烏山城の18番は、クリークをのぞく、むつかしいのぼりのホールだ。
145残した2打目は、バーデイを必要とした。勝つためには、トップを走っていた堀琴音に追いつくには、バーデイしかないと精神を集中させ、ピンの上4メートにつけた。早い下りを読み切り、バーデイ、スター誕生のワンスとロークである。
アマは、失うものはない、と言われるが、アメリカツアーを視野に入れたゴルフは、貪欲出なければ、先は見えない。女子の世界も、海外の選手がトップを譲らない中、女子ゴルフ界にも、かげりが」見え始めた矢先のビッグニュースだ。マスコミが、欲っしていた目新しいプレヤーが突然、出現したので、それ!ばかりに、表紙や新聞一面、NHKまで筆頭にビッグニュースとして取りあげた。あさましい限りだ。しかし、LPGAは、飛びあがって、喜んだか、どうか、わからないが、ニュースターを探し求めた。なぜならば、世界に伍する選手が、いない空虚感を感じ取っていたからだ。宮里藍や美香やさくらまで、海外に出て、LPGAの人気は、総勢の力でさせるしか方法がなかったからだ。会長の小林浩美は、粉骨砕身、声を上げて、LPGAを喧伝したのは、未来を見据えたポスチャーであった。もちろん、樋口久子の指導が深いから、ここまで、持ちこたえたといってもいい。海外においても、さくら,藍、美香などの振るわない成績、野村だけが、何とかスターダムにしがみついている格好だ。すでに、リデイアコやアリヤジュタンガルなどと互角に戦えるとは、思えないからだ。
この畑岡が、日本女子オープンを制したビッグニュースは、15歳でチャンプに飛びあがった石川遼のデビューと重なる。当時,JGTO日本プロも、衰退の道が見えるだけで、前途危うしの声が日本に充満しつつあるときだった。その厄介な時節に、突然、スター誕生が起きたのだから、ゴルフ界は沸いた。人気が復活し始めた。マスコミ、スポンサーこぞって、遼を歓迎し、すべて、遼がいないとイベントにならないほど、騒ぎ天地をひっくり返したのは、諸氏も記憶にあろう。
その人気を盾にして、遼のことも熟慮せずに、人気を回復の原動力として利用してきた。もちろん、遼の側も引っ張りだこで、お金もふんだんに集まり、潤沢になっていったことは、言をまつまい。記者は、この5年の歳月が、遼には、もったいない時期として記憶しておくべきだ。15歳で勝ち、その3年でアメリカに渡っていたら、と考えると残念な日々である。ゴルフ界のひな壇に押し上げられた少年はいつしか、青年になり、基本的体の鍛造を正確なデータ不足で、一年以上を棒に振ったのは,事実だ。でも、まだ、好青年の遼には、原点に戻るだけの時間を持っているのが、未来の扉を開くエネルギーになる。
さて、畑岡の戻る。女子の場合は、時間が限定されるだけに、30歳までに、トップレベルのゴルフをこなし、メジャーまで獲得しなければならない。
畑尾がトップになるためには、リデイアコやアリヤなどのゴルフを勉強し、引き出しを多くする必要にかられる。もちろん、ヘンダーソンやインビー朴などの
ゴルフも会得する必要もある。チュンインジーに負けない体感のあるゴルフに徹するのが、当然の目標になる。
記者は、久々に出た卓越した女子ゴルファーとは、言わない。生ぬるい隙間から湧き出した蒸気だと思っているからだ。勝敗で、うれしい、悔しいだけでは
永い帳場は乗り切れない。17歳だ。最低、10年は、戦える。ゴルフを始めて年、頂点を仰いで、プロ宣言だ。LPGAは、少しでも、和製スラッガーのプレーを見るために集うギャラリーが目算としてはあるだろう。しかし、オリンピックを2020年、を控える。大きな解釈で、鎖につなげず、送り出してはどうか。
上記の選手たちと、競う日が近いことを期待せずには、この原稿はすすまない。
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