾搭載可能なA-3もあった。また物資を空輸する大型機展示もあった。
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翼を折ったF-18
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翼を折ったF-14
ヘリコプターも日本でも見られるSH-60やUH-1など、いろいろと展示されていた。ここで目立っていたのが武装状態展示。こういったのは日本では見られない。 そして飛行機発着時パイロット以外の多くの関係者の業務実施内容の展示もあった。
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ヘリコプターの例(シーキング)
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ヘリコプタの装備 ガンベルトがむき出し
2.4 ブリッジ
フライトデッキの横にチョコンと立っているようにみえるが、登ってみるとなかなか高い。それだけではなく、階段が急こう配。角度45°をかなり越えている。全体が狭いから設置面積を削ることを考えたのだろう。それでスケスケだから、私たちのグループに区分されてスカートをはいた女性は登らないのではと思ったが、下着が見えるかもしれないのもいとわず平然と登って行った。日本の女性とはやはり違う。
登ってさっと見ると、なるほどフライトデッキがさっと見渡せて、なるほど広くない。この長さたった300mのフライトデッキで離着陸をしているのに驚く。
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ブリッジから見渡した状況
もし上空から見たら、本当に大洋の中の点で頼りないだろうなと思った。ここには管制室の他操舵室、作戦室、艦長の部屋などがある。
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子供が舵輪を扱っている状況
3.感想
空母は搭乗者の人数からすると、ちょっとした大きな町であり、不夜城のごとく24時間活動するものである。ほとんどの人は空も見ずに働いているのだろうが、そういった場合のメンタル管理をどうしているのだろうと思った。
以前アメリカの知人から、米国で重要なのはタックスペイヤーすなわち税金を払う人に対しての説明責任であると聞いた。ここの展示はその意識がよく感じられる。アメリカの戦争に活躍し、国際的な評判も高めていると宣伝している。また海軍に所属する兵士の家族の眼も意識していて、階級によってかなり扱いは違うけれども、低い階級でもそれなりの衣食住は保証していること、そしてちゃんと意義のある仕事をさせていてそれをちゃんと見ていることを伝えようとしている。
こういった説明責任については、日本は見習うべきであると思う。