歴史観とはある観点から事実を解釈する上で前提になる統一的な観念である。それだけに歴史家によってそれぞれ固有の歴史観を持っており、見る角度や立場によって同一の事象でもその解釈は容易に偏向し得るのだ。

日本人は併合し日本人と同等の皇民化政策を施そうとした韓国も、韓国人から見れば植民地支配され、民族性を奪われ皇民化を強要されたとする被害的歴史観を主張している。
伊藤博文を殺害した殺人犯も英雄となる極端な偏りを生むのも認めたくはないが歴史観となる。極めて野蛮である。

韓国ムン大統領のクソギフトも野蛮な歴史観を象徴していると言って良いだろう。
竹島を暴力で奪った国がイラストにして領有権を正月に主張するなどありえない野蛮人の振る舞いである。
これを宣戦布告と捉えることが出来ない、ロックオンのレーザー照射も許す日本人の歴史観も偏っていると言わざるを得ないのである。
竹島を返還するまで国交を断絶するのがベストであることに気付けないのも戦後の歴史教育を怠った賜物だろう。
ギフトをただ粛々と返品する事勿れ主義も終わってる。佐渡の世界遺産登録然り、正しい歴史観をもつことの重大さを思い知らされるばかりである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます