とうとう福島の農家さんから自殺者が出てしまった。三陸沿岸の水産業者さんの中にも、再起不能を嘆く声は多い。
一刻も早く、国は摂取制限をした農業者への今後の手当てを発表し、先行きの不安を解消してあげてほしい。
福島第一原発から半径10キロ圏内に遺体が発見されているのだけど、高濃度の放射線物質が検出されたために収容もできないという。
地震で命を奪われ、原発事故で遺体も放置され、2度も命を奪われた感じだ。いたたまれない。
ほうれん草とカキナに基準値以上の放射線物質が検出されたため、出荷制限を行うと聞いたとき、なぜ「ほうれん草とカキナだけ?」と思った。多分そう思った人はほかにもたくさんいると思う。
野菜の形状や植え方の違いで、放射線物質が付着する量に差はあっても、ほうれん草に高い値が出たなら、隣に植えられているほかの野菜からも放射線物質が検出されてもおかしくない。と誰もが思っただろう。雨だって、ほうれん草とカキナにだけ降るわけじゃないのだし。
原乳から放射線物質が検出されたとき、やはり「なぜ?」と思った。放牧飼育でも今は牧草が生い茂っている季節じゃないから、だとしたら飼料に放射線物質が含まれていたことになるけれど、おそらく飼料は原発事故が起こる前に生産されたものだろうから、やっぱり「なぜ?」だった。
その理由は発表からかなり経った日にテレビで説明されていたのだけど、牛が吸った息や飲んだ水から牛の体内に放射線物質が入り、それが原乳に出たのだという。
吸った息や飲んだ水なら、その地域の、というか牛の飼い主である酪農家さんだって、同じ空気を吸っているのだから、体内に放射線物質を取り込んでいることになるじゃない。
「冷静な対応を」と政府やテレビは呼びかけているけれど、一般消費者は普通に持つ疑問によって、買い控えをしているのではないのかなあ。
ある地域の農産物に摂取制限まで出されたら、同じ地域で栽培されているほかの農産物にも放射線物質は付着しているだろうと考えることは、冷静さを欠いていることだろうか。
まして子どもの甲状腺に留まりやすいというヨウ素が検出されていると聞けば、子どもをもつ親が不安になるのは、当然のことではないか。
「安全」と「安心」は違う。いくら安全だと声を張り上げられても、その確証を得られる説明が乏しすぎる。
飛行機に乗ったり、CTを受けたときの一時的な値ではなく、放射線物質が飛散してきている地域の人たちが欲しいのは、たとえば放射線物質が体内に取り込まれたときに、どれくらいなら自己治癒力で防御できるかとか、取り込まれた分のどれくらいが排出され、どれくらいがどこに溜まって、こんな悪さをするといった具体的な説明なのではないだろうか。
「ただちに」健康に害がないからいいというものではなく、次世代を生きる子どもたちが大人になったときにも、今回の原発事故による健康被害はないと言えるのか、世の親たちはそれを心配しているのだ。
「安全な食物なのに風評被害も甚だしい」と政府もテレビも言うけれど、「安心」できる説明がないのだと思うよ。
だからといって、今までの日本の基準は厳しかったから、ここへ来てその数値を上げるというのも、おかしなことだ。国民の安全と健康を守るために厳しい数値を出してきたのなら、それを全うすべきじゃないだろうか。
ここでまた急にそんなことをしようとするから、後手後手の曖昧な対応に国民は不安を募らせるのだ。
昨日カメラマンのカサハラさんから電話があって、「原発震災」という言葉を知った。カサハラさんが教えてくれた地震学者・石橋克彦教授はもう14年も前から、大地震によってまさに今回発生したと同じ状況の原発事故が起こりうると予測し、警鐘を鳴らしていた。「原発震災」とは石橋教授が名づけたものである。
「石橋克彦 私の考え」
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/2011touhoku.html
そして、さらにカサハラさんは、瀬戸内海祝島での原発反対活動をテーマにしたドキュメンタリー映画『ミツバチと羽音と地球の回転」』(2009年・鎌仲ひとみ監督作品)を、ぜひ観るといいと勧めてくれた。
映画『ミツバチと羽音と地球の回転」』オフィシャルサイト
http://888earth.net/index.html
現在は自主上映しかされていないけれど、上映場所を確認して見てみたいと思う。
原発はクリーンなエネルギーで、地球温暖化防止には最適であるというプロパガンダも、虚しいばかりだ。国際環境NGOグリーンピースのサイトには下記の記述がある。
「日本では近年、原子力発電が温暖化対策として推進されています。
発電量あたりの二酸化炭素排出量だけをみれば、原発は化石燃料と比べて少ないといえますが、原発は建設までに長い時間がかるうえ、放射性廃棄物や事故など深刻な危険がともない、さらに建設や点検・整備・解体に莫大な費用が必要です。
また原発は、出力の細かな調整ができないため、出力調整が容易な火力発電とセットで運転しなくてはなりません。
そして事故などで原発が停止したときに備えるためにも、火力発電所を必要とします。
つまり原発が増えても同じ分だけ火力発電所が減るとはいえず、原発推進は二酸化炭素の削減につながりません。」
二酸化炭素の削減にもつながらず、見えないところで人々の命を代償にしてつくり続けられてきた、便利で快適な生活を享受してきた都市部に住むひとりとして、ものすごくへこむ。
福島原発の状況から目が離せない。作業者の中から被爆者が出て、あの東海村臨界事故の教訓が生かされていないことに暗澹たる気持ちになった。
静かに、そして確実に、福島原発から漏れ出ている放射性物質の拡散範囲が広がっている。
ひとたび事が起きれば、人の手ではどうにもならないものに手を出してはいけなかったのだと嘆いても、もう遅いのか。
19日の夜中、ブナが何度もトイレに起きて行った。始末しに行くと軟便だった。それがここ3晩続いた。少しウンチが軟らかくても1日2日で治まるのだが、さずがに毎夜、何度も起きてトイレに行き、ウウンと唸り、ビリビリするのは可哀想だし、もしや畑の除草剤などを口にしたのではと心配になった。
先の見えないガソリン不足の折から、ガソリン節約のために、散歩は周辺を歩くだけにしているが、うちの周辺には畑があって、そこらを歩いた際に農薬や病害虫を口にする可能性もゼロではない。
笹塚の病院に連れて行こうか。
ガソリンは笹塚との1往復くらいはできる量は残っているけれど、いつ給油できるか分からないのに、それを使ってしまって、もしクリやブナがまた別に重篤な状態になったときに連れて行けなったのでは泣くに泣けない。
被災地の人達は犬を病院に連れていくどころか、重篤な人さえ病院に行けない状況なのだから、こんな犬話は非常に申し訳ないと思うのだけど、とりあえず検便をしてもらい、薬を処方してもらおう。ということで、昨日はブナの朝のウンチを少し携えて、電車で一人、笹塚の病院に向かった。
どこがどう具合が悪いと言葉にできないペットたちを診療してもらう際、便やおしっこなどの排泄物は重要な診断材料になる。
うちでは、お弁当用にマヨネーズやケチャップ、薬味などを小分けにする蓋付きの小さなカップを常に用意してある。お弁当用というより、ペットの検便・検尿用に。
だれかのおなかが不調などという場合には、必ず少し取り置いて病院に持って行くことにしている。
緊急時であるから休日運行ではあったが、昨日は電車もちゃんと動いていた。だれも私の鞄に犬のブツが入っているとは思うまい。私も思いたくないけれど、仕方ない。
笹塚病院では、ブナを連れて来られなかった理由を述べ、検便としてもらう。ブナのそれには悪玉菌が少し増えていたけれど、病原体がいるわけでもなく、特に問題はないとのことだったが、腸の粘膜がはがれ出ているところを見ると、腸が必要以上に動いたと思われるということだった。
ウンチに膜が張ったように、粘膜のようなものが一緒に排泄されることがある。たとえば繊維質を大量に取り過ぎて、腸がその消化に頑張りすぎたため、腸壁を保護している粘膜が「あっ、オレ、もうダメ」と力尽きて、はがれ落ちてしまうらしい。
とにかく腸が必要以上に頑張らなければならない状態が続くと、そうなるのだそうだ。そうえいば下痢になる前日まで、けっこうな量のキャベツをあげていたし、ブロッコリーもあげていた。
下痢をしたら本当は絶食させた方がいいことは分かっていたのだが、2頭の猛烈な催促に負けて、ついブナにも与えてしまったのだった。
犬はもともと肉食なのだし、もう高齢で消化機能も低下しているのだから、野菜もほどほどにやるようにしよう。ブナには抗生物質と腸壁調整剤を与え、消化のよいフードをあげた。今日はもう下痢は治まっている模様。やれやれ。
昨日は、ほたると一緒に暮らしていたノエルの弔いの日でした。
おとといの夜、ノエホタ母から電話があり、「今日、ノエルが死んじゃった」と、もう感情もどこかに行ってしまったような乾いた声が告げてきた。泣き尽くしたあとの心が空っぽになったときの声だった。
うそ! だって、あんなに元気だったじゃない! なんでノエル? あと少しで16歳、残された犬たちの希望の星だったのに!
おとといの朝、久しぶりにてんかんの発作を起こし、それがその後、治まるどころかひどくなる一方で、急きょかかりつけの獣医に連れて行き、安定剤を投与してもらったのだという。
自宅に連れ帰って、少し落ち着いた様子だったのだけど、高齢のノエルの体は持ち堪えることができなかったのでしょう。ノエホタ母、ノエホタ父が在宅している日に、ノエルは逝ってしまいました。
気が動転してしまった。計画停電は中止されることが決まり、武蔵野線も通常運行ということだったので、とにかくノエホタ母の家へ急いだ。駅の花屋さんに数本の桜の花を一緒に束ねた小さなは花束があったので、買い求めて電車に乗った。
ノエルが見るはずだった桜の花。「今年も見ることができたね」って、歳を重ね、新春の寿ぎを祝うシンボルだった桜の花。花束を握り締めるととめどなく涙がこぼれた。
本当なら獣医さんも往診をしてくれるであろうに、ガソリン不足でままならなかったのだと思う。
少しだけ給油してもらえたガソリンを使って、ノエホタ両親、ほたると一緒に近くのペット霊園に行った。本当は気が進まない霊園だとノエホタ母は言った。行きたかったところは混み合っていて、火葬が先延ばしになってしまうという。きっと燃料不足の折から、件数を限っていたのかもしれない。
ノエルを火葬してくれたペット霊園の担当者は口数の多い人で、厳粛な弔いの時間に水を差す形になり、ちょっと不愉快だった。
ノエルがイギリスタイプだろうが、アメリカタイプだろうが、遺骨から判断することでもなかろうし、年上だったノエルが居なくなったら、上がいて我慢していたほたるの本性が現れるかもしれませんなんて話は、大きなお世話なのだ。
ほたるはノエルが居たときだって、のびのびと甘え、臆病でやさしい「ほたる」そのものだった。おじさんに何が分かるか。
ノエルの遺骨を拾う際、ほたるは遺骨も口数の多いおじさんの方も、一切見ようとしなかった。別の形になってしまった物体をノエルだと認めようとしなかったほたるの、遠くを見つめる瞳を思い出すと、今も泣けてくる。
ノエル、濃密な時間をどうもありがとう。ノエルが居たから、トチの娘がノエホタ家にもらわれていき、長いステキな交流ができたのだもの。ノエル、もうトチと会えた?
東北関東大震災で被災せずに済んだ私たちにできることはなんだろう。
福島原発が最悪な事態にならないことを祈るばかりだけど、このままだと都市部の電力供給は不安定なままだ。長期戦である。
被災地を見る限り、津波にのまれた家々の残骸は、オール電化や電力に頼った快適な生活をしていたとは思えない古い日本家屋の無残な姿。
その地の経済状況が原発を誘致せざるを得なかったのかもしれないけれど、福島原発によって作られた電力は地元の暮らしを煌々と照らしていたわけではなく、都市部の便利で安全な(と謳われた)生活を支えていたのだ。
せめて今、何不自由なく暮らせる私にできることを積極的にやろうと思った。義援金を送り、スーパーやドラッグストアにけっこう在庫してある「おしりナップ」を買って、直接被災地に持ち込んでいるNPOに送った。
赤ちゃんや寝たきりの高齢者はお尻を清潔にできないとすぐに肌荒れして、とても辛いものだ。水が出なければ、なかなか拭いてあげられない。せめて「おしりナップ」でさっぱりしてあげられたらと思い、あちこちで買ってダンボールに詰めて送った。
連休中は計画停電は実施されなかったが、これからずっと続くことを覚悟しておかなくてはならないと思う。そう思っていた矢先、妹が関西の知人が何本か送ってくれたというソーラーライトを1本分けてくれた。
ライト本体のてっぺんにソーラーパネルが埋め込まれていて、周囲が暗くなると自動的にLEDライトが点灯し、明るくなると自動的に消灯するというスグレ物だ。曇天が続くと、点灯時間が短くなるけれど、これでほかのライトの電池の消耗がかなり防げる。
地震のあと、灯油やガソリンが買い出せなくなって以来、暖房は使っていない。家の中に居ても、フリースを着たり靴下を重ねて履いたり、厚着をしてしのいでいる。しのげるものだと思った。
被災した人たちに直接何もしてあげられないけれど、できるときにできることをやっていくしかない。
被災した人たち、避難してきた人たちのペットの問題も浮上している。何かできることを探したいと思う。
ガソリンもいつ買えるようになるか分からないので、車で河川敷に行くのはやめ、犬の散歩は徒歩で出かけられる範囲にし、買い物にもリュックを背負って徒歩か自転車で行ける範囲で納めることにした。
スーパーに向かって家を出ると、周辺の道路が大渋滞。信号が消えているせいかと思ったらそうではなく、給油渋滞であった。
最寄りのガソリン・スタンドまでかなりの距離があるのに、そこら中の道に車が数珠つなぎ。交差点内にも車があふれ、給油しないほかの車やバスの運行に支障をきたしていた。ガソリン・スタンドが開いた途端、この始末である。
その様子を眺めながらスーパーへ。スーパーの中でも、びっくり仰天であった。
すっからかんの棚、棚、棚。パン、カップ麺、レトルト食品、水、トイレットペーパーなどなど、ごっそりなくなっていた。
店では補充はせず、補充分は被災地に回しているのだろうか。
これほどの買い出しは停電に対処するためなのか? 天災に備えて? 普段、備蓄はしていないのだろうか。
ドラッグストアのワインの棚にもポツンと1本、赤玉ワインが残っているだけだった。ワインまで買いだめ?
市のホームページでは、私の地区の計画停電は中止するという通知があった。それなのに、海江田大臣は会見で「このままだと今夜、予測不能の大規模停電が起こる恐れがある」と言っている。
それなら第3グループでも計画停電を実施すればいいのに、こちらは覚悟しているのだから。予測不能な大規模停電を計画停電ではカバーできないのだろうか。何のための「計画」なのだろうか。
昨夜、煮炊きをしていたら、ふっと真っ暗になった。計画停電だ。
私の居住区は発表を見る限り、第1グループなのか第3グループなのか、分からなかった。昨日は見送られたグループもあったので、停電になってはじめて、どうやら第3グループらしいということが分かった。
非常用のペンライトを点けて、用意してあったコールマンやロゴスなどのキャンプ用ランタンを持ち出した。白ガスタイプじゃないので、簡単に点くけれど、電池はすっかり買い占められてしまっていて、どこにもない。
停電もおそらく長丁場になるだろうから、電池は大事に使わなくては、と思い、コールマンのランタンも蛍光灯を1本だけ灯して、あとはアロマ用にたくさん買い置きがあるロウソクに火を点けた。
ペンライトで煮炊きを終え、食卓につくと、辺りは静まり返っているし、そよともしないロウソクの炎が淡い光を放ち、何だか厳粛な雰囲気になってしまった。
灯油ももう品切れでいつ買えるか分からないのでストーブもつけず、食後は毛布にくるまって本を読んで過ごした。
被災地の人たちを思えば、暖房はなくても自分の家で過ごせるだけましである。
明日は雨が降って、放射性物質が雨水に付着して地上に達する可能性があるから、専門家が付近住民に「外出を控え、雨に濡れないようにしてほしい」と呼びかけているって?
被災地の人たちはどれほど不安だろう。
トイレだって外に設置されている避難所もあって、戸外で生活しているようなものなのに。最悪だ。
体には害はないレベルだと言っておきながら、本当はそうじゃなくて、やっぱり有害だからねって言っているわけだ。最悪だよ。
東電の説明は意味が分からん。
逃げ道を作ろうとするあまり、変な役人的言い回しをするから、今、何がどうなっているか、正確に伝わってこない。
あれじゃあ、不安を煽るばかりだ。
これらの果実酒、コーヒー酒は、昨日ノエホタ母から送られてきたものである。
梅酒以外の果実酒に漬けてある果実やコーヒー豆は「もう取り出すように」と昨日言われたので、今日早速取り出した。お酒のことになるとぬかりない。掃除や洗濯も、かようにパッパとこなせばよかろうに、と思うのだが……、つい後回しにする自分を妙なタイミングで反省してしまった。
言われたとおりにちぁゃんと濾して、再び瓶に納める際、言われもしないのにちょいとそれぞれの味見をしてみた。
何が美味しかったかって、豆の香りも味もきちんと活きているコーヒー酒!
以前、高円寺のスペイン料理を出す居酒屋さんで呑んだのと同じ、実に美味しい!
ノエホタ母は下戸なので、この旨さが分からないだろうが、ホント、美味しいです。豆を漬け込むだけのようなのだが、ぜひとも作り方を伝授していただきたい!
イチゴ酒はイチゴの甘い香りと味が濃厚で、甘過ぎると感じるようなら、レモンを絞って炭酸割りで。
かつて自分で漬けて失敗した覚えがあるキーウィ酒、お味はいかに? キーウィって果汁の旨味がじんわり出るという、味の濃い果実じゃないからね。キーウィの味が生きている!というわけではないけれど、ノエホタ母のキーウィ酒は、レモンの風味が強くて、さっぱりしていた。少し寝かせてみましょうかね。
ノエホタ母とのおしゃべりは最高に面白くて、電話で話していても受話器を持つ手がしびれるほど長っ話になってしまうことがある。これで彼女が下戸じゃなければ、大騒ぎできるのになあ。残念だなあ。
ブナは今日で13歳。エライ、エライ。
歯はかなりすり減り、目は少し白くなり、肘やどこそこに座りダコのようなものもできているし、脂肪腫もあるけれど、大病もせず、まだ軽快に歩くことができる。有難いことだ。
トチ、お前の子どもたちは無事に13歳を迎えたよ。
「ブナ、お誕生日、おめでとう。そして、有難うね、長生きしてくれて」と言いながら、普段のエサの後、茹でたニンジンをあげた。
それから私は、ブナの姉妹犬であるピッコイとほたるの飼い主さんに「おめでとう&有難う」のメールを送った。
すると、ピッコイの飼い主さんから返信があった。
「今日は、お友達のエリーちゃんと一緒にいつも行くカフェでお祝いしました。
注文しておいたケーキを一緒に食べてゴキゲンでした。
ホントにピッコイも私も、幸せです。」
注文しておいたケーキ?! ヤヤヤ、なんという行き届いた心遣い……。ピッコイの待遇とブナのそれでは、庄屋と小作人ほど違うではないか!
ピッコイのバースデーケーキ ろうそくまで立ててもらってるぅ!
茹でたニンジンしかもらわなかったブナには、ピッコイのバースデイケーキの写真は見せられない。ブナは自分の境遇を嘆くだろうか。
と思っていると、インターホンが鳴った。ヤマト便のお兄さんが届けてくれたのは、ほたるのうちからの荷物だった。
開封すると「骨型ミルクガム「ミルク味ロールガム」「はぶらしガム」「骨の健康ビスケット」などの犬たちへのプレゼントに加え、飼い主の清美さんが漬け込んだ「イチゴ酒」「キイウイ酒」「コーヒー酒」「梅酒」のほか「グリーンオリーブ漬け」などが、次から次へと箱から出てきた。
犬たちの物より私への酒類の方が品数が多い。いったい誰の誕生日だか、分からなくなってしまう状況であった。
さすがに私が呑んべえであることを知っているラインアップだと、一人で爆笑してしまった。清美さんに電話をしてお礼を言い、ひとしきり犬話で盛り上がった。
清美さんが送ってくれた「はみがきガム」の裏書きには、「歯ぐきの弱いワンちゃんに与える場合には、水に2~3分浸し、やわらかくしてからお与えください」とある。
13歳になって歯ぐきが弱くなりつつあるブナと、すでに歯ぐきが救われない状態になっているクリに、さっそく水でやわらかくしたそれをプレゼントしようと思う。
3月5日、ブナ誕生日の朝のクリとブナ
茹でたニンジンとバースデーケーキの差にドキドキしたからといって、「このガムもお母さんからだよ」などと嘘はつくまい。「ブナ、ほたるのお母さんからだよ」と素直に告げよう。私以外にも愛してくれている人がいることを教えてあげようと思う。
クシャミをするのは気持ちいい。特に周りにだれもいないと、思い切り「ハックショーン、ハアア!」とできて、なお気持ちいい。何連発しても気持ちいい。
しかし、それに伴って鼻水が出るのが困る。こちらは垂らす気はないのに、勝手にツツーっと垂れてくるのが困る。
数日間、風の強い日が続いている。この強風によってスギ花粉は狂喜乱舞である。
今年もきっちり花粉症がやってきた。年に一度忘れずにやってくる。ひこ星と織姫は年に一度の逢瀬を心待ちにしているだろうが、私はこの年に一度の到来をまったく歓迎していない。なのに、今年もちゃんとクシャミを連発し、鼻水を垂らしている。
花粉症とは30年近くの付き合いだが、友人でもこんなに長く、途切れることなく付き合っている人はいない。なんと律儀なヤツと思う。
ここのところ休みも取らずに仕事をしていたので、今日は今朝、急に「休日にしよう!」と思い立った。
朝の散歩のときから風が強く、全身スギ花粉まみれになった。それを落としたいと思ったわけではないのだけれど、なぜか急に「お風呂に入ろう!」と思った。今日は「なぜか急に」の日なのだ。
うちのマンションの風呂は追い炊き式ではないので、何度か沸かして入ることができない。一人暮らしではもったいないのだ。溜めた湯はあとで洗濯や庭の水やりに使うけれど、底冷えがする日は入浴中もだんだんお湯がぬるくなり、沸かし直せる風呂とは違う気遣いが必要だ。
なので、私はめったに風呂に入らない。そうと言うと、人はみなびっくりして目をまん丸にする。正確には「湯船に浸からない」のであって、ちゃんとシャワーで体や髪は洗っております。
そんな私なのに、唐突に「お風呂に入ろう!」(「シャワーを浴びよう」じゃなくて)と強く思ったのだ。そして午前中からお湯を溜め、湯船に浸かりながらゆっくりと本を読んだ(今日は休日だからネ)。スギ花粉もすっかり流してやりましたさ。