電車道

多趣味なので、いろいろなことをしています。気ままに語ります。

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電車道とは…
廃線あとの道路・・・想い出を辿りながら新しくしていく喩え。
相撲で立会い一気に押し出すこと…目標に一直線に進む喩え。・・・でんしゃみち。
マナーと良心を持って鉄道を楽しむことをいう造語。・・・でんしゃどう。

いろいろ悩んで日本の将来のために教育業界に就職しました♪♪ 小学生を相手に塾で理科の先生をしています。

ナナシサンのHNはヤママユガ科の和名から。

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駒場での6年間 ~高校3年、最後の1年~

2011-03-04 14:04:16 | 筑駒生生活・筑駒OB生活
高3は個人的には生物部も引退してたし、最初は適当にやり過ごそうと思ってたよ。
だけど、59期っていい期だったな、って思った1年だった。


食品班のデザイン係、体育祭Tシャツのデザイン係、卒業文集の表紙デザイン係。
生物部を引退してから3個のデザイン係を引き受けた。
生物部時代はデザインも含め、かなり沢山の仕事をこなしていたんですが、59期のほうにはほぼノータッチで協力的でない態度をとっていたので、これだけのオファーをいただけたことにはただただ感激しています。

音楽祭、体育祭、文化祭と、みんな思い出に残る行事だった。


夏の生物チャレンジもよかった。
高3だから代表になることはできないけれど、様々な賞をもらえたしね。


以下、受験勉強失敗記。
受験に失敗したかはまだ分からないけど。

高3の中でウェイトを占めるのはやっぱり受験勉強だと思って。
でも、最後まであまり本腰が入らなかった。

駒場の悪いところは「とりあえず東大」「浪人したら絶対東大」という風潮だ。
そもそも駒場に受かると近所や親戚の無言の圧力で「東大⇒医者・公務員」の道しか許されない部分もある。
まぁ東大卒が有利なのはそりゃそうかもしれないけど。


だから私は、センターが終わるまで、受験について真剣に考えたことすら無かった。
東大を見たことも行きたいと思ったことも無いのに「浪人でも東大」と豪語してた。
これは「絶対に現役で…」で無い点、今思えば「とりあえず東大」どころか「筑駒だから仕方なく東大」みたいなヤル気の無さの象徴だった。
だって、そう言いながらも生物チャレンジで好成績を収めた後は本気で生物で筑波大特別入試を受ける気が満々で、さらに合格後も見据えて統計と物理の勉強を始め、短期間で取れる資格についても色々と調べた。

駒場には私以外にも前者のような人間は多く、東大志望は将来有利になる志望であろうが、大学に行く意味とは何たるか、と考えたときに後者みたいなヤル気が圧倒的に大切で、東大受験のそれを得るための何かが足りなかった。

「なんとなく東大」で受かるような天下の東大ではなかった。


特別入試の受験をやめて以降は「なんとなく東大」でヘラヘラ勉強して成績も伸びず、そのままずるずる。
それでも、私は昔から生物学については趣味だったから、受験勉強は少々そっちのけでも、というか受験勉強を始める以前から海外の科学ジャーナルなんかはネット上で読んでいた。

センター試験がオワって初めて目が覚め、受験について考え始めた。
そんな中で、ジャーナルに興味深いものが多かったこともあり「京都を受けよう」というのは比較的あっさりと決まった気がする。
それからは平気で1日に10時間以上は勉強したさ。

でも1ヶ月であの癖のある入試の合格点を取れるような天下の京大ではなかった。


東大志望だろうと京大志望だろうと、こういう気持ちがもっと早く生まれる切欠がほしかったように思う。
だから、早いうちにヤル気を出す切欠を得ておくってのはやっぱり重要。
浪人したら、精神の余裕は無いが時間の余裕は比較的あるそうなので、自らのヤル気をを鼓舞するための時間を頑張って作れるようにしたいね。

現役で京大に行ける可能性はまだ僅かにあるわけだけども。


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駒場での6年間 ~高校1・2年のとき~

2011-03-04 10:25:56 | 筑駒生生活・筑駒OB生活
高校になって新しい40人を出迎えスタート。
想像を絶する天才達かと思えば、そうでもなかったかな。

なんか、高1の記憶って殆ど無いんだけども…

5月ごろだろうかね、62期の中1が田圃からデカイ蛇をとってきて、生物実験室で逃げたことがあったな。
あれは本当に凶暴な蛇だった。

7月かね、昆虫採集の下見とやらでなんか大冒険したよ。
よく生きて帰ってきたと思う。
雷雨の中で野犬に出会ったり踏み切りの無い線路を渡ったりした経験は一生もの(笑。

11月、生物部の部長に就任。


高2のときは、生物部は本気でやった気がする。

4月末~5月初旬は蝶採集のために三浦半島や裏高尾なんかを色々うろついた。

5月の旅行、インフルエンザで途中撤退。

7月の生物チャレンジまさかのマークミスで1次予選落ち。
ささやかな闘志を燃やして代表を狙っていたので残念。

生物部の合宿は沖縄。
とんでもねぇボロ部屋に泊まって、大量のゴキブリや、それを食うCD大の高速なクモ、アリとの戦いの日々。
それでもやっぱり沖縄ってのは海は綺麗、蝶も綺麗、ものも美味しいいい場所だよ。

9月には生物部新企画で三浦半島の二子山へ行った。
あの山は、好きだ。

11月、文化祭。
あの年の生物部の展示は史上最高の展示だったと勝手に自負している。
全日程が晴れであそこまで大衆賞で健闘したのもひさしぶりじゃないか。

そして引退。
私が筑駒生活で泣いたのは、結局その夜だけだった。


そして受験勉強スタート。
初めのうちは参考書を揃えてかなり勉強してたけど、続かなかったね。
そして今がある(笑。


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駒場での6年間 ~中学2・3年のとき~

2011-03-04 00:26:47 | 筑駒生生活・筑駒OB生活
その時期の記憶って大して無いんだよな…

4月は新入生歓迎。
60期は20人ぐらい入ったっけか。
まいたけ君がその第一号、すごく記憶にのこってる。

5月は東京地域研究。
世田谷区役所って実はセンター試験会場の近くだった。
59期某氏が着替えてるのふと見たとき、白パンツにクマちゃんのワンポイントが付いてて驚いた。

~空白の~
2006年は生物部の野外活動も少なかった。
中2だったし。

11月文化祭。
展示内容はちょっと残念だったけど、中2で外装担当とかパネル書きとか、ほり★りん氏中心に、59期はなんだかんだいって頑張ってたと思う。
理由は言わんが、文化祭の高2でのHR解体に最初反対票を投じたのはこの頃のことが大きい。

12月しながわ水族館。
北総7000系いたね、なつかしい。



5月20日ぐらい、東北地域研究。
どうしようもないぐらいド田舎なんだけど、不思議とそんな気はしなかった。
DWS先生「トイレマンじゃなくてトレインマンか!」当たり前です。
写真の色鉛筆が、そのときのネタになったもの。

7月、忘れはしない期末公民17点。
それも、先生が×を付け忘れた2問を書き直して15点から17点にしてもらった17点。
15点だったら学年最低点だった…アブネ。
生物部合宿、火打山。
あれはよかった。

11月文化祭。
チョウの鱗粉ってあの頃からやってたんだっけ。

12月急行銀河さよなら乗車。
寝てたから覚えてないが、帰りは鈍行で京都⇒東京。

1月は東急8000系が東横線から撤退。

3月、中学卒業。
当然の如く泣かなかったな、高校卒業も泣かなかった。


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