先日 愛知県美術館に行ったら、「2020年度第2期コレクション展」の中で、「没後40年 長谷川潔の銅版画」という企画展をやっていた。
この人は第一次世界大戦の終了時に版画の研究のためにフランスへ渡り、様々な銅版画技術に習熟した。そしてヨーロッパでも技術が途絶えていたメゾチントという銅版画技法を復興させ、版画家としてパリで名を成し、戦前にレジオン・ドヌール賞を受賞した。
第2次世界大戦時も日本に帰ることなく、フランスに滞在。そのためドイツ敗戦時には一時期収容所に収監された。
その後も、逝去するまでフランスで活動し日本へ帰国することはなかったという人である。戦後 フランス文化勲章を授与されていて、銅版画の世界的な巨匠である。
この企画展では銅版画の各種の手法が丁寧に説明されるとともに、その手法で製作された長谷川氏の作品が展示され非常に勉強になった。手法についてはいっそう丁寧な説明を女子美術大学版画研究室のHPで確認した。
(http://www.joshibi.net/hanga/curriculum/intaglio/intaglio.html)
今後の銅版画鑑賞の参考資料を作ったので、ここにも掲載する。なお手法で用いた図は、女子美大のHPから引用した。
1.手法の全体概要
銅版画は、銅板の表面に傷をつけ、それにインクを塗りふき取ると傷の凹み部にインクが残る状態になる。その上に紙を置いて凹みのインクが付くように印刷する手法で、よくある木版画の凸部にインクを載せて、そこを紙に写し取るという手法とは異なる。
その銅板を刻む方法としては、それを直接工具で刻む方法(直接技法)と、銅板の上を酸で腐食しないグランドという有機物質で覆いそれを描きたいパターンに傷つけて銅を局部的に露出させて腐食液につけ、中の銅に腐食した凹みパターンを作るという手法である。
直接技法には、エングレービング、ドライポイント、メゾチントがある。間接技法にはエッチング、アクアチントがある。
これらのそれぞれについて、技法の説明と長谷川氏の作品例を示し、最後に特に長谷川氏のこだわったメゾチントの傑作を示す。
2.各技法と長谷川氏の作品
(1)~(3)は 直接技法の作品である。
(1)エングレービング
ビュランという硬い鉄製の工具で、銅板表面を三角形断面に削りとり、線や点を刻んでいく。刻んだ部分にインクを入れてそれを紙に転写する。下図にその方法を示す。15世紀後半に始まった手法で、非常にすっきりとした硬質な線描ができる。16世紀初期にこの方法で、デューラーが傑作を描いた。
<エングレービングの手法>
上から1:銅板の表面を、硬い工具(ビュラン)で削る。
2:削った横断面、幅を調整。左右にかえりなし。
3:インクを表面に塗りふき取る。凹みにインクが残る。
4:インクを紙に写し取る
この方法による長谷川氏の作品を示す。背景の白の中に非常にくっきりした黒い線で枯れた花が描かれている。冷たく崇高な感じがする。
<コップにさした枯れた野花>
(2)ドライポイント
ビュランの代わりに、尖った工具で線や点を刻んでいく。この場合には刻んだ周辺にかえり(まくれ)が生じ、そこにもインクが溜まって印刷されることで、エングレービングとは異なり滲んだ柔らかな線ができる。(下図参照) この方法もエングレービングと同様に15世紀後半に始められた方法だが、エングレービングよりも技術取得が容易で自由な線を描くことができる。デューラーはまずこちらの方法で作品を作った後、エングレービングの技術を習得しそちらで作品を製作した。
<ドライポイントの手法>
1:尖った工具で、銅板を刻む。こちらでは線の左右にかえりが生じる。
2:これにインクを付きふき取ると、刻んだ凹み部だけでなく、かえりにもインクが残る。
長谷川氏のこの方法による作品を示す。私の撮影したものでは、変な所にライトが写ってしまった。(1)に比べると、線にいろいろな表情が出ている。冬の葉の落ちた楡の木を描いたものだが、地面や背景は柔らかいし、伸びる枝は逞しさを感じる。
<ニレの木>
(3)メゾチント
(1)と(2)とは発想が異なる。まず徹底的に銅板の全面を細かく荒らして、インクを付けて印刷すると全面が黒くなる状態を作る。その後、その凹凸を削ったり潰したりしてインクの入らない黒くない領域を作っていく。 この方式は面を表現する方式であり、後述のエッチング等の間接技法の後、1640年代に開発された。削る際に凹部の深さをコントロールすることで濃淡を調整することができ、写真のような写実性に富んだ作品を得ることができる。
<メゾチントの手法>
1:表面を均質に細かな凹凸ができるように傷つける
2:細かな凹凸を削り取ったり潰したりする。
凹凸の深さを変えることで、濃淡に階層ができる。
長谷川氏が技法を復活させた最初の頃の作品を示す。白くなっている部分が、細かく傷つけた面を削ったり潰したりして平面にした部分である。この場合は空がそうだが、白いけれども最初に傷つけた45°の線が完全に消すことができずに残っている。
でも上記2方法と違って、白から黒の濃淡の階層があり、市街の描き方に味わいがある。
<摩天楼上空のポアン・ダンテロガシアン号>
(4)と(5)は間接技法の方法と長谷川氏の作品である。
(4)エッチング
前述のように銅板表面に酸で変質しないグランドという有機物の膜を貼り、その膜を傷つけて、その下の局所のみを酸で腐食させて凹みを作る方法。金属に描画するのではなく柔らかいグランドを傷つけて描画ができるので、銅版画製作が非常に容易になった。
16世紀初頭に、金属武具の装飾用に開発された技術が版画へと応用され、17世紀に全盛した。レンブラントなどがこの方法を用いた。柔らかいものに描いていくのでのびやかな柔らかい線を描くことができる。
<エッチングの方法>
1:表面を銅の腐食を止める柔らかい物質で覆う。
2:柔らかい物質を工具で傷つけ、局部的に銅を露出させる。
3:腐食液につけると、銅の露出部のみが溶ける。
4.防食層をはがすと、腐食した凹みがある。
5.その凹みにインクが残る。
長谷川氏のエッチングによる作品を示す。木の曲がりの流れが柔らかく、また葉も非常に細かく描かれている。
<アカシアの老樹>
(5)アクアチント
メゾチントのように、面の濃淡を階層的に塗ることができる手法。
完全に腐食を止めるグランドと、多孔質で腐食液が通る松脂などを銅板に貼りつける。それを腐食液に入れるが、濃淡を作るために、段階的に腐食を行い、淡い色が必要な部分から濃い色が欲しい部分へと、腐食の区切りごとに孔を塞ぐ有機物を塗っていく。この方法で、各穴に含まれるインクの量を変化させることができる。
<アクアチントの手法>
1:銅板表面を完全防食層と多孔質の層(腐食液が通る層)で覆う。
2:腐食液に入れると多孔質の部分は腐食が始まる。適当な段階で止める。
3:多孔質の範囲で淡くする部分は防食膜の液を塗り、腐食進行を止める。
上記の状態で腐食再開。腐食深さを増し、濃い色の部分を作る。
長谷川氏のこの方式による作品を示す。彼はこの方法を用いて美しいレースの文様を描く技術を開発した。花やガラスの花瓶に濃淡の階層の表現が使われている。ガラスの花瓶の硬質さも感じることができる。盛りの花と枯れた花を対比させて、じわっと存在を語りかけてくる。
<二つのアネモネ>
3.長谷川氏のマニエール・ノワール
長谷川潔はメゾチントを復興させたが、その技術に磨きをかけ 自分自身は手法を「マチエール・ノワール」と呼んでいる。そう呼んでいいほど独自性がある。
熟練して以降の作品を2点示す。日本の水墨画の精神性を感じる。
<狐と葡萄>
<時 静物画>
なお銅版画家は銅板に凹凸をつけるところまでを分担とし、紙に印刷するのは摺師に依頼する。彼の場合専属の摺師がいて、その人がなくなると創作を打ち切った。
4.終わりに
直接技法は彫金技術が必要であり作者も限定されていたが、間接技法ができてから金属機械加工技術から解放され、創作者も広がった。
各種の銅版画技術があるが、エングレービング、ドライポイント、エッチングでは線に着目し、エングレービングでは非常にクリアな線、ドライポイントでは滲んだ味わい深い線、エッチングでは変幻自在の自由な線を楽しめばいい。そしてメゾチント、アクアチントは面の黒の諧調を楽しめばいい。ただし前者は黒を基調に白い方へ色の階層を作っていくのに対し、後者は白を基調に黒い方へ色の階層を作ってゆく。
今回長谷川さんのことを調べて、ものすごい人だなと思ったが、こういった人に引っ張られているのか日本の銅版画家のレベルもなかなか高いことを知った。これからもっと注目しよう。
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