ブナが亡くなったときに天使になったブナを描いてくれたゼンヨージ画伯が、クリが亡くなったことを知り、今度はこんなに可愛いイラストを送ってくれた。
それはそれは寂しいですね。。。。
「元気出して~」ってみんなで
いろんなところに、隠れているかもしれませんね。
って。もう、ゼンチャン、ボロ泣きだよ~。
でも、ホントにこうして隠れているかもしれないと思うと、すごくうれしい! ゼンチャンって慰める天才だな。
ブナのお悔やみに、ピッコイ&アユンギ母が贈ってくれた花は、もう3カ月も経つのにまだきれいに咲いている。これはブリザーブドフラワーなのね。
そして、クリのお悔やみには、モスのウサギが花束を抱えているといった、また趣の異なるフラワーアレンジメントを送ってくれた。
説明書によると、このウサギの形をしたモスは生苔に特殊な加工を施したもので、水やりをしなくても2~3年も鮮やかな色を保っているらしい。
日本人は仏花というと白や黄色のマムなどを織り交ぜ、しめやかな雰囲気のものを選びがちだけど、こういった華やかなアレンジメントも祭壇が明るくなっていいものだなと思った。
ブナが亡くなったあと、先に天国に行った姉妹犬ピッコイの飼い主さんから届いた絵本『わすれられない おくりもの』。
これはピッコイが亡くなってしばらくしてから、お散歩でいつも会う方が「あなたにあげたいものがあるの」と言って、ピッコイ母にくれた本だそうです。
森のみんなに慕われていたアナグマが年老いて亡くなります。哀しみに打ちひしがれていた森のみんながアナグマの死をどう乗り越えていくか……、こころの結びつきを教えてくれるぬくもりが残る物語。
この絵本を贈ってくれた人は70代の女性で、その人の愛犬はずっと前に亡くなり、毎朝、ピッコイたちが集まっていた小磯の丘に一人で歩いて来て、みんなを撫でてくれていたそうです。
きっとピッコイもその方に可愛がられていたのでしょう。ピッコイが亡くなったことを知り、そっと渡してくれた絵本。愛犬を亡くした哀しみが分かるからこその慈しみ深い行為ですね。そして哀しみと同時に、やがて逝ってしまった愛犬との豊かな思い出を時が運んで来てくれることもよく分かっている人なのでしょうね。
私はトチからもブナからもクリからも、忘れられない贈り物をたくさんもらったんだなあ。ブナとクリからの贈り物はまだ笑顔で思い出すことは難しいけれど……。
毎日ちょっと仕事をしては用もないのに出歩いている。車検中で車がないのだけど、それでもバスで出かけたりしている。
ボッチはいても手がかからないし、犬たちを看病していた時間がポッカリ空いてしまって、どうしていいか分からないのだ。
犬たちがいない家に帰るのは怖い気がするのに、犬たちがいた部屋に早く帰りたいと思ったり、こころはやじろべえのように揺れている。
みんなが使っていた布団やタオルケット、ヨガマットなどを処分するためにクリーンセンターに持ち込んだ。16枚ものヨガマットを車から降ろした私に清掃員のおじさんが「こんなにたくさんのヨガマット、何に使っていたの?」と聞いた。家庭用一般ゴミとして申告したので不思議だったのだろう。
仕方ないので「老犬がころんで足腰を痛めないように敷いていました」と答えたのだけど、おじさんは分かったような分からないような曖昧な表情を浮かべていた。
敷物や犬たちのベッドがなくなった室内はやけにさっぱりしてしまった。
犬たちはインターホンが鳴ると玄関に出て行くので、ドアから顔を出して来客が驚かないように、たたきの前にホームセンターで買った赤ちゃん用のゲートを設置し、犬たちが飛び出さないようにしていた。もう飛び出す子もいないのでゲートは不要である。なので、それも処分しようと一度外してみた。
ところが、ゲートのない玄関はなんだか妙に怖いのだ。誰かに簡単に入って来られそうで怖い。ちょっと押せばすぐに外れてしまうゲートなので防御の役に立つしろものではなく、それがあっても簡単に入って来れるのだけど、ないと落ち着かない。習慣とは恐ろしいものだ。一度は片付けたもののゲートのない玄関になじめず、また置き直したのだった。相変わらずいちいちゲートを跨いで出入りしている。バカみたい。
ブナが徘徊していた頃、ボッチはむやみに歩き回るブナに困惑していた様子だったが、遊び半分にときどきブナに猫パンチをくらわすことはあっても、ほとんどの時間を座面を壁のほうに向けていたソファの背もたれの上の縁を定位置にしてじっとしていた。
ところが、動き回っていたブナが亡くなると、ボッチは静かに横たわっていることが多くなったクリを尻目に我が物顔に部屋中を走りまわり、敷きつめてあったヨガマットで盛大に爪研ぎを始めた。足元がおぼつかなくなったクリのためにヨガマットは必要だったので、ボッチが爪研ぎをするたびに「こら~、これはお前の爪研ぎじゃな~い!」と叱るのだけど効き目なし。
ピンク色のヨガマットはとうとうボロボロになってしまい、買い替える羽目になった。ボッチの爪研ぎも何個か新調してやったのに、やはり新しく敷き直したヨガマットで爪を研いだ。クリは寝た切り同然だし、ボッチには怖いものなしであった。ソファの上からゲロを吐いてクリにかけてしまったり(わざとクリに吐きかけたわけじゃないけど)、寝ているクリにも猫パンチをして走り去っていったり、やんちゃし放題であった。
タオルに潜り込んだつもりのボッチ
私は、巨大結腸症で頑固な便秘を患い、あまり抱かれることも好まない、ちょっぴりへそ曲がりのそんなボッチを「引き取ってあげた」くらいに思っていた。
ものすごい奢りだった。
クリが亡くなると、ボッチはストレートに淋しさを訴え、私にくっついて回った。ボッチが我が家に来たときにはトチもまだ健在で、3頭はボッチをいじめることもなく快く迎え入れてくれた。大きな仲間が1頭、また1頭といなくなり、ボッチも淋しいのだ。私がトイレに入ると、ドアを閉める前に駆け込んで来たりした。
ブナとクリを相次いで亡くし、ガラ~ンとしてしまった家の中に、私にすり寄って来るボッチがいたことで、どんなに救われたことだろう。小さな猫の形をした「いのち」が、そこにいるだけで息をするのが少し楽になった。
ああ、この日のために神様は私にボッチを預けてくれたのだ。ボッチを「引き取ってあげた」のではなく「授けてもらった」のだ。私はなんと奢っていたんだろう。ボッチがいなかったから、誰もいなくなった空間の重さに押し潰されていただろう。
この痛みに一人で耐えたピッコイ母の辛苦を思った。新たに家族になったピッコイ似のアユンギも授かるべくして授かった神様からの贈り物なんだな。
トチが幼犬の頃から可愛がってくれていた友人達にメールで、とうとうクリも逝ってしまったことを伝えると、カヌー仲間だったモラさんはブラジルからわざわざ電話をかけてきてくれ、ある雑誌の取材で3頭の素晴らしい写真を撮ってくれたカメラマンのカサハラさんは、再びその中の写真を大きめにプリントアウトして送ってくれ、私の著書である犬本の編集者であるサトウくんは「みんな、愛情をもって育てられて幸せだったんじゃないかな。オオタケさんほど、正しい意味での愛情を犬にあげている人を僕は知りません」という身に余る賛辞を贈ってくれた。
ピッコイ&アユンギ母はピッコイを亡くしたときの辛く苦しい経験から「何をしていいのか、家の中でやることがなく、途方にくれてしまう今のオオタケさんのことが痛いほど分かって、息ができなくなりそうです」と伝えてくれた。
電話を切り、写真を眺め、メールでの慰めを読み、そのつどとめどなく涙がこぼれた。皆さん、有難う。心から感謝しています。
『「犬といっしょに~」』はサトウくんが編集を担当、天使のブナのイラストを送ってくれたゼンヨージ画伯が装丁&イラストを担当してくれた著書で、これを書いたとき3頭は元気で、トチはまだ8歳だった。
カサハラさんが改めて送ってくれた3頭の写真。こういった素晴らしい写真を残してもらえて、本当に有難いと思っている。
ブナに話しかければ応えるように私を見上げ、
クリに話しかければ振り向いて返事をし、トチは
みなを守るようにいつも静かに後ろから付いてきた
離婚して3頭を引き取り、どんなに大変でも1頭たりとも手放すまいと頑張ってきた12年間、最期まで看取ることが私の役目だと思って3頭と心を通わせた日々、かけがえのない時間だった。友人知人、周りの人達の支えがあったからこその幸せな時間でした。
火葬の朝までに4~5回、クリの顔の下に敷いていたペットシーツを変えてやらなければならなかった。なぜ、こんなに鼻血が出るのだろう。しかもまだ生きているかのような鮮血だ。
クリちゃん、どうしたの? どこが辛かった?
酒井先生に聞いてみたくて電話をしたが、すでに診療中だったのでそのまま電話を切った。
車に乗せる前にきれいに拭いてやり、鼻の脱脂綿を詰めてやったのに、車に乗せた際に顔を動かした途端にまたバアーっと鼻血が出て、下にしていた左の鼻から脱脂綿まで流れ落ちてしまった。一緒にクリを運んでくれていた妹もパートナーのOクンもびっくりしている。
納得できない気持ちのまま、クリとお別れしなくてはいけなかった。
東京家畜博愛院には昨年11月半ばに見送った妹たちの飼い猫パンチを入れると5カ月の間に3回も通うことになってしまった。ブナを看取って3カ月も経たないうちにクリを見送ることになるなんて……。クリには飼い主を一人占めできる1頭飼いの贅沢な時間を、もっともっと味あわせてあげたかったのに。
骨壷に入ったクリを連れて帰り、トチとブナの横に並べてやる。ガランとした家の中の冷たい空気感が辛くて、用もないのに買い物に出たりした。酒井先生の手が空きそうな時間まで間が持たないのだった。
夜、診療終了時間間際に、クリの大量の鼻血について先生に話を聞くことができた。クリは至るところに腫瘍をもっており、顔面も右半分が不自由な状態になっていたが、実際に診察したわけではないので断言できないけれど、胃か脳からの出血ではないかということだった。
もし肺に水やそれだけの血が溜まっていたら、もっと喘いで苦しがっていただろうとおっしゃった。胃に腫瘍があって、それが嘔吐の原因だったかもしれないし、鼻の奥、顔面のどこかにメラノーマの転移や再発があって副鼻腔に血が溜まっていたかもしれない。最後の頃は右前肢も動きがおぼつかなくなっていたから、運動神経に影響を与える脳の部分に何か異常があったかもしれないということだった。
あまりにも大量の出血だったので痛々しくて、切なかった。
でも11日に会った友人が言葉を選びながら「亡くなる前じゃなくてよかったんじゃないかな。もし、まだ生きているうちにそんなに出血したら、クリちゃんはきっと苦しかっただろうし、ミホちゃんも大変な思いをして苦しかったと思う」という内容の言葉をかけてくれた。
ああ、その通りだ。その言葉にどれほど救われたことか。理由はどうあれ、もしまだ生きているうちだったら、クリは息ができなくなるくらい苦しかったろうし、私も対応ができずパニックになっていたかもしれないもの。
こんな小さな体から、こんな血を流すなんて……、クリの頑張りを思うと泣けて泣けて仕方がなかった。最期まで私が楽になる道を選んでくれたクリ、もう一度、思い切り抱きしめてやりたい。
クリが少しでも口にしたものは、すぐに多めに買い出しに行き、特別療法食も高栄養食も切らさないように買い入れていた。まさかあれほどすぐに「もう、これはいらない」ということになるとは予想できなかった。いつも期待だけが先走ってしまっていた。
多めに取り寄せて、それが届いた頃には「それはもう食べたくない」というものもいくつもあったのに、そのときは夢中だったから気にも留めずに同じことを繰り返していた。
残ってしまった大量のおやつや普通のフードは、子犬が2頭増えた赤木さんに「ゲンとキーには生後6カ月を過ぎてから与えるようにしてください」という但し書きを付けて送り、特別療法食やブナ、クリに投与しきれずに残ったさまざまな薬は、酒井先生に使ってもらうことにした。
クリが亡くなった9日の夜、手提げ用紙袋に満杯のそれらを持って酒井先生に報告にいった。
最期まで水を口にしたことを告げると、「それは珍しいことで、苦しみや痛みがなかったから受け入れられたのだと思います」とおっしゃった。苦しみや痛みがなかっただろうことだけでも救われる。おなかの張りは「腹水の可能性もありますが、おなかが鳴り活発に動いていたことから察すると、おそらくガスが溜まっていたのでしょう」と。
そうか、だから排便して、朝にはおなかの張りも減っていたのね。
先生にクリの抗てんかん薬も血栓予防の注射薬も吐き気止めも、すべて渡して帰って来たのに、そこに横たわっているクリが亡くなっているにもかかわらず、存在を目にすれば「あっ、薬の時間だ」と慌てたり、水を飲ませようと注入器を用意してしまう自分がいた。
冷たくなった頭をなでてやりに行って気付いた。顔の下に敷いてやっていたペットシーツに血が滲んでいることに。
ウンチやオシッコはもう出尽くしていたようで、お尻の下のペットシーツは汚れていなかったが、クリは鼻血を出していた。亡くなってから10時間余り、トチもブナも鼻血を出すことはなかったのに。慌ててシーツを替えてやったが、クリはそれ以降、大量に鼻血を出し続けたのだった。
4月9日、夜中に排便をしたせいか、朝になったらおなかの張りはさほどではなくなっていた。早朝5時半ごろ、水を飲ませると口の脇からこぼすことなく飲み込んでいた。
7時ごろ、水を飲ませると「もういい」という感じで、口をつぐんだ。
7時56分、クリは静かに息を引き取りました。
クリ、お疲れ様でした。本当によく頑張ってくれました。
9日は立会い火葬がいっぱいだということで、お弔いは10日になったのだけど、今までどおりクリがそこに横たわっているのに、何もしてあげることがなくなってしまった私のやり場のなさといったら……、恐ろしいくらいだった。
何をしたらいいのか分からなくて、ただただ途方に暮れて家の中をうろうろしてしまう。あてもなく何の気配もない荒野を彷徨っている感じがする。バカになっちゃいそうだった。
8日月曜日、アミノバイタル・パーフェクトエネルギーをもう少し買い足しておこうと、置いてあるドラッグストアを回った。
夜はクリを私の枕元に寝かせ、何かあってもすぐに世話ができるように豆球を付けたまま、横になるのだけど、呼吸が荒くなったりすると気になってすぐに目が覚めるのは、私が深く寝入っていない証拠なのだろう。
朝、寝ている部屋に日差しが差し込むと体位を変えてやりがてら、仕事をしていても、台所に立っていてもすぐに目が届く、柔らかな日差しが当たる低反発マットに移動させてあげている。
7日に続き8日も薄めた栄養食の液さえ吐き、せっかく飲んだパーフェクトエネルギーもやはり時間が経つと吐く。それでも脱水してはいけないと思い、補水液をこまめに飲ませる。
右目は完全に落ち窪んで眼球が横にいってしまっていて、とても「目」の体裁ではなくなってしまった。目ヤニが溜まってしまうのですくい出すように拭きとっているのだけど、良いほうの左目も少し目ヤニが出る。抵抗力がなくなった証拠かなあ。
クリは前歯が2本抜けてしまっているので、口を結んでも薬や注入器の先端が入るくらいの隙間ができる。ちょうどそこに入れてやれるので都合がいい。
8日は粘液のようなものを吐き出したので、そのたびに口の中を洗い、拭ってやった。脱水を防ぐために背中から水分補給をしたほうがいいかもしれないと思ったのだが、さかい動物病院は月曜の午後は休診だった。火曜日になったら朝イチで先生に相談しようと思っていた。
寝たまま何度もゆるい便を出す。そのたびに下に敷いているペットシーツを取り替え、お尻の周りをお湯できれいに拭いてやった。おなかがゴニョゴニョと活発に動いているように鳴っている。夜になると、やけに膨らんでいるようで気になった。腹水が溜まってしまったのだろうか。
鶏ガラを買ってきてスープを取ったのだけど、何か味があるものはまた吐きそうで、とりあえず補水液だけで様子を見ていた。ゆるい便は何度かしたけれど、オシッコは浸み出す程度しかしない。もう出るものも出ないのかな。やっぱりおなかが膨らんだように思う。大して食べてもいないのに、なんでおなかがこんなに鳴るのかしら。不思議だった。
それを苦しがっている様子はないのだけど、少し浅い息をしながら横たわっているクリ。肩や腰回りは肉がこそげ落ち、骨しか触れないくらいやせ細っているので、よけいおなかだけが目立つ気がする。
「腹水」について調べてみると肝臓疾患、心臓疾患も文字が……。肝臓の腫瘍のせいかな。
6日土曜日は夜7時過ぎまでに数回食べた流動食をクリが吐かずにホッとしていたのに、やはり遅くになって戻してしまった。追加で給餌し夜中に吐くのも可哀想なので、その夜は補水液だけを30ccばかり飲ませて寝かせた。
よほど排泄に切羽詰まったとき以外は自力で上半身を起こすことがなくなってしまい、寝返りを打たないので、3時間くらいごとに体位を変えてやる。いくらクリの体重が減ったとはいえ、同じ部位に圧がかかり続けると床擦れを起こす可能性があるので、それは気を付けてやらなくては、と思っていた。
日曜日の朝は「a/d」をそのままの濃さで与えると口の中に含んだまま、いつまでも飲み込む様子がなかった。喉に詰まっても困るので口から出してやり、補水液で薄めたものを飲ませることにした。これでは栄養が取れないなあ。
しかし、吐いてしまっては同じことである。BACCの入ったアミノバイタル系のゼリーやポカリスエットのようなスポーツドリンクを飲ませても嫌がらずに飲み込むので、高栄養食を薄めたものと交互に少しずつ2時間くらいごとに飲ませ、3時間くらいごとに体位を変えてやった。
もう寝た切りの状態で、スフィンクスのような姿勢を取らせても、自分で上半身を支えることもできなくなってしまった。ゼリーや液体を飲ませる時は誤嚥しないように顔を支えて、ゴックンと飲み込む音を聞きながら、10cc入る注入器でゆっくりと飲ませてやる。
もう少し効率よく栄養が取れないと弱る一方だと心配し、ドラッグストアに物色しに行ったところ、1袋130gで180kcalを摂取できるゼリー状の「アミノバイタル・パーフェクトエネルギー」なるものを見つけたので何個か買って帰った。
これは、消化に負担なく、素早くエネルギーチャージが必要なアスリートのためのゼリードリンクで、グレープフルーツ味と書いてあったが、味見をしてみたらそれほど酸味が強くない。さっそく飲ませてやると何度かに分けるものの1袋を飲み切ってくれた。よっしゃ!と思わずガッツポーズ。
どうか、どうか、吐かないで、クリ。水もゼリーも薄めた栄養食もあげれば飲んでくれるのだが、時間が経つと吐いてしまうのが辛い。クリも辛かろうが、吐いても吐いてもちゃんと受け入れてくれて、申し訳ない気持ちになってくる。
赤木さんは詩誌『帆翔』同人の時代小説家で、4月下旬に御年84歳を迎える大先輩である。小柄だが背筋もしゃんとしており、私よりはるかに歩くのも早い。ゴルフも現役で楽しんでおられる。
3月下旬に、捨てられていた子犬を2匹保護したという話をされていたので、里親探しのグループなどを紹介していたのだけど、お手紙とともに子犬の写真が送られて来た。
赤木さんの家にはすでに2頭犬がいる。多い時で4頭いたのだけど、いずれも保護した捨て犬だった。今いる2頭もやはり放置されていた子犬だった。
赤木さんの家は千葉県東金にある。広い庭のある昔ながらの日本家屋で、近隣の家とは距離があり、少し歩けば田畑や雑木林が広がっている。赤木さんは飼い犬ウーとチャチャの散歩中に、田んぼの溝に落ちていたダンボールの中にうずくまっている2匹の子犬を見つけたのだそうだ。
初めは自分の年も考え、もう頭数を増やせまいと思ったようなのだが、3月末にお会いしたあとに電話をくれ、「やっぱり飼うことにしたよ」と言うのだ。
お手紙にも、
「『元気で頑張れ』のサムシンググレートのお声を受けて、これからす少々たいへんだと思いますが、可愛がってやります」
と書かれていた。
大したものだなあ、赤木さん。奥様もえらいなあ。奥様は25歳以上年下なので、安心して飼う気になったのだろうが、4頭の世話はなかなか大変だもの。それでも「元気でいるように」という天からの贈り物だとして受け入れ飼う決心をしたなんて、無責任に捨てて行った輩に聞かせてやりたい。
元気だし、これからもずっと元気に育ってほしい、自分も元気でいようという思いを込めて「ゲン」(黒いほう)と「キー」(薄茶色のほう)と名付けたそうだ。
クリがまだ若くて闘病中でなければ、1匹引き取ってあげてもいいくらいなのだけど、とにかく今は心意気だけで乗り越えられる状況ではないので仕方ないな。
クリは水曜日の夜も吐き、木曜日などせっかくあげた高栄養食を3回も吐いでしまった。一度の量が多過ぎたのかとも思ったけれど、クリの体が悲鳴を上げているのに、それでも注入器で給餌している私って、何、やってるんだろうと思った。
「クリの体はもう受け付けなくなっているのに、私、何、やってるんだろう。クリを苦しめているんじゃないか」
コジマにa/dとおむつを買いに行く道すがら、運転しながらそんなことを思っていたら、泣けてきた。飼い主のエゴかもしれない……。
吐くと体力を消耗するから、心配だった。ただでさえ、もう自力で起き上がれず、トレで立っていることもできないのに。痩せ細って生きた屍のようになって横たわっているだけのクリ……。
じゃあ、何もあげずに弱っていくのを見ているのか……。
やっぱりそれはできない。
もう早く逝ってほしいの?
そんなこと決してない。苦しんでほしくないだけだ。
食べた後に水をたくさん飲むから胃が膨れて吐いてしまうことが多いので、昨日は食べさせたあとに大量に水を飲ませないようにした。
食べた後に水を飲みたくなるのは、栄養食のペーストが口の中に残ってすっきりしないかもしれない。そう思い至って昨日からは、給餌したあとは必ず「ナチュラルマウスフレッシュ」という精製水で口の中を洗ってあげている。
今日、病院に薬を買いに行った際、酒井先生にクリを連れてこれなかった状況を伝えた。そのついでに、「吐くのに食べさせて、無理に生かしているような気がして、この2日間悩みました」と普通に話し始めたのだけど、不覚にも涙が溢れてきて口元が歪んでしまった。
先生は「本当に食べたくなかったり、飲みたくなかったら、飲み込むこともしないし、水などは口の脇からこぼれてしまいますよ。クリちゃんの様子ではペーストも水も嫌がらずに飲み込んでいるので、拒絶はしていないと思います。
ただ食べると気持ちが悪くなる、胃のキャパを越えて戻してしまうということになるのでしょうから、気持ち悪くならないようなあげ方を工夫して、食べられる分だけ少量をあげるようにしましょう。
クリちゃんに無理やりあげている量でもないし、クリちゃんを苦しめてもいませんよ。ちゃんと飲み込んでくれるのですから。
脱水は気をつけなくてはいけないので、上手に水は飲ませてあげてください。飲めないようなら、背中に注射する方法を教えますから。
クリちゃんにもオオタケさんにも負担にならないようにやっていきましょう」と言ってくれた。
救われた気がした。そういえば、トチもブナも最後は水を口の注入してやっても、飲み込まずに口の脇からこぼしていたし、歯を食いしばって食べることを拒否していたっけな。
先生に聞いてもらって気が楽になった。今日は更に少量ずつ給餌し、水も少しずつ飲ませてやっている。今日は朝から夕方6時までに4回食べさせたが、吐いていない。
今朝はウンチもオシッコも横になった体勢のまま、上手にさせてやることができた。状況に合わせた看護は慣れてくるものだ。クリが拒絶しない限り、上手に食べさせて、上手に水を飲ませてやろう。惜しみなく世話をしてやろう。
痴呆のブナの世話をしていたときのことを振り返ると、なんと濃い経験をさせてもらったんだろうと思う。だからクリのことも、できることをできるだけやってあげようと思った。
クリは自力では立ち上がれないけれど、まったく歩けない訳ではなく、胴着の後部の取っ手で支えてあげると、ふらつきながら歩くといえば歩く。朝の起きぬけには神経の伝達が悪いのか、後肢はナックリング状態でおぼつかない。
寝返りも体位変換もできるので、いわゆる「寝た切り」状態ではない。水が飲みたいとき、トイレに行きたいときは、何とか前肢を動かして立ちあがろうとするのだ。
私は仕事をしていても、その気配を察してクリのところに行き、介助して立たせ、胴着の取っ手で支えて、水飲みやトイレに連れて行く。オシッコのときはまだトイレまで我慢できるのだけど、ウンチはたいてい間に合わず、しながらの移動になってしまう。再び「糞尿の館」の出現である。
3月29日の金曜日から月曜日まで4日間まったく排便をしなかったので、火曜の朝、酒井先生に相談しに行くつもりだった。通院の用意をしていたら、クリがもがいたので立たせると、まあ、たくさんのブツをして……。今はロイヤルカナンの「退院サポート」しかあげていないので、軟便ではあったけれど下痢状態からは脱した様子。ホッとしながら後片付けに追われたのでした。
「退院サポート」も必要とする全量はとても食べられないため、排便も毎日はしないけれど、一応出るには出る。クリは自分が動けるので、おむつは受け入れないと思う。多少排泄物で汚れても、後始末さえきちんとしてあげればよいことだから、クリのサインを見ながらトイレに連れて行っているのだけど、したければ「したい」とか、水を飲みたければ「飲みたい」と、吠えるなどして騒いでくれてもいいのになあ。