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戦後の広島は、広島駅、横川駅、己斐駅の三つの駅の闇市から始まったと言ってよい。 それは又、皆さんが良くご存じの「仁義なき戦い」の場でもあった。 しかしその場は、人情厚い助け合いの場でもあったのです。
子供の頃使っていたマッチ、これもまた戦後社会の中で、原爆スラムと共にその中で生産されました。 これらは、内職と呼ばれて、「針の包装」と共に、最低生活を支えていました。 内職に持ち込まれる材料は目分量で、材料の中の不良品を見込んで大目に持ち込まれます。 「マッチ」の製造は、「外箱の材料」、「うち箱の材料」、そして、「マッチ」がバラバラで作業者の家に持ち込まれます。 其の数は大まかで必ず多めに来るのです。 ですから出来上がりの品物は丁寧な作業をすれば多く出来るのです。 多くできたからと言って、余分に工賃は払われません。 ではどうなるのか・・・・・。 それは・・・・・
これも一諸。 この物が闇市に出てくるのです。 売り手が問題なのです。 大人が売ると、「ヤクザ」からショバ代が請求されますが、子供が売るとそれはあり得ません。 こうして戦後のやみ市での、子供の商売が成立していました。 その理由の一つが、原爆孤児の多さです。 疎開していた子供を残して、親が原爆で亡くなった・・・・広島では珍しくなかったのでした。 土曜日や日曜日には、 本道通り商店街や、原爆ドームの周辺、宮島の桟橋周辺では、原爆によるケロイドのある子供たちが、こんな商品を売っていたのでした。 白衣を着た「傷痍軍人」もまた同じ場所で、「アコーデオン」を弾きながら物乞いをするのでした。 商品が軽いため、子供向きだったのです。 それぞれのメーカーも黙認していました。 ただ、「原爆を売り物にしている」という、批判もあったのも事実でした。 そうした時、必ずや「同情するなら金をくれ」とは言いませんでしたが、それに近い反論が上がり、誰も批判できなかったのです。
この記事は 非常に書くことが難しい。 昭和21年、萬国製針の工場が再興した時から、広島市内の闇市で始まった事を記憶したいと思い書くことを思いついた。 昭和20年4月生まれの私の記憶は23年頃からはっきりしている。 工場が再建されたのは、現広島市西区楠木町。 山陽本線横川駅の北東、汽車の窓からは、
現在こんな景色が見える。 皆さんご存知の「クローバーぬい針」は、遡る事大正時代、萬国製針が作った物を、販売「クローバーぬい針」として、世に出ました。 原爆で工場は崩壊。 21年再建されて、再び世に出ました。こんな物覚えていますか・・・・
この袋の中は、鉛の箔で包まれた針が入っていました。 この包みを作っていたのが、戦後職や、家をを失った「原爆スラム」に住んでいた人たちや、近郊の延焼を免れた人たちでした。 工場で作られた針は、方向が一定ではなく、先ずはこれを整えるために、竹の節と節の間の空間を利用します。 二つに割られた竹筒の中に、工場で出来た針を入れて揺すります。 そうすると、その竹筒の底に、2方向に向いて並んだ針の山が出来ます。 それを取り出して、二枚の暑いゴムの間に挟み、木づちで叩くと、針先のとがった方がゴムに刺さります。 こうして方向を整えると、次に鉛の箔の上に針を並べ、順次その外側を印刷された紙で包んで完成です。 この仕事は役割分担が有って、前半の誰でも出来る所は、子供が担っていました。 こうして戦後の広島の生活を支えてのです。 萬国製針は今も全国一位の生産量を誇り、海外にも進出しています。
書きたいのはこの後の物語。 あすこの続きを書きます。
午前中、地元スーパーに買い物行って来た。 盆前に行ってから久しぶりの訪問だったが、店に入るなり従業員から「えびせん入りましたよ」と、声を懸けられた。 そう言えば、店長さんと「えびせんについて話したっけ」・・・。 「カルビー」の子供向けコナーが出来て、お盆で里が入りした親子で賑わったそうだ。 有りました、「えびせん」 子供向け36円の物。 「匠海」の付く、高級品ではありません。 消費税込40円です。
右肩に 賞味期限、製造年月日が入っています。 これ、「カルビー」が、最初に入れました。 大昔に近い話を昨日したのでした。 言いだしっぺとしては、「買わずばなるまい」の心境で購入。 孫が来れば喜ぶだろうが・・・・・・。 外は35度を超えました。 真夏に後戻り・・・・・・。 「あついーーーー」・・・・
昨日の記事を深夜読み返していた。 なんてこったー・・・・・・!。 一番大事なことを書き忘れていた。 年を取るとこうなるのか・・・・・・。 皆さんには何のことか解らないでしょう。 今日ではどんな商品も、工場で加工されて出来たものは、製造番号、日時等がその外袋に刻印されています。 実はこれを最初に始めたのが「カルビー」なのです。 自分達が作ったものに、最後まで責任を持つ!・・・。 「カルビー」の 会社のポリシーです。 社名からして、未来を背負う子供たちの体作りに貢献したい!。 今でもその精神は忘れていないそうですが・・・。 でも本社は広島を離れました。・・・・ 「世界に羽ばたく為に」。
「カルビー」 頑張れ!・・・・・。
明日は、「萬国製針」をお送りします。