2月に入ってから、クリの下顎の切歯と犬歯の間に、2ミリくらいの濃いピンク色に盛り上がった腫れを見つけ、ぎょっとした。口腔内の腫瘍は悪性だとタチが悪く、進行も早い。
口臭もひどい。クリの下くちびるをベロンと下げて確認すると、な、な、なんと下左切歯2本の歯ぐきが黒ずんでいるではないか。歯も少しグラついている!
悪性黒色腫だったら、どうしよう!
そこで、先週、笹塚動物病院に連れて行った。副院長先生は「これは&%$#@だと思いますよ。悪性のものではないので、心配はないでしょう」とおっしゃったのだが、取りあえず黒色腫ではなかったのでホッとして、その出来物の名前は覚えられなかった。
ただ、ひどい口臭や切歯のグラつきは重度の歯周病ということで、できることは歯石や歯垢の除去くらいしかないようなのだ。
昨年5月に一度、歯石や歯垢を取ってもらったのだが、「そのあとこまめにケアをしていれば、少しは違っていたと思う」と言われ、ダメ飼い主であったとものすごく反省した。
笹塚動物病院では歯石や歯垢を除去するのに全身麻酔は使わず、先生と看護師さん数人が協力しながら行う。時間もかかることなのであらかじめ予約を入れ、昨日がその処置日だったのだ。
2頭を車に乗せて笹塚へ。クリが処置してもらっている間、私とブナは周辺を散歩したり、車の中でブナは寝そべり、私は本を読んだりして待つこと1時間20分弱。
連絡を受けてクリを迎えに行くと、副院長先生が待合室の床に座り、クリをかまってくれていた。犬にストレスを与えないように、みんなが床に座わり込んで、クリを抑えながら処置してくれたようだ。こういうところ、好きだなあ。
クリの歯はつい1時間半前に比べて、とてもきれいになっていた。奥歯近くの歯肉に潰瘍もできていたそうで、「それは痛かったと思う」と先生。「グラついている歯を抜いてしまおうか迷いましたが、飼い主さんに聞いてからじゃないと、と思って止めました」と言われたけど、歯茎がダメでグラついているのだから、本来は抜いてしまったほうが歯槽骨への炎症が食いとめられてよいらしい。
クリはペットショップにいた生後4カ月まで栄養不良の状態で過ごし、生えてきた永久歯もヤニっ歯のように茶色かったのだから、もっと歯のケアに気を使ってあげればよかった。
今となっては歯磨きペーストを用いて磨いてやっても、もう手遅れみたい。クリには痛い思いをさせることになって、本当にすまなかったと思う。これからは3カ月か4カ月に一度、処置に通うことを勧められた。
そうしよう、そうしよう。歯が抜け去って固いフードが食べられなくなったら、ふやかしてあげるからね。
注文してからかなりの日数を経て届いた『TPP反対の大義』。これからじっくり読み込もうと思っていた矢先、久しぶりにカメラマンのカサハラさんから電話があった。
同書の話をすると「ぼくも買って読み始めている」とのこと。お互いに読了したら、TPPの話ももっとはずむことでしょう。
それから、最近読んだ本の話になった。カサハラさんとは時々本の貸し借りをしている。思い出したように電話で面白かった本や感銘を受けた本の話をし、そののちお互いに勝手に送り付け合っているという感じ。
カサハラさんは昨今の一連の検察の暴挙は「氷山の一角」と切り捨て、興味深く読んだ本の話をしてくれた。その中に鈴木宗男氏が著した『汚名』があった。
そして、その手の書籍を読み進めていくうちに「謝りたいと思った人がいる」と言う。「だれ?」と聞くと「松山千春だ」と言った。
「鈴木宗男の支援をマスコミが取り上げた当初、『ナンダ、こいつ?』と思っていたけど、だれが何と言おうと初めから一貫した姿勢を崩さず、ブレていなかった。松山千春に『ナンダ、こいつ』と思ったことを謝りたい」
なんて言うから思わず笑っちゃったけど、その『汚名』も読んでみたくなった。
数日後、カサハラさんから小包が届いた。荷をほどくと、これらの本が……。
中には漫画家でもあり江戸風俗研究家でもあり、その方面のエッセイを多数残した杉浦日向子さんの本もあった。好きだったのになあ、若くして亡くなられ、非常に残念。
また、文化放送の朝の番組でよく耳にしている上杉隆さんの著書もあった。精力的に執筆活動を行い、メディア批判を展開している上杉さんだが、ラジオでは意外にひょうきんな一面が伝わり、楽しく聞いている。
ここのところ読みたいと思った本を衝動買いしていて(ストレスが溜まってるのかしら?)、机の上に山積みになっているのだけど、これから3月半ばまで確実に忙殺されるであろう仕事があれこれと……。貧乏ヒマなし状態に果てはないのだ。
すぐには読み切れないと思うから、しばらく貸しておいてね、カサハラさん。
『帆翔』第47号が刷り上がり、すでに発送も済んでいる頃と思う。小学館OBで、帆翔の会代表である岩井さんにおんぶに抱っこで20年余。編集や発送もすべて岩井さんに頼っている。
昭和4年生まれの岩井さんはさすがに息切れされている様子。「50号を区切りにしようか」という話も出ているが、前日お会いしたときには「やれるところまでやるか」とおっしゃてもいた。どうなるかなあ。
今回は久々に少年詩を掲載した。というか、現代詩が書けなかったからなんだけど。悪あがきなんだけど、谷川俊太郎×山田馨対談集『ぼくはこうやって詩を書いてきた』なんかを買って、奮い立とうとしているワタシ。ダメだなあ。
「水たまり」
知らぬ間に陽がさしていた
雨あがりの舗道
水たまりにうつる青い空
のぞきこめば
ゆっくりと白い雲が流れてゆく
ゆれているぼくの顔
よぼよぼのおじいさんのようだけど
ふと おとうさんに
似ていると思う
胸がキュンとする
大きな黒いドームのような
おとうさんの傘なら
空がとべると思っていた
幼稚園のころのぼく
とんでごらん
と 背中をおした
おとうさんの大きな手
水面のようにゆれた
おかあさんの笑顔
水たまりの中に
キラキラと光る
ふだんとはちがう世界が
ひそんでいた
今ぼくは
まっすぐあるいているよ
土手道をうつむき加減に歩いている姿なんて、晩年のトチにそっくり! ハツラツと走りまわっていたときは、身のこなしも動き方もトチとは違っていたんだけどなあ。肉のダブつき加減もそっくりだ。
やや後方から歩いてくる歩くブナを見て、「トチ?!」って驚くこともある。嬉しいような切ないような……。
耳がやや遠くなり、多分目も悪くなってきたらしく、何となく不安げな様子を見せるようになったブナ。私が仕事中は別の部屋のソファーで寝入っていたのに、最近は年中そばに居たがり、私が歩き回ると(そんなに広いうちじゃないけれど)くっついて来て、うっとうしいくらいだ。
と思っても、そういう気持ちはすぐに打ち消す。だって、まだ十分若かったら「うっとうしいねえ」と言って済ませられるけれど、もうすぐ13歳のブナがトチのように急にへたって逝ってしまったら、「あんなこと言わなければよかった」「あんなふうに思わなければよかった」って、後悔するに違いないもの。
だからもう、たいていのことは大目に見てあげることにしています。ブナのためにも、自分のためにも。
果たしてボッチは何を反省しているのか。
「やめて~!」と言う叫び声を無視して、あちこちの壁やふすま、ソファーで爪をとぎ、日に日に室内をみすぼらしい状況にしていることか。
走りまわるついでに、眠っているブナやクリにネコパンチをくらわせ、特にクリをビビらせていることか……。
ここのところ反省点の多い私には、ボッチのこの寝姿が気になる。
多分、ボッチは反省しているわけではないと思うけど。
同じマンションに住んでいる妹が贈ってくれたダウンジャケットが入った箱の中に、姪っ子が書いた絵が入っていた。終わった月のカレンダーの裏に、一生懸命書いてくれたのだ。
以前は、ゆがんだ丸やへなちょこの線しか書けなかったのに、こんなに字や絵が描けるようになっちゃって、おばちゃんは泣いちゃいます。
この春、小学生になる姪っ子。落ち着きがなくて、ちょっとお行儀も悪いけど、おおらかで明るくて、意地悪はしないし、とても性格のいい子だ。
まだ2歳かそこらの頃、保育園に迎えに行ったとき、私を見つけたと同時に感極まって泣きながら、「おばちゃん、おばちゃん」と言って飛びついて来たことを思い出すと、今でも胸がきゅんとなる。親でもないのにそんな体験ができて、私は幸せだと思う。
そして、届いた「ノニジュース」。これは兄嫁さんからの贈り物。以前ブログに「ノニジュースが犬たちの(ヒトにも)健康維持によいらしいので買ってみたが、高価なのでケチケチあげている」と書いたら、それを覚えていてくれて送ってくれたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/0e/639050eed9fd81e9f9e2a196a481ab27.jpg)
何でも生協のチラシにあったので、兄と相談して「これに決めた」という。有難いことである。ただひとつ歳を取っただけなのに、こんなことをしてもらっちゃって、悪いですねえ。感謝、感謝。
どれくらいの割合か、そして、どの辺り(たとえば、十両とか幕下とか)の取り組みかはまったく覚えていないけれど、中学生・高校生の目にも、あきらかにインチキ臭い勝負はあったと思う。
「国技」と言われていたけれど、私は相撲もプロレスと同じように「興行」だと思っていたので、見せ場を作るために多少の演出もあるのだろうと思っていたのだ。
プロレスも相撲も裸でぶつかり合うし、技もかけ合うので、それなりに体を鍛えなくてはならないし、大関や横綱になるには厳しい稽古も必要だろうけど、何とな~くずっと「相撲は興行」という見方をしていた。
お金が動いていることに関しては深く考えていなかったのだけど、どう見てもわざとらしい勝ち方や負け方って、今までだってあったのになあ~と思う。なので、ここのところの「八百長疑惑」の大騒ぎに、少しばかり驚いている。
まあ、もっと驚いていることは、菅さんが「八百長は国民への背信行為だ」と述べたこと。菅さんたちが今やっていることって、国民への背信行為じゃないのかなあ。
私の母は負の気持ちにとらわれると、なかなかそれを拭えないタイプの人で、すぐ夜、眠れなくなってしまう。
だから、年中、入眠剤を飲んでいる。「眠れない」ということにも不安になり、ますます眠れなくなるという悪循環。
たとえば、50年以上連れ添った父のことで、毎回同じような愚痴を言うのだけど、いくら私が「今に始まったことじゃないじゃない」と言っても、「そうなんだけど、どうしてかしら」と言い続け、その気持ちを手放せないのだ。
こちらが同調してあげることで、気が済むならと思って、愚痴は聞いてあげるほうなのだけど、それでも納まらないことがあると、翌日また電話で同じことを言う。
恨みごとや言っても仕方のないことを言い続けていると、活力が奪われてしまうのになあと思う。そう言っても、なかなかそこから抜け出せないのだ。
抜け出せないのではなく、抜け出さないのね。そういった思考回路が定着してしまって、居心地がよくなってしまっているのだと思う。思い癖というのでしょうか。断ち切るには強い心が必要なので、知らず知らずにそれを避けているのだと思う。
そういうタイプの人は、人一倍プライドは高いようで、素直に等身大の自分を見ようとしないしねえ、困ったものです。
母は気が澱んでしまうことが多いので、いつも何かしら体の不調を抱えている。抵抗力も低下しているのでしょうね。
「諦めること」「許すこと」「忘れること」ができれば、もっと楽になるのになあ。