河川敷に行くと誰かしら顔見知りの方に出会い、そのたびに「もう1頭は?」とか「今日は2頭だけ?」と聞かれるので、そのたびに「亡くなったんです」と言わなくてはならず、なかなかしんどい。
答えながらこちらが泣いてしまっては、向こうも困るだろうと思うから、努めて快活に答えるのだけど、そのあとに決まって「うぐぐ」と嗚咽を漏らしてしまう。
今年は年末の大掃除もする気にならず、年賀状の用意も未だにできていないけど、まあ、いっか。時の流れに身を任せよう。
ハンナやグラッシーの飼い主さんからもお花を頂き、ノエホタ母さんが持ってきてくれた花束は、トチの棺に入れてやりました。
今日は編集者のゆうさんから、5月に一緒に取材したバラ作家・國枝啓司さんのバラの花束が届きました。
今年の5月から毎月数度は犬たちに留守番をさせ、ゆうさんとともにハードな取材をこなして一緒に誌面を作り上げて来ためくるめく日々を思うと感慨深いものがある。私のバラ好きを知っている彼女が、2人して感動したバラ作家のバラをわざわざ手配してくれたのでした。
「電話をしようと思ったけど、大泣きしそうなので止めておく」と、ゆうさんの携帯にお礼メールを送信すると、ひと言「わかってる。ゆっくり休んで」と返事が返ってきました。
ほら、トチ、お前の周りにこんなにきれいな花がいっぱいだよ。
さて、もういい加減、仕事に打ち込もう。そして明日は盛大にトチの15歳の誕生パーティーをしよう!
犬布団にいつもいるはずのトチの姿がないことは、ものすごく淋しい。朝うっかりトチのエサ皿にフードを入れそうになり、ブナ&クリを車に乗せたあと、トチを連れに行くために部屋に戻りそうになってしまいました。
身に着いた習慣というのは恐ろしい。
もうこれもしなくていいんだと思うと哀しくなります。
でも、ハンナの飼い主さん夫婦が持ってきてくれたカサブランカの甘い香りが漂う部屋で、トチの遺骨箱をぼんやり眺めていたら、不意にトチがしてくれた最後の贈り物の大きさに今さらながら気付き、哀しみ以上に幸せな気持ちが押し寄せてきたのです。
これからも私は仕事で月に何度も取材に出なくてはいけないでしょう。もしそのとき、長患いしていたり寝たきりのトチを抱えていたら、どんなにやりくりが大変だったことでしょう。
妹のことも拘束しなくてはならなくなるし、かりに誰か別の人に頼んで取材に出られたとしても気が気ではないでしょう。
介護用品もあれこれ用意しなくてはなりませんし、大変な思いをして通院させなくてはいけなかったでしょう。医療費もばかになりません。
そんな大変なことを私にさせることなく、トチは朝普通に散歩をした夜、心を交わす時間を私に与えてくれ、私の腕の中で逝ったのです。しかも仕事で拘束されていない、みんなが集まれる土日にその弔いの日を用意してくれた。
今までもそうですが、長く寝込みもせず、何ひとつ大きな負担を私にかけずに旅立っていきました。
こんな孝行をしてもらい、私はどんなに幸せな飼い主でしょうか! 最期にこんな幸せを与えてもらい、感謝せずにいられないし、その存在の不在感だけにさいなまれていては、トチに申し訳ないと思ったのです。
もうこれもしないんだ、あれもしないんだと、「ない」ことを考えるのはやめよう。「ないない」づくしの生活を哀しむのではなく、あれもしてもらった、これもしてもらったと「あったあった」づくしの生活に感謝して生きて行こうと思いました。
生前、車の助手席はトチの特等席でしたが、トチが後部席にいて助手席が空いていれば、ブナもクリもときどき助手席に座りにきたのに、今朝、助手席は空なのに、だれも座りにこなかった。きっとトチが座っているのが2頭には見えたんだな。私も「あっ、トチが座っている」と思いました。
だからトチに言いました。
「トチ、もう自由になったんだから好きにしてね。そばにいたいときはそばに来てくれるのは嬉しいけど、霊界というところがあるらしいから、そっちにも顔を出しなよ。そっちには先に行った仲間がみんな元気に暮らしているんだって。お母さんの心にはちゃんとお前は生き続けていくんだから」
トチを看取って、なおのこと近くに寄り添う命がいとおしくなりました。ブナ、クリ、ボッチのことも、ううんとううんと大事にしてやりたいと心から思いました。とくにブナはトチの忘れ形見だし、トチと同じように立派な最期を看取ってやりたい。
と、凛としたつもりでも、幸せをかみしめつつまた涙ポロリなのでした。
昨日は、朝トチの訃報を知らせたグラッシーの飼い主さん夫婦が、わざわざお花とシニア犬用のビスケットを持って、お別れに来てくれました。部屋に入ってトチに触れてくれ「毛づやもいいし、ただ眠っているみたい。今にも起きてきそうだね」と。
本当にそうだといいのに。
ノエホタ母の清美さん、レオン母の敦子姉、妹家族が次々にやってきて、みなで東京家畜博愛院へ。ここではもう何頭もの犬猫がお世話になっています。
昭和初期にペット霊園として開院し、昭和37年から火葬(それまでは土葬だったそうです)で埋葬している霊園で、警察犬慰霊碑も建立されており、数十頭の警察犬・警備犬が眠っています。
火葬を担当されている方が変に慇懃ではなく、ごく自然にお骨の説明をしてくれるのに好感が持てます(好感が持てるといいのも変だけど)。
トチを車から降ろして専用のダンボールの棺に入れてくれたのもその方なんだけど、手続きに行くと「男の子でしょ?」と聞く。「いいえ、メスです」というと「体格がいいねえ」と驚いていました。
そうよ。私は大きくて立派な体格のラブが好きだったんだもん。
「何歳ですか?」「あと5日で15歳でした」「じゃあもう、満15歳だね。長生きだったねえ。その割に痩せてもいないし、毛づやもいい。顔に白髪も少ないしね。健康だったんだ」といいながら、トチの年齢のところに「15歳」と書き込んでくれました。
「でも、乳腺ガンもやったし、悪性腫瘍もやったんですよ」というと、「あっ、そう?」と驚いた様子でした。
棺にお花やビスケット、チーズを入れてやり、箱が閉められ、炉に入れられるときは、みなで大泣きでした。「なんたってほたるのお母さんだもの。お別れに行きたい」と言って来てくれた清美さんも号泣。
清美さんは常々「火葬は熱くて可哀想な気がするから、土に埋めたい」などと言っている人なので、本当に「可哀想!」と思ったことでしょう。
彼女とは犬の飼い方に対する考え方も飼い方も似ていて、読書好きで何でも手作りをしたり、生活の中で工夫することを面白がるところも似ていて、12年近くの付き合いの間に私にとって本当に気の置けない友人となりました。これもトチの贈り物。彼女が来てくれたことが心から嬉しく、感謝しています。
小一時間でトチは骨になりました。
火葬担当のおじさんが骨の部位の説明をしてくれました。
「この子はがっしりした骨をしていますね。丈夫だったでしょ。ただもう骨髄はスカスカになっているから、骨粗鬆症の状態ですね。まあ15歳ですからね。ということは、黒ラブがブームになる前に飼い始めたんですね。人気が出て飼われるようになった10~12歳子が最近ずいぶん運ばれてくる。
警察犬にも黒ラブは増えたけど、警察犬だと8歳くらいで亡くなる子が多いです。任務が大変なんでしょうね。それに比べたら大往生ですね」
病気の子はその形跡が骨に残り、ガンなどで長患いした子の骨もすぐ分かるそうです。以前まだ幼くして白血病で逝った猫のアイを火葬したときも、確かこのおじさんが「この子は生前病気だったでしょ。骨が小さくてもろい。病気だった子の骨のようですね」と教えてくれたのです。
トチの骨にはガンや病気の形跡が見られないということは、本当に天寿を全うして老衰に近い状態だったのだと思います。おじさんの言葉にとても慰められました。
骨壺に納まりきらないくらい立派な骨になって、トチの肉体はうちに帰ってきました。
12月26日、19時35分。トチの心臓が鼓動を停めました。
散歩後、車の中でへたり込んだトチをいつも愛用している布団に横たえ、仕事をしながらときどき様子を見に行っていました。荒い呼吸ながら自分で体位を変えることはできても、夕ご飯は食べられず、水をあげても飲もうとしませんでした。
ひと仕事終えた午後6時半頃、トチの様子を見に行くと、大きく呼吸はしているものの、すでに歯肉が白っぽくなっていて血の気が引き、舌を寝ている側に垂らしていたのです。目はうつろに開いたままで、眠っているわけではありませんでした。
その状態を確認したとき、トチはもう長くないんだなと思いました。
それからずっとそばにいました。ときに抱きしめ、体をなで、頬に何度もキスをして、トチに何度も苦しくないか聞きました。トチは「哀しまないで」と伝えてきました。
7時を回っても、ずっとおなかの動きがはっきりわかるようなゆっくりとした荒い呼吸のまま、目を開いて横たわっています。私はトチに言いました。
「苦しかったら、もういいよ、トチ。もう15歳までがんばってなんて言わないから。もう頑張らなくてもいい。しんどかったら楽になっていいよ」
そういったら哀しみがこみあげてきて、子どものように大声で泣いてしまった。さすがにブナもクリもボッチもびっくりし、ブナとクリはじっと固まっていたけれど、ボッチは私に駆け寄ってきました。
7時半頃、トチの顔はもう屍の顔になり、脳が最後に出した信号を規則正しく伝えているかのように、かろうじて呼吸だけは残り、終わりのほうでカッ、カッ、カッと残りの息を出して、静かに呼吸がやみました。
トチの心臓に手を置くと、呼吸は停止しても、かなりの鼓動を刻んでおり、人工呼吸をすれば、もしかしたら息を吹き返すかもしれないと一瞬思ったのですが、トチが「もういい」と決めて肉体を離れようとしている以上、それを受け止めてやるのが私の務めだと思い直し、泣きながら心臓の鼓動が停まるまでそっと手を置いたままで見送りました。
「なんで亡くなったの?」と聞かれても、原因となる病気は分かりません。トチの肉体は彼女の気持ちとは別に、もういっぱいいっぱいだったのだと思います。
「お母さんが15回目の桜を一緒に見ることを楽しみにしているから、頑張ろう」と思ってくれていたかもしれないけれど、乳腺ガンやこの夏に切除した悪性腫瘍、予後の前庭障害など、12歳以降に襲って来た数々の病はトチの体にダメージを与えただろうし、ただでさえ加齢によるさまざまな内臓の機能低下は防ぎようもありません。
朝はグランドでビスケット投げをせがみ、いつものように3頭で歩きました。よかったと思います。トチは急にへたり込んだ自分に混乱していたかもしれません。だから、体は自由に動けなくても、気持ちのうえでは長く生きようと思い、頑張って呼吸を続けていたのでしょう。
だからといって私は、ガンや悪性腫瘍をも克服してきたトチの、その疲れた肉体をなんとか病院に運び、冷たい診察台の上で医療措置を施してもらおうという気持ちにはなりませんでした。
気持ちの上ではかなり整理がついていて、取り乱すことはありませんでしたが、はばかる人目もないので、思う存分声をあげて泣きました。トチに労いの言葉とお礼を言いながら。
22日、いよいよトチが寝たきりになってしまうのかという状況から復活したというのに、今日、河川敷のグランドで遊ばせて戻ると、車の中でへたり込んでおり、自分では動けない状態になっていました。1人で抱きかかえて何とか降ろしたものの、エントランス前の道路にくず折れてしまいました。
とうとうドッグキャリーの出番とばかりに、キャリーを取り出し、さっそく装着させ始めたのですが、へたり込んでいる大型犬に装着するのはかなり難儀で、何とか付けて抱え上げたものの、トチは首が苦しいのが「ウゲ」となっている。
「こりゃ、ダメだ」と降ろしたところへ、電話で緊急出動を依頼していた妹が駆けつけてくれ、結局2人で抱えて部屋まで戻ったのでした。ドッグキャリーは何本ものベルトに四肢をうまい具合に通さなくてはならず、全身マヒ状態でへたり込んでいる犬には、容易に装着できない気がします。
今、トチは犬布団に横たわり、寝息を立てています。朝、久々のグランドでビスケットを投げてくれとせがむので、数回ビスケット投げをして、走らせたのがいけなかったのかも。
今朝はグランドで自由にさせたあと、ブナにもクリにも少しボール遊びをさせました。トチもビスケット投げをせがんだので、2~3回投げてやりました。が、首もかしげたままなので、もうちゃんとビスケットを目で追えず、ずいぶん探しまわっていたのでした。確実に老い、さまざまな機能も低下したのだと思います。
それだけでなく、乳腺ガンや悪性腫瘍が転移・再発してしまったのか…。
確実に年を取り、体力が低下するのはこっちも同じで、トチを車から降ろしたり、キャリーで吊り下げたり、抱えたり、体位変換させたり、そのときは夢中だから無理な姿勢でもいとわずやっていましたが、今、腰が「痛たたた」となっています。
へたり込んだままでは獣医さんにも連れていけないので、介護カートが必要かと思い、インターネットでいろいろリサーチ。注文するのも、もう立ち上がれないことを前提にしているみたいでイヤだし、注文するのが遅くなって、せっかく注文したのに間に合わなかったなどというのもイヤだし…、ううむ。
獣医さんに連れて行くにしろ、和光の先生に「あと何年も生きないのだから」などと言われたら切ないし、検査するにしてもハンナの飼い主さんが勧めてくれた笹塚動物病院まで行ってみようかといろいろ迷っているところです。ううむ。
今朝はトチがしっかり立つことが難儀な様子で、気持ちは散歩に行きたいのだけど、体がついて行かないという感じでへたっていたため、ブナとクリだけを散歩に連れ出しました。
車から2頭を降ろすと、河川敷へ向かう広場のベンチでうごめく黒い物体が見えました。工事用のロープでベンチにつながれた黒ラブが熱心にロープを噛み切ろうとしていたのです。
見覚えがある子犬。黒ラブとチョコラブの飼い主さんが飼い始めた子犬のようだけど、なぜここに?
確か「ハル」という名前で6カ月くらいになっていると思うのだけど、「どうしたの? なんでここにいるのよ」と聞きながら、いずれ切れてしまうであろうロープをチョークチェーンから外し、持っていた予備のリードに着け変えているとき、早朝ときどき会う白犬の飼い主さんが車から降りてきました。
ベンチに迷子犬をつないだのはその白犬の飼い主さんで、子犬が離れてうろうろして、車にでもはねられたらいけないと思ってゆわえつけ、警察に要保護の連絡を入れたというのです。お互いに「あの人の犬ですよねえ」と言い合っているところにパトカーが来て、若いおまわりさんが2人降りてきました。
順々に車から人が降りてきて、順々に人がつらなっていく民話「大きなカブ」みたいでした。
おまわりさんは通報を受けて駆けつけたのだけど、おまわりさんの手に渡るとすぐに保健所に行き、飼い主がうまく見つからないまま2週間もすると天国に行ってしまうことになる。
よろしくない! 絶対よろしくないので、「うちでは預かれない」という白犬の飼い主さんに代わって、私が預かって飼い主さん、もしくは里親を探すことにしたのです。
で、白犬の飼い主さんと電話番号を教え合い、彼は仕事へ。そして私の連絡先を控えたおまわりさんも仕事に戻って行ったのでした。
それから私はトチの代わりに、多分「ハル」という名前の黒ラブの子犬を連れて、3頭で土手を散歩したのですが、まあ、呼べばすぐに来るし、リードをつけて歩かせてもあちこち行かずにちゃんと歩くし、車の中でもいい子だし、なんでこの子が置いて行かれてしまったのか、皆目見当もつきませんでした。
読売新聞のエリア情報紙11月号の、子どもをもつおかあさん向けのコラムに掲載したものです。柳田さんのいう通りだと思う。
「秋の夜長におすすめの本」
子育てに悩むお母さんたちに、「基本はここだよ」ということを教えてくれるメッセージ集が、今回紹介する『みんな、絵本から』です。著者はノンフィクション作家の柳田邦男さん。現代の「ケータイ・ネット依存症」を憂慮した柳田さんは、何年も前に「ノーケータイ・ノーゲーム・ノーテレビ」の呼びかけを始め、絵本の読み聞かせの大切さを訴えてきました。
本書は、右ページには写真、左ページには読者からの手紙の一文やさまざまなエピソードが短く語られているという見開き完結の読みやすい構成で、子どもの心の発達や大人の気づきが行間や写真から伝わってきます。子どもたちが求めているもの、大人が本当に与えてあげなくてはならないものについて考え、感じることができる内容で、静かに心を立て直すひとときを与えてくれます。忙しくて疲れた日、秋の夜長に最適な一冊です。
柳田邦男・著/石井麻木・写真(講談社1,200円税別)
まだまだ健脚ぶりを披露してくれるトチ。写真は、土手道から外れて好き勝手に草むらに行ってしまったトチを、「何、そっちに行っちゃってんの?」とばかりにブナが凝視している図です。
ブナはまだ耳が聞こえるものだから、道から外れて行くと「そっち行っちゃダメ」などと私に言われ、すごすご付いてくるのだけど、トチはすっかり聞こえないので、ときどき私の手招きも見て見ぬふりをして、あっちこっちへブラブラと。
このあと、すぐに呼び戻されるブナは悔しかったのか、こっちに戻って来ようとするトチに突進して行こうとしました。トチがひっくり返ると危ないので、直前に「ブナ、ダメ!」と叫ぶと、踵を返してクリに突進。
何の罪もないクリはいきなりブナに突進されて、目を白黒させていたのでした。弟分はつらいねえ、クリ。