22日、日本の舵取りが決まるビッグサンデイである。残念ながら、国民を守る、この国を守る、の合唱はどの党も同じなのだが、どうして守るかの説明を解いたのは、ない。守る、という大義名分は、響きはいいが、裏付けがなければ、何ら意味がない。憲法改正と消費税が、サブジェクトの選挙である。Yes,の看板が上がれば、戦後70年、初めての大改革が実行される歴史的な選挙となる。
このたびの立候補者を全国視野でみても人気俳優やタレントのおちゃらけた選抜された人物は見当たらない。初めて、国政参加の希望者の候補者は、厳しい現実を生命を賭して取り組み、国民の総意に応えなければならない。ただのサラリーマンバッジ組に参入をしてはならないのである。北朝鮮の有事は、20%だと伝えたMediaもあるが、20%というのは、神経を逆なでる数字でもある。有事が起これば、70年平和を謳歌した時空は、完全に崩壊するだろう。記者とて、その有事の犠牲になって、現世界と別れを告げているやもしれない。自分だけは、生きている、と考える時代は、核戦争になると難しいだろう。記者が、以前に述べたように、希望の党ができて、民進党がなだれ込んだ。そこまでは、保守を重んじる小池百合子は、成功したといえるやもしれない。しかし、公明党から決別されたのは、大きな傷となって、修正がつかない岐路に迷い込んだといっていいのではないか。東京都の統領を決めるのは、百合子ブームで、公明党も賛同して、大勝利したのは、日本を変えるに必要なエネルギーが国中に充満したと思った人たちが多くいたのは間違いない。しかし、国政参加で希望の党ができて、ブームを作るだけの時間と政策論が欠如したのは、選挙には痛い。このままでは、自民と公明の連立に、圧倒的に票が動いたすれば、自民と公明連立に代わる政党が弱かったからと断言できるのではないか。おそらく勝利の意味が、憲法改正や消費税の政策に大賛同を得たかどうか、疑問であるから、丁寧な議論が必要であることは言うまでもない。
代議士は、政策論で勝負する気概がなくては、務まらない。逆に言えば、政策論を持たない人物が、立候補してはならないし、バッジをつけるべきではないと、諫言したいのである。人気がゆえに、バッジをつけて、赤絨毯を歩くのは、平仄にあわないというべきである。国民の血税を無駄にしていけない。
日本時事新聞社 論説委員 古賀剛大
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます