テレビの話である。 グレースの履歴という番組をNHKのBSでやっているよ、S8が出ているよと友人から連絡がありました。
S8と言うのはホンダのスポーツカーでもう60年ぐらい経つと思うのだけれど、ホンダの初期の4輪車でした。
麦畑の中を走る赤い車。 これがS800です。
この車です。 紛れもなくS800、まだこの車が実在するだけで驚きなのに、実に綺麗で塗装もピカピカ。 そして実際に走っているし。 でも左ハンドルなのが気になる。
物語は、この車の持ち主は女性でこの車に「グレース」という愛称をつけた。 その女性(尾野真千子)は亡くなってその旦那(遠藤賢一)がこの車で走っているところから見たのだけれど、すでに番組は何回か放送されていて、その前の話は知らない。
車の調子がおかしくなったところにバイクで若い女性が現れて、修理屋を紹介してくれる。
そこはバイクの修理屋で主人が仁科(宇崎竜童)だった。 この人の経歴がすごい。 元ホンダに勤めていて、S8を作ったメンバーだった。 その後、ホンダが2輪の世界選手権に出ている時にチームの監督をやっていて、ヨーロッパ中を転戦している。
店にはこういう写真が壁に貼ってる。 自転車にエンジンをつけただけの2輪から始まってスーパーカブを作った程度の小さな小さなバイクメーカーが、世界の檜舞台に出て、ついに優勝して、日の丸、君が代をヨーロッパに掲げたのだ。
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これを見ていて私は、即、マン島TTレースを思い出した。 サーキットではない島の中の狭い道を周回するバイクのレースだ、そこで、日本のホンダのバイクと日本人のライダーが頑張って優勝したのだが、高橋国光さんの名前は忘れない。世界で一番早いライダーだったのだ。 その後、転倒してマン島の石作りの家の壁に衝突、腰の骨を折る大事故を起こしてしまった。
そこで、復帰後はやはりレースの世界で、今度は4輪で活躍し始めた。
1971年の富士スピードウエイだ、前が長谷見さん、後ろが国光さん。 この時には
日本グランプリのフォーミュラーのレースがメインイベントで当時人気絶頂の生沢徹さんが出ていた。パドックで写しているが何故パドックまで入れたのか覚えていない。
高橋国光さんだが、鈴鹿サーキットのレースでは日産のフェアレディー2000でテールを大きく流してのドリフト走行で観客を沸かせていた。 弟と興奮して見ていたものだ。
その様子を私のレイアウトで再現したのがこの写真だ。 この国さんも昨年亡くなったとのこと、弟は国光さんを偲ぶ会に出席している。
こういうことを思い出させてくれる番組がグレースの履歴だ。
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車のボンネットを開けているバイク屋の仁科(宇崎竜童)が車を直せるかと言うと、もともとS800を作ったメンバーと前述しているが、
さらに仁科が話を続けて、ホンダは誰にでも買えるスポーツカーということでこの車を開発し、ポルシェの1/7の価格で売り出した。 これは日本国内だけではなくアメリカやヨーロッパにも輸出した。 そして、車だからやはり故障はある。 その時にまだ小さな会社だから修理できる人があまりいない。 日本国内でも修理できる人間が少なく、設計技術者や販売員まで修理に出かけていた。 そして海外にも修理しに行くのだが、なにせ人材がいないのでどうしたかと言うと、その頃ホンダはバイクのレースだけではなくてF1のレースにも出ていた。 そこにはメカニックのメンバーがいる。 この人たちがS800の修理にも動員された。 レースが終わると修理しに行く。 車のオーナーはF1のメカニックが修理してくれるので大喜びだったそうだ。 こういうことで、ホンダはヨーロッパでの評判が高くなっていった。
何か、ホンダのプロモーションビデオの様だが、NHKの番組である。
仁科は4連キャブの調整をし始めていた。
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ちなみに当時の車はほとんどバタフライ型のキャブが1つで、高級なスポーツタイプはツインキャブで凄いだろうと宣伝していたが、この車はフォーキャブで、ツインの倍である。 しかもCRキャブだ。 各シリンダーに一つづつ高級なキャブレターが使われていた。 その分、調整もかなりの技術が必要だった様であるが、これはバイクのエンジンから来ている。 当然DOHCである。 驚くことにホンダはトラックのT500にもDOHCエンジンを積んでいた。 まさにレーシングカーだ。
車自体もバイクを延長した技術が使われていて、S800の前のS600では後輪のドライブにチェーンが使われていた。 バイクそのものである。 だからS600は走行の時にチェーンの音がしたり、加速減速でチェーンの伸び縮みによる車体の揺れがあったりしたためS800からはドライブシャフトになった。
スポーツカーというと、よく最高速度はと聞かれたりするが、スポーツカーの特徴は最高速度ではない。 気持ちよく地面をトレースして自分の意のままに車が走るかである。 エンジンレスポンスが良いことは当たり前の条件で、アクセルを踏んだ瞬間に回転が上がるし、アクセルを離せば即、回転が下がる。 弟がS600を買ったのでよく乗ったが、まさにバイクのエンジンの様にすばらしいレスポンスのエンジンだった。
テレビの画面にもよく映ったが、タコメーターだ。 レッドゾーンは8500回転。 S6は9000回転だったかもしれない。 驚くほどの高回転エンジンだ。
そして、サスペンションはダブルウイッシュボーンの4輪独立懸架だった。このため地面への追従性がよく、まるで地面に吸い付く様に走る。 コーナリングも小気味良い。
これは、私がS600をダートで走らせているところだが、自分の意のままに後ろも流す事ができた。
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仁科はヨーロッパでのレース生活の中で、モナコのオーナーにS8の修理を依頼された。 立派な別荘で、オーナーは女性だが、それがグレース・ケリーだった。 この方はアメリカの大女優で、モナコ公国の公妃となった人でその別荘に呼ばれての修理だった。 S8は真っ赤で、ピカピカに磨き上げられていた。 そこで、仁科は4連キャブの一つを分解して修理したのだが、グレース・ケリーのサインでも欲しかったのであるが、すでに高貴なお方になっているので話もできない。
そこで
こっそりと、キャブレターカバーに自分の名前を彫刻してきたのである。
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ここで、モナコ公国、グレースケリーの名前が出ると私にも思い出がある。
モナコの王宮である。 グレース・ケリーはここの公妃となったのです。
これが結婚式を挙げた教会です。 私がモナコに行った時に結婚のことは知っていたのでこの教会も写したのですが、グレースさんがS8のオーナーだったことは知らなかった。
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ということで、このテレビ番組にさらにのめり込んだのでしたが
車の修理を終わった仁科がテストドライブに遠藤賢一をのせて、信州の山道を走る。 まさにスポーツドライブでクラッチの踏み方やアクセルの足の位置なども遠藤賢一に教えながら、小気味よく走る。 エンジン回転を上げなければ低回転ではトルクが低いので、という言葉も身にしみる様にわかる。 普通の乗用車感覚のエンジン回転で発進すると確実にエンストする。 スポーツカーとはそういうもので最適な回転範囲があるし、それが狭い。
仁科(宇崎竜童)がドライブしているという場面だ。 (それにしても60年前のこの車、よく整備されている。 これだけのドライブができるのだから。)
車のオーナー遠藤憲一は横で真っ青だ!
仁科は修理が終わったS8を遠藤に返すのであるが、この場面など、はっきり HONDAを写してNHKもやるなと思ったのでした。
そして、修理代はいくらという遠藤の言葉に、修理代はいらない、と言う仁科の手には
仁科の名が刻まれたキャブレターカバーがある。
この車こそ昔、仁科が修理したグレース・ケリーのS8そのものだったのである。
キャブレターカバーは新しいものに変えたよ、これは私が貰っておくと言って、今回は終わるのであるが
後のナレーションで
この美しい並木道をS8が走ってくるシーンがあった。 ドライブしているのは遠藤の奥さん、すなわち亡くなった尾野真千子だ。 この場所はマキノだと思ったのだが、どうなんだろう。
この後、まだ数回物語が続くのでどうなるかわからないが、まだまだ、この女性が出演する過去の場面が登場するのだろう。 BS 日曜の夜10時からです。
さて、面白かったのが
宇崎竜童がエスプレッソコーヒーを飲むシーン。 角砂糖をコーヒーに入れてかき回さずに少し溶けたところを食べる。
サーキットの転戦で覚えたのだがイタリア人が良くするそうで、美味しいとのこと。 我がエスプレッソマシンでも一度試そうと思っている。 とりあえず角砂糖を買わなければ。
美しい木のハンドル。 S6もこうだった。懐かしい。
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