小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

パンクでJAF

2012-03-28 | つぶやき

 河川敷への道路が混んでいたので、河川敷での散歩は諦め、逆方向に走って城山公園に行った。城山公園は起伏のある散策路が続くため、老犬たちを少し心配していたら、案の定ブナが木が渡してあるゆるい階段の途中で足を止めてしまった。励ましながら歩かせ、いつもと違う仲間の匂いをたくさん嗅ぎながら、何とか周回した。

 帰りに郵便局に立ち寄ろうと思い、遠回り。税務署へ曲がる道路の手前で、何やらガタガタ音がして、走りにくくなった。2車線道路だったので脇に車を止めて下を覗き込むと、なんと左前輪がパンクしている。ああ、税務署の脇でこんなことになるなんて、ヤンナッチャウ。

 シビックを仲介してくれた車屋のおじさんに電話をすると、あいにく車検場に行っており、私のSOSには応えられない状況。スペアタイヤは積んであるけど、ジャッキはどうだったけ? 犬も乗せていることだし、仕方なくJAFを呼んだ。

 20分ほどでJAFの車が到着。タイヤを見ると、しっかり木ネジを拾っていた。しかし、JAFのお兄さんが言うことには、タイヤの内側がかなりこすれているので、タイヤがバーストする危険がある。むしろ今、パンクしてよかったかも。
 よく見ると、左右前輪の内側には、タイヤの繊維が見えるほどこすれている箇所があった。ホイールアライメントの調整が必要だそうだ。後輪も外側にひび割れがあるし、もう交換時期だった。

 ううん、車屋のおじさんは後ろのタイヤは替えたばかりだと言っていたのに、何だか裏切られた気分。月日が経つのは早いから「替えたばかり」と言っても数年前なのかもしれない。

 だけど、タイミングベルトを交換したり、オイルを交換したりしたときに、タイヤだって見ていたはずでしょう。どうして私に売るときに「タイヤは交換した方がいいので、その分代金が高くなるけどいい?」と聞いてくれなかったんだろう。がっかりだなあ。

 パンクした車は、ただちに犬たちを乗せたままジャッキアップされ、空気を入れてもらったスペアタイヤが取り付けられた。あくまでも応急用のタイヤなので、なるべく早く交換しに行かなくてはいけない。

 ということで、今日早速オートバックスに行き、4本ともタイヤを替えてきた。思わぬ出費だったけど、遅かれ早かれ、タイヤは交換することになっただろうから、仕方ないなあ。 
 タイヤ交換の出費より何より、あのような状態のタイヤのまま納車したおじさん、どうよ、と思った。車検や修理をお願いするようになって10年にもなるのになあ。信頼していたのになあ。

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東電管内の原発停止中

2012-03-27 | つぶやき

 只今、東電管内の原発はすべ停止中。東電管内では原発由来の電力は流されていないということだ。停電にもならず、日常に変化はありません。

 震災後の「計画節電」は何だったのでしょう。もし節電をするなら、今こそが「そのとき」なのではないだろうか。それなのに、政府も何も言わないし、東電も何も言わない。

 でも、「だから、いいのだ」ではないと思う。「計画停電」の実施期間が終わり、夏の需要期も何とか乗り切れた。一方で、東電は企業向けの電気料金を、いずれ私たちの電気料金も値上げするつもりだが、私たちが震災後に節電に励んだように、もっと小さな暮らしを選択すれば、値上げの必要もなくなるだろうし、原発に依存しない社会をきっと実現できるのではないかと思う。

 ドナルド・キーン氏が帰化し、日本に再び戻って来た時に言った言葉は重く私の胸に響いた。あれだけの大震災を経験し、日本人は電気を必要以上に使っていることを自覚したのではなかったか。それなのに、震災から時間が経つにつれ、それを忘れ、相変わらず深夜も煌々と都市に灯が灯り、明るく便利な生活に逆戻り。そのことにキーン氏は「がっかりした」と言っていた。

 エスカレーターが一基停まっていても、駅構内が多少暗くても、コンビニの数が減っても、生きていけるのに。

 政治家や官僚に操られている世の中だとしても、生き方を選択するのは私たちだもの。すべて国民、消費者である私たちにかかっているのだもの。

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老舗酒蔵跡にできた古本屋「円の庭」その2

2012-03-23 | 

 深谷市の「旧七ツ梅酒造」の蔵を使った古本屋「円の庭」がオープンして間もなく、「まち遺し深谷」の入江さんから本を提供した人に宛てたお礼状が届いた。

 私はそれを読みながら、今はもうなくなってしまった生まれ育った町の小さな本屋さんを懐かしみ、また足繁く通った大好きな神田神保町の古本屋街に思いを馳せた。
 入江さんに許可をいただき、ここにお礼状の全文を記しておきたいと思います。

拝復
 このたびは「円の庭」に貴重な本を寄贈していただき、誠にありがとうございました。おかげさまで、古本屋「円の庭」を開くことができました。開店のご報告とともに寄贈の御礼を申し上げる次第です。

 「円の庭」を開いたことによって、これまで見えなかったものが、見えるようになりました。そのひとつは、「本」を大切にしている人がこれほどいたのかということです(大型リサイクルショップに二束三文で売るくらいなら、とおっしゃる方が多くいらっしゃいます)。

 もうひとつは、「本」を通して人と人とが繋がりはじめたということです。この驚きと実感をお伝えできればよいのですが、すでに1000冊以上の本が集まり、20人のマイ古本屋さんが開店したことで、お分かりいただけるでしょう。

 「本」とは何でしょう--。
 インターネットで本を買えることはとても手軽です。また電子書籍はとても便利です。
 その一方で、街角から小さな本屋さんが消えつつあります。その結果はいずれ明らかになるでしょう。つまり、人が見えなくなるのです。

 こうした時代の潮流に抗うために「円の庭」はあります。というのも「本」は商品である前に、そしてテキストである前に、重み・手触り・匂いといった感性的な存在であり、人から人へ伝えられていくものだからです。

 すぐに役立たないように見えても、あなたから寄贈していただいたどれか一冊か二冊が、見知らぬ人の手に渡って、いつかその人の心を豊かにしてくれれば、そこはまさに「縁の庭」といえるでしょう。あなたの願いとともに「円の庭」もそれを願っております。
 まずは略儀ながら書中にてお礼申し上げます。              敬具


 私は新聞の書評欄や図書広告を見て、興味深いものは切り抜いておき、後日注文することが多いのだが(もうあまり本屋さんに足を運ばず、すぐamazonにアクセスしてしまう。町の本屋さん、ごめんなさい)、まだ手に入れていないけれど、買う予定リストの中に、装丁家、桂川潤さんの著書で『本は物である(本はモノである)―装丁という仕事』(新曜社刊)がある。


 この本の解説には、次のように書いてあった。
「◆「本」は生き残れるか?◆
 紙やインキといった「身体性」を失った電子ブック=情報だけのテキストは、はたして本といえるのか? 活字や活版印刷が消滅したように、紙の本は消えてしまうのか? 
 出版や装丁の歴史からデザイン・製作の基礎知識、装丁の実際までを懇切丁寧に解説しながら、「電子時代だからこそ、リアルな生を取り戻すことが求められているのでは」と「物である本」の意味を問いかけます。
 専門的なデザイン教育なしにブックデザインの世界に飛び込み、いまや一人で年間二〇〇点もの装丁を手がける著者による初めての装丁論・仕事論にして出版文化論。」

 「円の庭」からのお便りを読んで、ふと桂川さんの著書を思い出した。注文しようっと。amazonで?! ううむ。

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老舗酒蔵跡にできた古本屋「円の庭」その1

2012-03-22 | 

 2月29日の東京新聞に、埼玉県深谷市の江戸時代中期から2002年まで続いていた「旧七ツ梅酒造」の敷地の一角に、古本屋がオープンする予定であるという記事が掲載されていた。運営するのは市民の有志でつくられた一般社団法人「まち遺し深谷」のメンバーで、市民から無償で提供してもらった古本を売上を活動資金に充て、深谷の文化遺産でもあるこの老舗酒蔵の建造物を利用しながら保存していくという。

 「円の庭」は古い蔵を活用しているだけでなく、読書用テーブルや本棚に酒樽の丸いふたを利用している。店内には自分が所有する本に値段を付けて売ることができるコーナーや、オリジナルの本を製本できるコーナーを設けてあるそうだ。

 記事には、3月17日のオープンに向けて、本の提供を募っていると書いてあった。

「円の庭」http://ennoniwa.machinokoshifukaya.com/index.html

 ちょうど本棚をもう一棹買うべきか、思い切ってある程度本を処分するべきか、思案していたところだったので、少しでも文化財の保存のために役立ててもらえるなら、「円の庭」に提供しようと思い、さっそく電話をかけてみた。

 対応してくれたのは、記事にも載っていた法人役員の入江さんだった。入江さんは元編集者だそうで、いわば同業者である。公序良俗に反しない限り、本のジャンルや古さは問わないということだった。

 そこで仕事の合間を縫って、本棚から、ただ本棚の飾りになってしまっている全集や資料として使った実用書、専門書籍、文庫本などを引っ張り出して、ダンボール4箱ほど送ったのであった。

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ブナにはブナの老い方がある

2012-03-21 | 犬&猫との暮らし

 最近ブナは、トイレではない場所で排便してしまうことがある。ほんの短い距離なのに、我慢できないのだろうか。

 昨日も散歩から帰って部屋の鍵を開けている最中にしてしまった。マンション内の廊下で、だ。ブナがしゃがみこんだので、私は慌てて脇に抱えていた新聞をブナの下に置いた。

 昨年くらいまでは家のトイレでちゃんと用を済ますことができたのに。

 そんなブナを、つい14歳のときのトチと比べてしまう。
 トチは最期まで粗相をしなかった。トチは耳が聞こえなくなっても、泰然としていた。不安がってウロウロしなかった。トチは、トチは……。
 
 トチと比べてしまうのは、ブナがトチの子だから?


 でもね、って考えてみる。
 ブナの感じ方、考え方、飼い主との関係は、トチのそれとは違うのだ。個性が違うのだもの、比べてはブナが可哀想だ。ブナはブナだから。ブナにはブナの老い方がある。

 トチもブナも、みんな私のかけがえのない相棒なんだもの。

 クリだって、そう。クリにはクリの老い方がある。ハアハア息を切らしながらも、私を見上げながら一生懸命私に付いて歩こうとするじゃない。両足が踏ん張れなくなって、前歯が欠けてしまっても。

 どんな状態になっても、愛せる。どんな状態になっても、ぜんぶ、ぜ~んぶしっかり受け容れていける。そう思える存在がいることだけでも、私は幸せ者だと思う。 

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詩篇『理不尽の裏側に』

2012-03-16 | 

理不尽の裏側に


思わず瞼を閉じてしまうくらい

まぶしいほどに清らかな海面の
下のその下の 
ずっと底の方で
小さな魚たちが住処とする珊瑚のように
時を忘れてただひっそりと
生きていたいと思うことがある

自信に満ちあふれ
あまりに雄々しく朗らかな人たちは
声なき声にも真実があることを
知ろうともしないから
私は不安になって 
いく度も
鏡を覗き込む

たとえ
たくさんの強い声に
かき消されていったとしても
静かな信念はたしかに存在するのだ

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「みんなの力でがれき処理」だって

2012-03-13 | つぶやき

 新聞に掲載されていた政府広報、「みんなの力でがれき処理」だそうですよ。野田氏は「今こそ絆が試されるときだ」というようなことを言っている。「食べて応援しよう」と同じ図式。

 被災地のある首長は「なぜ、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。
 もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか」と語っていた。

 また、ほかの首長も「がれき処理専門のプラントを作れば、自分たちの判断で今の何倍ものスピードで処理ができると考え、そのことを県に相談したら、門前払いのような形で断られた。現行法に従うといろいろな手続きが必要になるというし、国もウンと言わない」と言う。

 おかしなことである。「国難」というのであれば、被災地の要望を聞き、超法規で進めればいいじゃないかと思う。
 被災した地域それぞれに見合った方法があるはずなのに、多くの永田町、霞ヶ関の人々は実際に現地に常駐することもなく、現場の声は聞こうとせず、権限のない復興庁を作っただけでは屁のツッパリにもならない。
 被災地の復興の足を引っ張っているのは誰なのか、国民はもう薄々気付いていますよ。


 昨年5月に発行された農水省の広報誌には、

 「震災によるがれきの7割強が木材です。すでにその廃材の再利用が一部で始まっています。
 林野庁では、がれきの廃材をチップ化してバイオマス発電や資材などに再利用するため、がれきの一時置場などへの移動式木材破砕機の設置に対して支援します。
 木材チップをリサイクルボードに再生するだけでなく、全国のバイオマス発電所の燃料として活用すれば、再生可能エネルギーの利用促進に貢献することが期待されます。」

 と書いてある。
「貢献することが期待される」なら、どんどん進めればよいのだ。実際にどれだけこうした施策は実行されているのだろうか。
 

 木材がれきの放射線量を正確に計測し、再利用できるものは積極的にチップ化してバイオマス発電に利用していたら、数カ月で無理としても、そういった計画を立てて道筋をつけていたら、そして、被災した各自治体の声を尊重していたら、今になって「みんなの力でがれき処理」だなんて言っていないでしょうね。


 阪神淡路大震災で発生したがれきは2,000万トンだったという。東日本大震災では2,200~2,300万トンだ。多くの指摘があるように、なぜ今回だけ政府は「がれき処理問題」に躍起になり、広報までしているのか。

 「風評被害という実害」を作り出した現政府のことだから、何か魂胆があるに違いないと国民に思われても仕方あるまい。

 被災地ではなく、どこかに儲けさせたいのでしょうね。バイオマス発電が軌道に乗ってしまい、電力不足が補えると、原発の再稼働を進めるには都合が悪いということもあるのでしょうね。

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東日本大震災から1年

2012-03-11 | つぶやき

 祈り、ただ祈りだけ。

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ブナへのプレゼント・ピッコイ母編

2012-03-09 | 犬&猫との暮らし

 ピッコイ母からとても珍しいものを頂いた。「ドライホース ラングス(スライス)」と書かれたトリーツだ。

 表示を読んで驚いてしまった。
「新鮮な馬の肺をスライスし、じっくりと感想しました。ふわふわサクサクの食感です。体積に対し低カロリーなため、体重の気になるワンちゃんにもお薦めです。」 

 へえ~、馬の肺かあ。軽いけれど、一枚がかなり大きい。見るからに「馬の肺」という感じ。
 馬肉はほかの畜種の肉に比べ、高タンパク・低脂肪、低コレステロールだといわれ、人間用だけでなく、ペット用の馬肉専門店もあるくらいだ。

 命を頂いた以上、こうして食肉として余すところなく利用することは大切なことだと思う。ピッコイ母は面白いものを知っているなあ。

 可愛い瓶に入った骨型のビスケットやいちじくとフェンネルのビスコッティ(これは私に)、ラブのメモ用紙など、ピッコイ母らしいチョイスで、ノエホタ母からのプレゼントに続き、こちらもまたとてもうれしい贈り物でした。

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ブナへのプレゼント・ノエホタ母編

2012-03-09 | 犬&猫との暮らし

 ブナの姉妹犬ほたるの家から届いたプレゼント。ノエホタ母は日本盲導犬協会のチャリティーグッズを購入する際、ちょくちょくうちの分まで買ってくれる。可愛い卓上カレンダーもあったのだけど、すでに飾っていたので一緒に撮影し忘れました。

 ガイドドッグのロゴ入りTシャツ、ご褒美入れにもなり、洗えるシリコン製のガマ口、ラブの写真の車用消臭剤、盲導犬のイラストのクリアファイルなどなど、盲導犬協会のサポートショップのグッズがいっぱい。

 私のうちでは犬に服を着せる習慣がないことを重々承知しながらも、Tシャツは「例えば春先の強風の時、砂埃から防いだり、舐めちゃいけない傷からも守ってくれるので、一枚くらいあってもいいかなと思って」という親心から、ブナとクリに買ってくれたのだ。

 ノエホタ母の手紙の中の「老犬になって(それとともに飼い主も年取って)、シャンプーも頻繁に出来ないし」というくだりを読んで、ドキッ! 確かに中腰で2頭を洗い上げるのはなかなか骨が折れる。ついシャンプーを先延ばしにしてしまうことを見透かされておりました。

 うちではTシャツどころか、レインコートさえ着せたことがない。
 だいたい大型犬3頭を飼うということ自体、大きな犬小屋に暮らしているような生活ぶりなわけで、持病があって毎月医療費もかかるのを含めて3頭を、私1人の稼ぎで養っていくのに懸命になり、自分の服でさえ適当で、かつ身分相応のものしか手に入れられないのだから、犬の服などに気が回らなくてもしょうがないのです。


 以前、亡くなったゴールデンのお下がりの服を頂いたことがあり、うちの犬たちがどんな反応をするか、試しに着せたことがあった。ものすごく似合わなくて爆笑してしまったのだけど、それより何より着慣れない服を着せられた3頭はみな固まってしまい、本当に「弱ったなあ」という顔をしたのが印象的でした。

 ほたる用に買ったのに、サイズが小さかったので「クリにどうぞ」と贈られた紺色のTシャツを、一応クリに着せてみた。

          

 大きさはちょうどよかったのだけど、案の定、固まってしまい、情けなさそうにしっぽを下げ、一歩も動かなかった。私は笑いながら「すまん、すまん」と言いつつ、早々に脱がせてあげたのだった。

 真夏の河川敷で、直射日光を避ける時に着せてみようかしらね。

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ブナ14歳の誕生日

2012-03-05 | 犬&猫との暮らし

 今日はブナ、ほたる、ピッコイの14歳の誕生日。
 昨年4月30日にブナのお兄さん犬の「はる」が逝ってしまったことが悔やまれるけれど、3姉妹が揃って高齢の14歳という年を迎えられて、感慨はひとしお。

 今年は特に感慨深い。東日本大震災が発生してから約1年。命の尊さやはかなさ、生きていられる奇跡を思い知らされる日々を過ごし、大切な命と寄り添えたことに感謝しながら迎えたブナのお誕生日だ。トチの子どもたちを大切に育ててもらっていることが嬉しくて、昨日、少しだけほたるやピッコイにおやつを送った。

 なのに、ブナには何も用意してあげていなかったのだ。で、今日、打ち合わせで出たついでに買っこようと思っていたのに……。

 今朝はかなり雨が降っていたので、2頭のお散歩は中止。行きたそうにしている2頭の耳元で(耳が遠いので、耳元で大きな声で話します)「今日はいっぱいの雨よ。お散歩、行かないのよ!」と叫ぶ。

 そうこうしているうちに、ほたるのうちから携帯に電話があった。「今、ほたるへのプレゼント、届いたよ」って。
 なぜ携帯に電話があったかというと、私が電話料金を支払い忘れていて、固定電話が止められていたようなのだ。ああ~!


 電話料金も支払いに行かなければならないし、午後から取材があったので、帰りに電話料金を支払い、ブナに何か美味しいものを買って帰ろうと心して出かけた。

 にもかかわらず……、
 打ち合わせが延びに延び、駅に戻り付いたときにバス
が停車しているのを見た私は、速く帰りたいと思ったばかりにそのバスに気を取られ、コンビニでちょっとした軽食を買いこんで慌ててバスに飛び乗ったのだった。

 家に帰って愕然とした。
 
 雨がやんでいたために持っていた傘のことも気にせず、コンビニに傘は忘れるわ、電話料金の支払いは忘れるわ、挙句はブナにあげるために「何か」も忘れて、バスに乗っていたのだった。


 自己嫌悪の嵐! 

 ピッコイは、彼女が大好きなカフェでバースデーケーキを囲んで、毎年恒例の誕生会。ほたるは私が送ったおやつを大満足で食べてくれたという報告……、ブナは?

 ブナには何もないじゃない! 仕方ないく買い求めたパンや家にあったビーフジャーキーを刻んで牛乳に浸していつものフードに混ぜて、ちょっと豪華っぽくしたもので我慢してもらうことになった。

 ごめんね、ブナ、こんなもので。

 だから、いっぱい、いっぱい、ぎゅっと抱きしめてあげたよ。


 ブナ、14年もそばにいてくれて、ありがとう! トチ、素晴らしい贈り物をありがとう! ほたるもピッコイも、ノエホタ母&父、ピッコイ母、みんな、みんな、ありがとう! トホホなブナのお誕生日だったけど、幸せ無限大です。

 小さな声で言います。ブナ、明日鶏のささみとか、いいお肉、買ってあげるね。

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被災地にはお金は落ちない仕組みに

2012-03-01 | つぶやき

 昨日「地震活動は小出しにして欲しいなあ」と書いたばかりなのに、今朝大きな地震があった。茨城県東海村で震度5弱。大きかったけれど、携帯の緊急地震警報は鳴らなかった。機能は震源に近い地域が震度1だった地震で鳴り響いたのに、その線引きがどうもよく分からない。

 しかしながら、今や日本のどこが被災してもおかしくない状況だ。

 けれど、日本という国は、弱者には手が差しのべられない仕組みになっているらしい。


 官庁の広報誌ひとつとっても、入札に応じるには企業規模、収支の状況などの条件があり、希望する者が誰でも応札できるわけではない。そもそも各省庁の広報誌など、業者に頼んで作る必要があるだろうか。はなはだ疑問である。

 被災地の復興にしても、瓦礫処理や仮設住宅など復旧公共事業は、地元の業者が請け負って、被災地の経済に役立てばいいと思っていたけれど、人件費や資材の高騰から入札価格が折り合わず、結局ゼネコンが独占し、被災地の業者が潤うことなどないという。

 大規模災害が発生し、被災地の復興を重視するのであれば、被災地域の業者を優先して国が仕事を分配すればいいと思うが、そんな計らいなどしないのである。
 宮城県の被災地域の土木業者曰く「儲かるのは元請けと一次の下請けまで。二次以下は利益にならない。ゼネコンは人も機械もセットで現場に入れるから、地元業者は一次下請けにさえ入れない。構造的には震災前と何も変わっていない」。


 これでは復興も何もあったものではない。
 
 それにしても、わが身に置き換えれば耳の痛い話である。
広報誌にして、儲かるのはも元請けの版元と一次の下請けの編プロまで。ひ孫請け、つまり二次以下の私たちフリーランスの外注が汲々とするのは当然のことなのかもしれない。

 一方で、反原発の言論統制のために、見張りをつけチェックするために、7,000万円で業者を雇ったにもかかわらず、その機能は停止状態だ。アホらしい。

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