カヤのトイレをどこに置くかについては、ずいぶん思案した。目も見えて、まっすぐ歩けるなら何の迷いもなくトチ、ブナ、クリが使っていた場所、今ボッチのトイレパレット(相変わらずペットシーツで用を足すのです)が置いてある場所に決めるのだけど、そこまでカヤが行きつくのに、寝ている場所から部屋をひとつ通り過ぎていかなくてはならないし、仕事部屋からも少し関門があるので、回りながら行くカヤには時間もかかるうえ、すぐに覚えられるか分からなかった。
しかし、カヤはトイレの部屋を覚えたのである。
トイレの時間は予想がつくので、おむつはその時間帯のみにつけ、他は外していることが多くなった。おむつをしていないときにソファーの部屋でしゃがみこんだので、「あっ!」と声を上げるとカヤが腰を浮かせた。すかさず抱いて近くに敷いてあるペットシーツに連れて行くと、そこで用を足した。当初は寝る場所からも近い窓際のその場所をトイレの場所にしようと思っていたのだ。
ここのところカヤは連日、夜中に勝手にソファーから降りてひとりで歩き回っていた。私はあれこれ世話を焼かずに放っておいた。何となく漂ってくる排泄物の臭い……。見に行くとトイレの部屋にウンチやオシッコがしてあることが何回かあった。
ブナやクリが排泄をしていた残り香があり、ボッチのトイレの臭いから、どうもここが排泄をする場所らしいということが分かったのだろう。お盆に返って来ていたトチ、ブナ、クリがカヤを指導してくれたのかなあ。
いずれにしてもいい傾向である。そこでボッチのトイレパレットの手前に、カヤ用の大きなトイレパレットを置き、周辺にペットシーツを敷いてみた。すると、そこにかなりの確率でしにいくのです。
今朝も仕事部屋に一緒にいたら、カヤが閉めてあったドアを開けようと手をかけている音が聞こえたので出してやると、自分でトイレの部屋に行って用を足していたのだ。ペットシーツからは外れていたけれど「用はここで足すものらしい」と思っている証拠だ。
もちろんまだ違う場所でオシッコをしてしまうこともあるけれど、粗相をした場所をきちんと消臭していけば、いずれ決められたトイレでしかしなくなるだろう。かなり順調なペースだ、エライぞ、カヤ。
カヤの旋回は続いているけれど、家中勝手に歩き回れるようになった。犬の常同障害は人間の強迫性障害と同じようなものだといわれているけれど、カヤの旋回は長期的なストレスや不安感、運動不足が原因だろうと思うので、落ち着ける環境、安心できる関係を築き上げることがまず第一歩だと思った。
私が仕事中、仕事部屋に置いたクレートで過ごさせたことはよかったかもしれない。仕事部屋ではクレートから出してやっても安心して寝そべっていることが多い。私が違う場所にいても、ひとりで仕事部屋に行って座っていたり、寝転んでいたりする。
先週末に通院したときに眼圧測定をしてもらったところ、眼圧が75もあった左目は正常値になっていた。犬も猫も正常な眼圧はだいたい16±4以内というから、75はかなり高い。眼圧を下げる点眼薬が効いたのだと思うけれど、右目は相変わらず50と高く、深刻な状況だった。
コッカーは柴犬、シーズー、チワワと並び、遺伝的な原発性緑内障の好発犬種に挙げられているけれど、カヤの目が生まれつきだとしても、眼圧が高くかなりの痛みが伴う状況を6年以上放置されていたのだから、むごい話である。ストレスが溜まらないわけがない。
左目については、このまま眼圧が低い状態を維持するために同じ点眼薬を続け、大きくなったまま変わらず、部分的に白濁して中も診察できない右目については、3種類の点眼薬と内服薬で様子を見ることになった。おそらく右目は避妊と乳腺腫瘍摘出手術と同時に、毛様体を壊す手術をすることになるだろう。
ブナの徘徊とカヤの旋回の違いは、その歩き方の慎重さにある。カヤがうちに来た当初は、同じ場所でハイスピードに回り続けることもあったけれど、今は多少この家に慣れ、だいぶ落ち着いたせいか、神経が高ぶって旋回し続けるといった過敏な行動はかなり少なくなった。
典型的な痴呆症の症状として、歩みを緩めることなく、突進していくかたちで徘徊し、思い切り壁やドアにぶつかることがあったブナに対して、カヤは長い間目が見えなかったためか、歩き方がブナより慎重な気がする。
ああ、ブナ……、痛かったろうに。防ぎ切ってあげられなかった悔恨の念が湧いてくる。思い切りぶつからないにしても、カヤだって怖いだろうし痛いだろうから、どうのようにガードすればいいか、思いを巡らせていた。
そして鼻先に少しでも触れるものがあると立ち止まるカヤの姿を見て、ふと思い付いた。カヤの鼻先がダメージを受けることなく物があることをキャッチできるようにすればいいのではないか。そこで、ぶつかりそうな場所に布を垂らすことにしたのである。
ふわっとした布が鼻先に触れるとカヤは立ち止り、進む方向を替える。もちろんぶつかってしまうこともあるけれど、多少は布が緩衝材の役目をしてくれるのではないか。
ということで、至る所に布がひらひらした室内になったのであった。
まだ本格的なトイレ・トレーニングはさせていないけれど、その前段階として毎日午前・午後に分けて、仕事部屋に置いてあるクレートで過ごす時間を数時間設けるようにしている。
クレート内でも回ろうと思えば回れるけれど静かにしている。私が出かけるときはたいてい音楽やラジオをかけていくのだが、1~2時間留守にしても遠吠えも鳴き声も立てていないようだ。どうせどこかで眠っているのなら、クレート内のほうが安心だ。
このサイズのクレートはブナとクリが使っていたもの。もう1台ある。トチが使っていたものはこれより一回り大きい。それもまだ処分できずに残してある。取っておいてよかったな。
夜、寝場所にしているソファのある部屋の入り口に立てていたゲートを外しておくことが多くなった。まだ左旋回はするもののトボトボと気をつけながら歩き回り、知らぬ間に仕事部屋でパソコンに向かっている私の足元に来ていたりする。
鼻先で手を叩きながら進むべき方向へ誘導すると2~3mは上手に歩く。夕方のエサのあと、同じ室内の床に張り付けたトイレシーツに連れて行くと、くるくる回りながら「なんとか及第」と言えるような排泄をしたのだから、よしとしよう。
うちに来てちょうど2週間。家庭犬としての暮らし方を何ひとつ教えられなかった7年間のことを思えば、わずか2週間のうちに何でも覚えられるわけがないもの。安心して、ゆっくりゆっくりここの生活に慣れてくれればいい。
妹のパートナーOクンが編んでくれたスヌーブをつけてお食事。編み物は、手先の器用な妹夫婦の趣味のひとつ。蒸し暑い季節なのでアクリル毛糸とはいえ、さすがに少し暑そうかなあ。
食後、あちこち歩き回っていたが、私の足元にたどり着き、ブナのオシッコ臭がまだわずかに残っている仕事部屋の絨毯のうえで寝そべっている。
毎日3回カヤの目に眼圧を下げる薬を点眼している。眼圧が下がっているかどうかは次の通院で眼圧測定することになっているが、最初の測定時に眼圧が低かったほうの右目が腫れているような気がする。
カヤの失明は、角膜に傷かついたあとブドウ膜炎などの眼疾患を発症したまま放置されていた結果ではないかと思われる。シェルターにいる日々が続いていたら、カヤは眼圧測定もされず眼圧が上がったままの目を抱え、ずっと頭の鈍痛や目の痛みを抱えていなければならなかったのだろう。
まだ緑内障には至っていないと言われたけれど、このまま眼房水が過剰に溜まる状態が続き眼圧が下がらなければ、いつまでもカヤは頭の鈍痛や目の痛みから解放されない。カヤを楽にしてあげるためには眼房水を作りだす毛様体を壊してしまう手術をするか、眼球摘出、あるいは義眼挿入の手術を受けることが必要だそうだ。
毛様体を壊す手術と眼球摘出の場合は、痛みから解放されるが目が萎縮して凹んでしまうそうだ。思わずクリの右目を思い出した。
クリは目が見えたにもかかわらず眼球が横に引っ張られていってしまい、さぞ不快だったことだろう。ああ、クリ……。カヤの場合、見た目にもベストなのは「義眼にすることでしょう」と先生はおっしゃった。
犬の義眼手術は角膜と強膜を残して、いわゆる黒目の部分を取り除き、シリコン製の義眼(シリコンボール)を挿入するという。
問題は、義眼挿入は酒井先生のところではできず、別の眼下専門医を紹介してもらって通院しなければいけないということ。そうなると酒井先生が行う避妊手術、乳腺腫瘍切除手術に加えて2度の全身麻酔が必要になる。
カヤも若くないので体力的なことも心配だけど、両目の義眼手術はとても10万円台では済まないようで、先生は私の高額出費も心配してくれていた。避妊・乳腺腫瘍切除費用と義眼挿入手術代、ううむ、算出したくない……。
酒井先生のところで1回の全身麻酔で済ませる方法は、避妊と乳腺腫瘍切除手術に併せて毛様体に手を加える手術を同時に行ってしまう方法だ。今のところその方向で考えているのだが、カヤが痛みから解放されるなら見た目は気にしないけれど、どうなのかなあ。
私の悩みを尻目にソファでスヤスヤ。随分のびのびと
過ごせるようになったと思う
カヤは少しずつだけどまっすぐ歩けるようになってきた。精神的にも落ち着いてきたのだと思う。
「ひとりでまっすぐ歩いてきたのよ~」
私には、ブナの徘徊や排泄物の踏み散らかしの経験があったために、カヤの旋回にもストレスを溜めずにすぐに受け入れられ、糞尿の館になっても当たり前のように対処することができたのだと思う。
ブナが徘徊し始めたときは正直、気になってイライラしたものだ。それをうまく手放せるよう気持ちを整理することができたから、何カ月間にも渡り向き合ってこられたのだと思う。
ブナはいろんな所にぶつかり、痛い思いをして本当に可哀想だったけれど、あの経験が今の私を支えている。そういう経験をさせてくれたブナに改めて感謝である。今でも心の底から愛おしい。
妹夫婦も動物好きなのでカヤの受け入れを歓迎してくれ、ときどき見にやって来る。今日も会いに来た彼らが「カヤはだいぶ落ち着いてきたんじゃないかな」と言ってくれた。
カヤが来てから2日くらいは水皿の場所を教えるためにカヤを連れて行ってやっていたのだけれど、今では放っている。カヤは回りながらでも水皿を探して、ちゃんと水を飲んでいる。室内の配置や距離感をなるべく自分の体で覚えてほしいと思うので、あまり過保護にしないように気を付けている。
落ち着いてひとりで眠る時間も少しずつ増えている
カヤが来てから試行錯誤しながらカヤの世話をしてきた。
排泄に関しては、おむつをすることで踏み散らかしを解消。来た翌日の夜、カヤを私の枕元に寝かせてやると朝まで爆睡していたので、それ以来、カヤはベッドの枕元からソファの上で眠る。夜9時くらいに寝入ると翌朝7時くらいまでぐっすり眠っている。
初めての診療から1週間後、動物病院へ。酒井先生にカヤの左旋回の話をする。診察室でカヤを歩かせると、先生に甘えてすり寄り、前足をかけて抱いてもらおうとしたり、先生と話していると静かに伏せていた。
先生は私の「カヤは脳腫瘍ではないか」という心配に対して、「そう判断してしまうのは尚早だと思います」とおっしゃった。私の話や診察室の状態から考察すると、カヤの場合、動物の本来の行動欲求が満たされないために同じ動作を反復して繰り返す「常同行動」ではないかということだった。
目が見えないこともあり、長い間、ケージに入れられっぱなしという特殊な環境にいたために引き起こされた行動で、たまたま左に回ることしかできなかったからか、自分の感情、自分の存在を訴えることがその反復行動に転化したのではないかとのこと。
だとすれば、精神的なケアも考慮して根気強く対応すれば、改善される可能性があるということだ。脳腫瘍でないのであれば、その異常行動は治してあげられるかもしれない。うれしいことではありませんか!
目が見えないカヤはやみくもに回り続けることで、かまってもらいたいと訴えるしかなかったのだ。硬いケージの床にじいっと座っていたのだろう。カヤのお尻にはぼこぼこの座りダコがいくつもある。なんと悲惨な生活だったことか……。
先生は「1週間で表情も格段に穏やかになりました。初めて見た時は辛そうで、悲愴感が漂っていて……」と口をつぐんだ。それはよかった。少しでもカヤが和んでくれたのであれば、うれしいことだ。避妊と乳腺腫瘍の手術は考えていかなくてはならないけれど、脳腫瘍ではない可能性のほうが大きいことが分かり、少しホッとした。
それからというもの、なるべく旋回しないような生活に気を配っている。ほんの1~2m程度だけど、まっすぐ歩くことができるようになったと思う。
8面サークルは片付けて、今のところソファのある部屋の入り口にゲートを設け、その中を彼女が自由に歩き回れる(左旋回できる?)空間にしてあるのだが、ゲートを開けていると、ひょろっと台所のほうに出てくることがある。
仕事中はおむつをはずし、仕事部屋に置いたクレートの中に入れている。クレートの中ではくるくる回らず、大人しく眠っている。クレートから出したときにおむつをし、いつ排泄してもいいようにすると、たいてい歩き回ってオシッコをする。
生活のリズムが決まってきたせいか、排泄の時間も決まってきた。夜も眠っているときはおむつをはずしてやっている。朝起きると水を飲み、オシッコをする。排便は朝起きた後と朝食後と、だいたい時間が決まってきた。いい傾向である。
酒井先生もこれまでの診療経験から「全盲の子でも1年も経てば室内環境に慣れ、不自由なく歩き回れるようになりますよ」とおっしゃった。カヤもいずれそうなってくれるものと信じている。