☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

ロマンスカーミュージアム・何故昔の電車は茶色だったか?

2022年12月07日 | Weblog

半年に1回株主の配当で相鉄線無料券を6枚もらえます。
昨年はそのタダ券を使って近くの子供家族とかしわ台駅に行きました。
相模鉄道(相鉄)の車両基地・車両工場で、沢山の電車と、蒸気機関車も見れました。

今年はロマンスカーミュージアムです。
2021年4月に開館し「子ども も 大人 も楽しめる鉄道ミュージアム」小田急の歴史を後世に伝える展示場です。
まずは小田急の引退したロマンスカーを見ました。
私の住んでいる周りには小田急電車を見る事が無かったですが、
愛知県に居た時に乗っていた名鉄電車のパノラマカー、よく似ているので懐かしく思いました。

 

 ビックリな撮影方法
ロマンスカーギャラリー天井付近に設置した高画質カメラから我々のスマートフォンで操作すると写真が撮れます。
美しく迫力ある流線形の車体と並んで、子供顔族を囲んで爺婆も一緒に記念写真が撮りました。
KDDIとカシオ計算機が共同開発したカメラで
プロ仕様の構図、
特別な1枚を撮影することができるカメラシェアリングサービス「マチカメ」を活用したものだそうです。


新宿から⼩⽥原・箱根まで⼩⽥原線沿線を再現した迫力ある巨大な鉄道ジオラマは面白かったです。
   
都会、鎌倉の大仏、江の島、箱根湯本、小田原城、芦ノ湖の海賊船。
    
最後のこげ茶色写真の電車は1927年(昭和2年)に開業したときに運行を開始した小田急線で最初の車両です。
戦中・戦後にかけて小田急線で30年以上活躍した後に他社へ譲渡されました。
熊本電気鉄道で廃車となった車両を譲り受け、1983年に開業当時の状態に復元されました。
こげ茶色の車両は幼稚園の時の記憶に、大阪のJRで走っていたと思います。

「なぜ昔の電車はこげ茶色だったのかな」
パソコンで
調べました。

明治時代はカラフルな電車だったようです。
地味になった理由に2つあるそうです。
1・  明治末期に鉄道国有化で、鉄道間の競争が無くなり装いに気を配ろうとしなかった。
2・ 輸入塗装費量は高価で、国産品の低レベルな日本製ペンキで量産できる色は、灰色、茶色、黒、濃い緑色ぐらいでした。
      灰色と紅色は海軍が大量に使い、濃緑色は陸軍が大量に使うので、鉄道省が自由に使える色が茶色です。
   廉価で大量生産という条件を満たす国産品を使った精一杯の茶色化粧だった訳です。
   私鉄はもう少し選択肢があったお陰で濃緑色もありました。

電車大好きの孫のおかげで、出かけると電車を写真に撮って送ってます。
私は茶色の電車を見た時にすごくなつかしいと思いました。

コメント (2)
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