てんちゃんのビックリ箱

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旧豊田佐助邸訪問 ー 名古屋文化のみち

2021-12-28 23:28:51 | 旅行
 


豊田佐吉邸洋室 天井の空気抜き。説明は後述。


 名古屋では、名古屋城から東の徳川園にかけて、名古屋の近代の歴史遺産がある地域を文化のみちとして保存している。
 その中で、双葉館(川上貞奴の住居)と旧豊田佐助邸を12月21日に訪問した。ここでは、旧豊田佐助邸を紹介する。
豊田佐助は、豊田佐吉の三弟で佐吉を助け事業拡大に尽力した。豊田紡織の社長や現在のトヨタグループの重役および監査役を歴任した。
 豊田家は浜松の近くが出自だが、明治35年に事業を始めたのが名古屋市の東区で、その後明治時代のうちに急激に膨張した。佐吉や彼の子供、兄弟はその近辺に同様に住んだ。そのうち大正12年に建てられた佐助の住居のみが残っている。

 この建物の意義は、大正末期にトヨタグループが既に名古屋を興隆していて、市内にその頃の文化を象徴する贅沢な邸宅を建てていたということを、名古屋市がアピールしたいことと思う。
(なお一部の写真は名古屋市HPから引用)

1. 建物外観
 門から見た時、白いタイルの立派な洋館建てだと思った。しかし面白いことに、門から見えない所に和式の建物がつながっている。
 それとおやっと思ったのは、名古屋のお大尽は茶室が好きで贅沢なそれときれいな和風の庭を作っているが、ここには茶室はない。立派な石が並んでいる程度である。



門からみた洋館(名古屋市HPより)



それに連なる和風の建物




 
2.洋館1階

 中に入ると、ボランティアのガイドさんがいて、全館を一緒に回り丁寧に説明いただいた。
 1階の洋室は天井の高い洋間である。



洋室の雰囲気(名古屋市HPより)



 天井の換気口の形が変わっている。これはかつての豊田(とよだ)のマークとのこと。鶴のマークに近いめでたい文様で、「と」、「よ」、「だ」の文字がアレンジされている。

<とよだだよ>



とよだだよ
トヨタじゃないよ
ホントはね
だけど点々とって
すっきりさせたよ


 なお、かつてはトヨタではなくとよだと「た」が濁っている。現在でも会社はトヨタだが、社長の苗字は「とよだ」と読む。濁音をやめたのは、響きをきれいにしてすっきりさせたいということと、豊田家と会社を切り分けたいと思ったからのようである。
 また、ライトがなかなかおしゃれだった。
 なおこの部屋は洋風に内装も作られているが、外から見て洋館に見えるのは、木造の建物にタイルを張っているからで、全体は実質和風の建物とのこと。


3.和館1階/和館2階/洋館2階
 洋館1階以外の部屋はすべて和室であった。
 それらを回って感じたのは、贅沢さ、実利、そして大正モダンであった。それぞれについて、以下に述べる。



(1)贅沢さ
 和館は田の字のように4部屋に襖で囲まれていて、まわりをぐるりと廊下が囲んでいる。部屋を仕切るのは襖である。
 この家で贅沢さを象徴するのは、和室を区切る襖絵である。輝きが鈍くなっているが、贅沢に金を散らし、琵琶湖周辺の風景を描いているとのこと。たぶんできた当初はキラキラして、部屋の2面は秀吉の金の茶室のような感じになったのではないか。

 以下に、襖の例を2点示す。


(こちらは、名古屋市HPより)

<金色に心ウキウキ>



キラキラの
襖 背にして
話したら
お金の雲に
包まれるかも


 そして目立たないが、床の間の棚にものすごく分厚い板を使っていたり、廊下の板が継ぎ目なしに通っていたりと、柱も柾目の立派なものであったりと見る人が見れば、その贅沢さがわかるそうだ。
 また、2階の縁側の軒は、茶室風になっている。





(2)実利

 下記の写真で床の間の壺のおかれた壁に、やや黒い縦横斜めの影が見える。これは建築された年に関東大震災が起こり、その情報をもとに建物の強化を図ったためのとのこと。厳しい現在の基準も満足するとされている。

<安全第一>



改善だ
安全第一
快適も
住まいの基本
それが第一


 下記は、柱構造の強化状況である。




 また、北側は冬寒いということで、この時代でも二重構造の窓にしている。



 そしてトイレも非常に使い勝手を良くしている。


(3)大正モダン
 この和室は天井が非常に高いが、敷居はそれほど高くない。そのため欄間に相当する部分がかなり大きい。その部分は1階では板画になっているが、2階では彫刻の欄間、それに障子になっていていろいろなデザインがある。その桟のデザインが素晴らしい。特にか下記のものは斜めの線をうまく使っている。

<斜線の発見>



障子の桟
格子模様と
誰決めた
新しい線に
イメージ広がる


 廊下と部屋を仕切る障子の桟のデザインも、いろいろ工夫され秀逸である。以下はその1例。



 廊下と階段の間の仕切りも、通風と目隠しの切り替えができるようになっていたが、曲線になっているのが面白い。 

 



4.おわりに
 ここは入場料 無料。訪問した時にはボランティアが2名いて、館内を付き添って丁寧な説明を受けた。
 今回 回ったところはほぼお客用の座敷で、家庭としての生活感のあるところはなかった。後で調べてみると、家の人は別棟で生活していたとのこと。そして家族がそこを離れた後は、トヨタ関連企業の寮として使われたとのこと。つまりは見せる家として建てられた。

 家の中に、豊田一族の系譜とそれに関わる企業が示されていたのはご愛敬だが、豊田一族が名古屋市内に住み、ここでその栄華を示す環境を作り上げていたことはわかった。
 
 この家は、ハコを災害や環境に対応させて安全かつ住みやすくするという実質をとり、その中に、茶道等の伝統派への想いを込めた襖等、また時代を先取りしようとしている人へのモダンデザインを組み込んで、広く人々を受け入れ話題を作りもてなそうとしたのだろう。


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