小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

犬の眼差し

2014-07-12 | 犬&猫との暮らし
 なぜだろう、無性に会いたくなるのはたいていクリなのだ。車の運転中に思い出すのは、いつもクリのことだ。心の琴線に触れる曲がかかると晩年のクリを思い出し、声に出してクリの名を呼んでしまう。何度も名を呼びながら「会いたい」と連呼して、しゃくりあげることになるのだ。

 3頭の中で最後に看取ったのがクリだから? どうもそれだけではなさそうである。

 クリは幼犬の頃から心身にいろいろ問題を抱えていたので一番手がかかり、何かと世話を焼くことになったけれど、その分クリの私への忠誠心が大きくなったように思う。
 まるでストーカーのように付きまとい、必ず私の行動を目で追っていた。私は常にクリの眼差しを感じていたのだった。

 前に、犬をなでたり触ったりすると、人間と犬双方の脳内で「絆ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの分泌量が増加することが分かってきており、それがお互いの関係性を深め、幸福感につながっているのだろうと書いたけれど、触れ合うことの効用のほかにも、興味深い実験結果がある。

 それが、麻布大学伴侶動物研究室のチームによる実験によって「犬が飼い主を“注視”したとき、飼い主が犬の視線に気づき、それをきっかけにやり取りが多くできるペア(飼い主と犬)ほど、両者の尿中オキシトシン濃度が上昇する」ことが分かったというものだ。

 犬は人からのシグナルを読み取る能力を持っている。この能力は狼にもチンパンジーにもないそうで、犬はこの能力を家畜化される過程で身につけたのだという。
 そして、人からのシグナルを読み取ろうとする際に犬がする行為が「注視」であり、注視は犬特有な行動なのだそうだ。

 絶えず注がれるクリの視線と目が合うと、私は何かと言葉をかけてきた。仕事中や散歩中なら、ただうなずくだけのこともあれば、エサの準備をしている最中であれば、当然次にするのはエサやりだし、なでる・さするという行為の前にも視線のやり取りが当然あるわけで、それはクリだけに限らないことだけれど、トチとブナに比べるとクリからの注視が圧倒的に多かったと思う。

 

 それだけクリは私からのシグナルを気にしていたのだ。自立できていなかったとも言えるが、私をボスだと認めて頼りにしていたのだ。

 私は犬たちの眼差しに癒され、支えられてきたんだなと改めて思う。尿中オキシトシン濃度は上がりっぱなしだったに違いない。あの眼差しによって私は自己肯定してこれたのだと思う。

 寝たきりになっても、何とか体勢を変えて、私のほうに顔を向けていたクリ。見える方の目をこちらに向けて、私からのシグナルをじっと待っていたクリ。そういう一瞬一瞬の眼差しを思い出すと、ふなっしーじゃないけれど「涙ブッシャー」である。

 私はきっとクリのあの眼差しを欲しているのだ。私がときどき淋しくなるのは、そんな眼差しが感じられないからなんだと思う。黒犬たちと違って、カヤとは眼差しによる交信ができないから。

 でも、カヤだって歯がゆいに違いないのだ。犬が持っているせっかくの能力を生かせないのだもの。

 注視はしてもらえないけれど、カヤはクリと同じように、家の中では私の行く所、行く所にくっついていくる。カヤは嗅覚や触覚を使って私の存在を確かめ、私からのシグナルを感じようとしているのだ。私もそれに応えていかなくちゃね。 

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