天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ヤマタイコク

2024-12-10 23:07:00 | 皇室


「近代天皇制研究の最大の難点は、御製(ぎょせい)と呼ばれる和歌を除いて、天皇や皇后(皇太后)が書いたものがほとんど公開されていないことである」

と現代ビジネスの「知られざる天皇家の闇を炙り出した、ある女官の手記」と題した記事の冒頭を原武史は綴っている。

彼がどのような思惑で記事にしているかは"闇"を付している時点で容易に想像はつく。だから本文は読んでいない。

昨今の皇室に関してSNSの中で目に付くのは愛子内親王殿下と秋篠宮を比較してどちらか一方を貶める極めて下品な取り上げ方だ。
女性天皇を推す高森明勅などは代表的な愚の骨頂である。

同じことが初期天皇の実在性に於いても言え初代、10代、15代、26代と諸説存在すること自体が不敬のようにも感じる。
初代神武天皇
10代崇神天皇以降実在
15代応神天皇以降実在
26代継体天皇以降実在

そもそもその実在性を疑うようになった原因は現存する歴史書が書かれた時代に大きく関係している。
712年古事記では初代から33代推古天皇
720年日本書紀は初代から41代持統天皇
までが記されている。
日本書紀において2代綏靖天皇から9代開化天皇までが欠損している"欠史八代"があることも実在性に影響を与えていると考えられる。

一方三国志の魏書東夷伝の倭人の条に登場する邪馬台国卑弥呼は170〜240年代であることから、この後150年間中国の日本に対する記述がないことから"空白の150年"と日本をヤマト政権が統一した時期が欠落している。

卑弥呼が統治した170〜240年を天皇系図に照らし合わせると13代成務天皇、14代仲哀天皇の代となる。
つまり15代応神天皇以降実在とする説はこの卑弥呼の記述によるところが大きいと言えるのだ。



箸墓古墳の倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼に比定したものであるが、7代孝霊天皇の皇女であることからも紀元前であり、年代が異なる。


ここからは私の推論であるが26代継体天皇以降を実在とする説を鑑みそれ以前を神話と捉えず実在したものとして改竄されたのは年代と考えてみよう。確かに紀元前、100年上の高齢は考え難いのが所以である。

25代武烈天皇の506年没から卑弥呼没年の248年を引いた258年間に初代から25代までをあてはめたらどうであろうか。江戸時代260年間に12代を考えると倍以上の数となるが、神武天皇の127歳を考慮すれば暴論とも言えまい。

したがって神武天皇までが神代などとせず実在し卑弥呼を天照大神に比定すればヤマタイコクとヤマト王権の連続性、神武東征までもが実にリアルに腑に落ちるのだ。



金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は魏の曹操の陵墓から2019年同型の鏡が発見され、位の高い人物(つまり卑弥呼)への貢物である可能性が高いのである。
九州の大分県日田市のダンワラ遺跡より出土している。


ダンワラ遺跡に程近い上の図の左側に前方後円墳のような形の住宅地が見える。




いかがであろうか箸墓古墳が前方後円墳であるならば卑弥呼の墓の記述が円墳で直径150メートルとは言えどもこちらの方がサイズ的にも真実性が高いのではないだろうか。
場所として九州説の中に宇佐説がある
八幡宮の総本宮である宇佐神宮周辺を邪馬台国と見る説がある。ここもまた神武東征に協力した宇佐氏の存在も無視できない。卑弥呼の墓も宇佐神宮の下であると囁かれてもいる。天照大神の岩戸隠れは日田市に隠れていたのかもしれない。






ヤマタイコクがどこであれ、実は何処でも構わないと思っている。重要なのは卑弥呼が天照大神であり、その子孫が神武天皇であり、神話が中国人によって立証されたことに他ならない。

神武天皇を父として男系男子で紡いできた皇統が126代今ここにあるとする厳然たる事実なのである。、








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