ここが旅の始まり、対岸が八木の渡。 かっては、この川幅全体を、蕩蕩と水が流れておりました。昭和四十年の夏、渡の上流で、百五十人の青年たちが、キャンプをしたことがありますが、そのとき私の姉が、可部側の河戸「かつては、神戸と書いたそうです」に結婚して住んでいましたので、歩いてわたり、びっくりさせてやろうと川に入りましたが、びっくりしたのはこちら。水は腰より深く、流れもきつく、死ぬ思いで河戸にたどり着いた、記憶があります。あの水はどこにいたのでしょう?そう、上流に西日本屈指のダムができ、いまでは、この有様。子供でも歩いて渡れます。かっては、渡し船が旅人をのせこちら側「中原」との間を行来していました。時には、水難事故もあったようで、昨日お見せした船着場までの、掘割のたもとに、供養のお地蔵さまが祀られています。
本日の旅はここまでとし、妻の夕食の買い物をして、家路につくとしましょう。川口えいこうさんは、昨夜の料理はなんだろうか?これからえいこうさんのブログでも見て参考にしようかな。