藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

私の目と心

2011-10-23 07:11:25 | 社会・経済
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右ハ大毛寺ヲ経テ飯室鈴張ニ通ズ。    ここで我が荒屋へは、右に曲がって道なりに進む。ちなみに娘の自宅はこの沿線にある。この道標、角が欠け痛々しい。道路拡幅工事のたびに傷つけたものだ。これも文化財、という気持ちが役所にもないし、まして施工業者には無い。そこでへそ曲がりの、私の出番となる。早速区役所の、道路維持課に出かけ、文句を言う。業者も役所も平身低頭。しかし、欠けた道標は、元には直らない悲しいことである。こうして文化財が一つ傷ついていく。たった一人でいい、工事関係者に文化財の大切さを理解する者居たら。残念だ。

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今日は日曜日

2011-10-23 03:54:50 | 日記・エッセイ・コラム

今日は今日とて孫孝行。可部のまちあげての、イベントがあるそうで、午後には孫二人連れて、忍者塾にいくつつもりであります。結果発表は、あすいたします。今日から皆さんには安藝門徒の国をより理解していただくために広島弁で紹介していくことにしましょう。

わしはのー、だあじななことを、一つみなさんに報告するのを、忘れとった。この可部の街はのー、もう一つ、街道が別れとたんじゃ。出雲街道じゃ。今日紹介する道標に書いてあって、思い出したんじゃけー、わしもとしーとたもんじゃと苦笑いじゃけー。石見境まで本当に行行けるか、不安になってしもた。

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この道標、「右は三次ヲ経テ出雲ニ至ル」石見のことばかり考えとったら出雲のことをすっかり忘れとった。これじゃあ案内人失格じゃのう。ほいじゃが、気ー取り直して頑張るとしょうかいのー。この道標のある三叉路が、可部じゃ一番古い街道ということになるのー。なんでか?ほいでも、出雲道の表現、は明治以前の表現じゃけのー。ここを左に曲がり、石見街道を我が荒屋に向かい、帰りよったら次の道標にあたる。006_3

この文面の左面「左川筋今井田ヲ経テ加計ニ通ズ」(石見街道がここで二股に別れている)と書かれとるけえここを右折、続きはまたあした。広島弁は肩がこるので、あすからは広島の標準語にもどしますね。右半分の写真はあしたまでの、おたのしみ・・・・・・・・

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