藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

まさかの「ノーベル平和賞」

2024-10-12 11:05:10 | 日記・エッセイ・コラム

 この世に生を受けて、79年と五カ月。 生後四か月で原爆の洗礼を受けた身である。 高校二年生の五月、朝礼で倒れて三年間の半分を、大学病院のベットの上で過ごした。 成人式には、あえて母親が作ってくれた背広を着ないで、学生服で出席した。 小学校時代からの親友も、私に合わせて学生服で出席してくれた。 変わった二人は、直ぐにTV局につかまり、インタビューされた。 最後の被爆者、昭和20年生まれの子供の成人式。 TVも手ぐすね引いて待って居た。 闘病生活は、「再生不良性貧血」原爆症。 当時の事は以前書いたので省く。 今年は、八月十日・・・午前八時タクシーで市民病院に行きそのまま入院。 妻は娘と二人で私に変わって、墓掃除。 携帯電話の電源を切らしておいた。 私は、脈拍20,血圧測定不能・・・・市民病院の記録で、妻と娘に電話がされたがつながらない。 他の身内を聞かれたが、「・・・・」。 一時間後やっと娘と連絡が付いた様だった。 その間に私は、首の動脈に、透析用の器具が付けられていた。 妻と娘が病院に着いたのは十二時。 私は意識は無かった。 あの高校生の頃と同じく、「明日の朝日を見る事が無いかもしれない」状態であったことは確かである。 「ノーベル平和賞」が、被爆者団体に送られていなかったら、今日もブログの更新はしなかったであろう。 何時何時、心臓が止まってもいい様に、身辺整理を始めている。  

コメント (4)
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