寛仁さま逝去、野田首相が謹話(朝日新聞) - goo ニュース
一滴の涙は、いかに人の心に、その人が残っているか、である。殿下には、いろいろな重なる思い出があり、偲ぶに胸が熱くなる。カナダ大使館に世界的有数のクラブ、CCT(City Club Tokyo)があった。殿下(名誉会長)が関係されたチターは、(第3の男、ジョセフコットンとオ―ソンウエルズ)でjウイーンの哀愁を込め映画で一躍有名になったピアノの原型のような楽器があるが、そのチターを楽しむ会を何度も模様された。気さくな庶民派で、いつも静かなgentlemanshipは、憧れであった。癌nに犯かされながら、それも喉頭がんで、病魔と闘いながら、その姿勢を崩すことはなかった。御父上もまったく飾らないお人柄で、大学でたころ、何度もお茶をご馳走になり、エピソードを語られるのを聞いた。その美人喫茶も懐かしい。
天皇家が英国に留学、また、親密な関係が英国とあるのは、周知の事実だが、三笠宮家は、カナダと親密な関係があり、留学もカナダである。殿下は、オックスフォード出であるが。自然な外交で、皇族が驚く活躍がある事実を国民は知っておく必要がある。
殿下の訃報は、まことに悲しく、胸を締め付ける度が強くなる。髭の殿下として、庶民に慕われた生涯は、身体障害者への貢献、スポーツのサポート、などなど日本の史上で記すべき皇族のあり方も示されたものであろう。
日本人の皇族への思いは、ほとんどの人が、雲の上の人と位置づけているかもしれない。実際は、そうではないのである。庶民が接する機会がないだけで、むしろ、一般人よりも、庶民的と思った方がいいかもしれない。
天皇家を尊敬し、皇族を好きになったのも、殿下の御父上と寛仁殿下のお蔭である。だから、皇族の数々の写真を、オフィスや自宅に飾っているのは、形状的発露ではない。
謹んで、地球の重さと同じくらい、哀悼の意を申し上げたい。かならず、殿下とお会いできる日が来ることを自分は、信じている。チターと供に。だから、さようなら、言わなくていいですか?
臣 剛大
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