藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

烏何故なくの・・・・

2024-06-28 16:23:30 | 日記・エッセイ・コラム

 私が住まい致しているのは、広島市の北の端。 金亀山福王寺の麓、標高150mの所である。 この寺は、別格本山で、平安時代は僧兵3000人を抱えていて、平家の一翼を担っていたそうだ。 天皇家から直々に領地を与えられていた寺である。 空海が開山、不動明王像は国宝であったが、雷で焼失した。 嘗ては、国家に歌われている「さざれ石」を、宮廷から授かっていたが、・・・・。 此の山には、昨年夏までは、多くの「烏」が住んで居た。 朝早く十匹単位で、東、南、西に、餌探しに行っていたが、十月ころから姿を消した。 どうも「鳥インフルエンザ」で、全滅したようだ。 先週初めに、久しぶりに「烏」の鳴き声で窓を開けてみると、30m先の電柱で鳴いていた。 遥かかなたから、今一匹鳴いていたので、二匹居る様だった。 それから、鳴くたびに窓を開けて揶揄っていた。 「あほー」と、鳴き真似をしてやったのだ。 それから毎日その電柱にやって来始めた。 その姿が・・・・

なかなかの姿で、ハシブトガラスらしい。 確信はまだない。 すると、私が病院に出かけると、車を追っかけてき始めた。 そして病院の近くを徘徊し始めたのだ。 縄張りにしていた「トンビ」とも喧嘩して、自己主張していたが、とうとう縄張りの一部にしたようだ。 と言うのも、そこは国道191号線で、広島市内で一番混雑する酷道である。 時々、犬や猫の死骸が転がっていて、肉食系の野獣のえさ場になっている。 そこに面して薬局が有り、向かいが「7-11」である。 その駐車場は、野良猫や烏様のえさ場となっているのだ。 その薬局の屋根まで、私の車についてき始めた。

石州瓦の「黒い」、鯱鉾に負けない、つややかな「黒い」衣装である。 この写真は昨日のもので、本日は雨。 何処に行かれたのか、所在が不明である。 たった一匹の烏。 健やかに過ごしてほしい物なのだが・・・・。

コメント (4)
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